3、不穏な空気 その3
異常者の拘束が終わった後、私はハッと爺に振り向いた。
「そういえば、ライさんが!私を助けて戦ってくださって……」
と爺の背の向こうに目を送ると、そこには苦々しい顔で眉間に皺を寄せ、こちらに歩いてくるライさんの姿が目に入る。
所々浅い傷はあるが、致命傷になりそうなものは見たところなさそうだ。だが、心配だった私は駆け寄って補助魔法をかける。
「ライさん!無事でしたのね!」
そう声をかけるが、彼の顔は険しいままだ。取り逃がしたことを悔いているのだろう。
「ああ。捕縛された彼が捕まるのと同時に、煙幕みたいなものを張られてしまったよ。僕が怯んだ隙に逃げられた……」
悔いているだけではない。ライさんは彼自身を追い詰めているようで……彼を巻き込んでしまったことが、申し訳ない。きっと私がベルブルク公爵家出身の愛し子であることが関わっているのだろう。
根拠はないが、そう感じるのだ。
「いえ……むしろ私はライさんが助けてくださらなければ、あの人から逃げることすらできませんでした。本当にありがとうございます」
「そうですぞ。貴方様はお嬢様を助けられたのです。今はそれを喜ぶべきだと思いますな」
「爺……」
公爵家にいた頃、私によく向けていた穏やかな表情で爺は、ライさんを見ている。そんな私たちの言葉に顔を上げたライさんは、私たちの顔を見て苦渋の表情を少し和らげた。
「そうだね、お二人の言う通りだ。君が無事でよかった……僕は、君がいなくなると思って……」
そう言いながら彼は私の手を取り、少しだけ強く握りしめてくる。その手は小刻みに震えていた。
言葉の最後は小声だったので聞き取れなかったのだけれども、彼が本当に私を心配してくれたことが伝わってくる。だから私は、握りしめてくる彼の手を優しく撫でた。昔、母が私にそうしてくれたように。
「大丈夫です。私は無事ですわ。本当に助けてくださって、ありがとうございました」
そんな私たちの間を、暖かい風が一筋吹き抜けていった。
その後、私は警備で周辺を歩いていた警備隊の方々を捜索魔法で探し当て、ライさんは彼らの元へ向かい協力を依頼する。合流した警備隊の二人に拘束魔法をかけていた異常者を引き渡し、私たちはその後ろを歩いていった。
ちなみに異常者は警備隊が来る前に目が覚め暴れていたが、爺が耳元で何かを囁くと急に大人しくなった。警備隊に引き渡された後も、静かに自分で歩き始めていたので、もう大丈夫そうだ。
そのため、私は爺にライさんを紹介することにした。
「爺、こちらは金級冒険者のライさん。私がとてもお世話になった方。ライさん、こちらは爺。以前公爵家で料理長をしていたの」
「元公爵家料理長のバイロン、と申します。お嬢様からは爺と呼ばれていますのう」
「もしかして以前シアさんと料理を一緒に作っていたという……」
「ええ、そうです。それが儂ですな」
そう笑う姿は好好爺そのものだが、私の頭には先ほど異常者を追い詰めた爺の姿が焼き付いている。あの身のこなし、冒険者の端くれである私でもわかるような相当な手練れである。
そんなことを爺の背中を見つつ考えていたので、私は爺とライさんから一歩遅れていたようだ。それに気づいたライさんがこちらを振り返る。
「大丈夫かい?シアさん」
「ええ、少し考え事をしていただけですので……」
そう言って、ニッコリと笑えば、その姿を爺は目を細くして見ていたのだった。
その後リネットさんとバズさんと出会った私たちは、領主であるルイゾン様に呼ばれていると聞いて目を剥く。ただ、驚いているのは私だけらしい。
ライさんは「やっぱりな」という表情をしていたし、爺は何を考えているのか分からない笑顔だ。だが、二人とも彼の御前に向かうことを了承していたので、爺もきっとこうなることを予想していたのだろう。
城へ向かえば、ジェイクさんがにこやかにルイゾン様の元へ案内してくれた。
ちらりと爺を見れば、彼も緊張することなく穏やかな笑みを湛えているように見える。この国の権力者の一人と会うのに、この余裕はなんだろうか。
それに爺だけではなく、ライさんも普段通りなのがとても気になるのだが……そんな疑問は、その後解決することになる。
以前入ったことのある執務室に案内された私たちは、ジェイクさんにより席に座るように促された。
席は二人掛け、私と爺は隣同士で座るように、ライさんは私の隣に置かれている一人用のソファーに座るように指示されている。
ちなみにバズさんは退室し、リネットさんとジェイクさんはルイゾン様の後ろに控えている。そしてルイゾン様はライさんと爺の二人を見ると、お礼を述べた。
「先ずは領民である彼女を助けていただき、ありがとうございました。お二人の協力、感謝します」
「彼女を助けたのは、私の意志ですから」
