幕間 王国と共和国での異変
アフェクシオン王国の中心、ニンフェ城の執務室。
そこには目の前の報告書を読み上げている文官と、それを聞いている現国王ヴィクターがいた。
彼の机にあるのは、その文官が持参したと思われる資料のみ。それ以外に置かれているのは、籠に入ったチーズとパンと赤ワインの瓶である。
彼は机に置かれた資料を一枚も目に通す事はなく、それどころか右手にはワイングラスを持ち、飲みながら話を聞いていた。
それはいつもの変わらない報告風景だ。
彼、ヴィクターの仕事は書類に印を押すことと、文官が纏めた陳述書の内容を耳に入れることだけだ。
しかも報告をしている陳述書には、国王に対する感謝の意見ばかりが載せられていた。国も安定し、前国王キャメロンの魔道具の恩恵もあり、王家に対する民衆や貴族の不満はほぼ無いと言ってもいいだろう。
そのため、今や陳述書は不満を伝えるものではなく、王家への感謝を述べる書となっていた。
だから今までの彼は話を聞いて、「ご苦労」と言うだけで終わっていたのだ。
だが、今日は文官の様子がおかしい。顔が少しだけ青褪めている。
文官の体調がよくないのだろうか、と考えたヴィクターだったが、臣下の体調などどうでも良かった彼は、何も言うことなくただ只管、ワインを嗜んでいた。
普段であれば、感謝の言葉で終わるはずの陳述書。