「いえいえ、この老いぼれが役に立って良かったですわぃ」
ライさんは頭を下げ、爺はほっほっほ、と笑いながらそう告げた。
「特にシアさん。怖い思いをさせて申し訳ないのだが……君が襲われた状況を知りたいので、詳細に教えてもらえるかい?」
私は二人に頷かれたのを見て、少しずつ話し出した。
「成程、魔法が効かなかった……と」
私の話を聞いたルイゾン様は腕を組んで、考え込んでいる。
「ええ。ただ……」
「どうしたんだい?」
「いえ、今改めて考えてみると……正直ライさんほどの実力を持った人間なら、私など直ぐに殺害……もしくは誘拐できると思うのです。しかも相手は私の唯一の攻撃である魔法を封じていたのなら、尚更」
そうなのだ。ライさんと互角、いやそれ以上の手練れだとライさん自身が判断したのだ。そんな私にあれだけ時間がかかったのは何故だろうか。
「まるで逃げ道を塞ぐように……ゆっくりと追い詰められた気がしますわ」
『確かにシアの言う通りね。あの腕輪の能力だって見せる必要がなかったもの』
『……私からはまるでわざと主を絶望に陥れようとしているような……そんな雰囲気を感じました』
エアルとグノーの言葉に同意である。最初に殺気を放ったところから可笑しかったのだ。あれだけ隠蔽がうまい彼ならば、私に気づかれず攫うなんて朝飯前だろうに。
ちなみに精霊さんたちの声はもちろん私にしか聞こえていない。
目の前にいるルイゾン様は何か思うことがあるのか考え込んでいる。ライさんとリネットさん、ジェイクさんも一言も発しない。爺だけが、ニコニコと笑っていた。
「もしかして、何か思いあたる節があるのではございませんか?」
爺は微笑みながらそう告げると、ルイゾン様はため息をついた後、「そうだな、話しておくべきだろう」と言って重い口を開いた。
「私たちは、今回の件とシアさんのギルドでの件は同一団体による仕業だと考えている」
「ギルドでの件とは……私の魔石が偽物だと妨害された件でしょうか?」
「ああ……その団体は、精霊崇拝派と呼ばれている」
精霊崇拝派。精霊は崇め讃えるものであり、加護を受け使役するなど以ての外であると主張する団体のことだ。
まだ十数年ほどの若い組織でありながら、いまだに拠点、幹部、規模すらわからないという。度々精霊の加護を持つ人間を誘拐したり、魔石屋に悪評を立て潰そうとしたりするなど……頻度は高くないが、悪質であるため共和国も以前から追っているらしい。
幸いなのか……彼らは人を殺害したり傷つけるたりすることはない。精霊がそれを嫌っているからである。
「その団体の仕業だと判断したのには理由がある……王国のベルメケースの街に魔石屋があるのは知っているだろうが、そこと提携して売り出していた魔石付きアクセサリーが盗難されそうになった。幸い、防御結界魔法の魔道具を置いていたために盗難未遂で終わったが……その後直ぐ、つい先日のことだ。王国でも数人加護持ちが誘拐されたらしい。半分ほどは帰されたらしいが……まだ半分は行方不明のままだと報告が上がっている。」
そんな事が起こっていたとは……知らなかった私は呆然とした。
「それでシアさんに注意を呼びかけようとリネットに話していたのだが……生憎先を越されてしまったようだ。危険に晒してしまい、申し訳なかった」
「いえ、まさかそんな事になるとは……」
私は単に小石にも光を……と思いやっていた事が、まさかこんな大ごとになるとは思わなかった。ノルサさんたちにも多大な迷惑を掛けたということではないだろうか……申し訳なさと事の重大さに肩が震える。
私は思わず両手を握りしめていた。爪が食い込むほど強く握っていたのだが、今の私は感覚が鈍いらしく痛みは感じない。
そんな私の両手に手が乗せられた。腕には見覚えのある腕輪が。ライさんだ。彼は私の目を見て言った。
「シアさんは悪くない。悪いのは、精霊崇拝派の人間だ」
「で、ですが……」
「そうだ、ライの言う通りだ。むしろ私は廃棄していた物が商品になると発見してくれた君に感謝している」
そう言ってルイゾン様は私を優しい目で見つめてくれる。
「きっと君はノルサ達のことを心配しているのかもしれないが、彼女たちなら大丈夫だ。むしろそれを見越して、先に彼女たちが売り出したのだろう」
「……そうなのですか?」
「ああ、だから事前に防御結界魔法を掛ける事ができる魔道具も用意してあった。ちなみにダドリーのところにも魔道具を渡したから、問題はないだろう」
それを聞いて安堵する。むしろ私が先に売り出していたら、ダドリーさんたちを危険な目に遭わせていたのかもしれないのだ。本当にノルサさんたちには助けられていると実感した。
「今回はシアさんが無事だったが、今後何が起こるか分からない。そのため、街の外に出る場合はそこにいるライと一緒に行動するようにしてほしい。決して君が弱い、と言うわけではないが……」
「いえ、私は魔法を封じられればただの小娘です。ライさんが宜しければ、お願いしたいのですが……」
これから接近戦を習ったとしても、それが直ぐに使えるわけではない。王宮で護身術は軽く教わっているものの、手練れに対応できるようなものは身についていないのだ。
ライさんの了承が取れればの話ではあるが、ありがたい話だ。
「喜んで引き受けさせていただきますが、私一人では心配が……」
彼は先ほどの件を思い出したのだろう。声色が暗い。
「承知している。そこで、だ。シアさんと顔見知りであるバイロン殿にもお願いしたいのだが……」
「爺、にですか?」
私はいきなりの事で目が点になる。チラリと隣の爺を見れば、彼はただ穏やかに笑みを湛えているだけだ。
「貴方は以前冒険者として名を轟かせていた白銀級冒険者バイロン殿ではありませんか?当時金剛級に最も近い男とされていた」
「え……?爺が?」
確かに只者ではないとは思っていたけれど、まさか爺が冒険者だったなんて思いもよらない事実だ。
金剛級ほどではないが、白銀級である冒険者になるにも大変だとライさんから以前聞いている。白銀級になるには実力だけではなく、ギルドの信用度が高くなければ提案すらされないと言われているらしい。
白銀級冒険者になることは、実力も人間性も兼ね備えているとギルドに判断された証拠なのだ……まだ事実かは分からないが。
この部屋全員の視線が爺に向かう。だが、その中でも彼は微笑み続けている。そして――。
「……懐かしいですな。ええ、儂は昔、冒険者として飛び回っていましてのぉ。白銀級までランクを上げましたが、それ以降料理に夢中になりまして。ええ、手先が器用なのも助かって、料理人を目指したのですよ」
爺は昔を懐かしんでいるらしく、遠くを見ている。本当に爺はどこまで有能なのだろうか。
「こちらが無理を言っているのは承知の上で、貴方にお願いしたい」
そうルイゾン様が言い切ると、爺は「ふむ……」と少し考え込んだようだった。
「儂で良ければ引き受けましょう」
それは1分にも満たない時間だった。最初は顎に手を当て悩んでいた爺だったが、直ぐに顔を上げてルイゾン様にそう伝えた。
「爺、本当に?お仕事は大丈夫なの?」
「問題ありませんぞ、お嬢様。これでも爺は有能ですからな」
ほっほっほ、と笑う爺は冗談で自分のことを有能と言ったのだろうが、私はその言葉を否定する事はない。むしろその通りだと納得したので、首を縦に振ってみる。
「おや、そこまで期待されるとは。老骨に鞭打って頑張りますかのぅ」
「……無理はしないでね」
「ええ、ライさんも居りますし、主な護衛は若い者に任せて爺は影からお嬢様を見守りますぞ……そうですな。引き受ける上で、ひとつ此方からお願いがございまして」
「それは報酬のことかな?」
「いえいえ、それはお任せします。貴方様にはこちらの手紙を受け取って欲しく……」
爺が懐から出したのは一枚の手紙だった。それを受け取ったルイゾン様は不思議そうに白い封筒の両側を見ている。その封筒には何も書かれていない。開く部分に封蝋印が押してあるだけだ。貴族では封蝋印に紋章を付ける事があるが、封筒の封蝋印はただ赤く丸いものだ。
「これは……私が見ても宜しいので?」
「勿論ですぞ」
そう言ってルイゾン様はペーパーナイフで封蝋印を切り、手紙を取り出し読み始める。全て読むと、ルイゾン様は手紙から目を離し、爺を見つめる。
彼の眉間には深い皺が刻まれていた。
「どうですかな?」
手紙を見て固まっていたルイゾン様に声をかけたのは爺だ。その声にハッと意識を取り戻したらしい彼は、爺を見る。
「……この手紙は私に渡して良いものなのか?」
「ええ、ルイゾン様宛ですぞ。渡す場所は儂の判断で良い、と仰せつかっていますな」
「爺の……判断?」
爺は何を言っているのだろうか。そしてあの手紙には何が書かれているのだろうか……首を捻っていると、爺が私の方を向く。
「お嬢様、ひとつお聞きしますぞ。この場にいる皆様は貴女の事をご存じですね?」
「え、ええ」
ルイゾン様とジェイクさんは初めて会った時に知られているし、リネットさんとライさんは数ヶ月前に話している。それが何の関係があるのだろうか、と不思議に思っていると爺からお願いをされた。
「ではお嬢様。手間を掛けますが、防音の結界を張っていただけますかのぅ?」
「分かりましたわ」
そして私は精霊さんと話した時と同じくらい、衝撃を受ける話を聞いたのだ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
私事で申し訳ございませんが、
少し体調を崩したため、明日は投稿を見送るかもしれません。
皆様も体調にはお気をつけ下さいませ。




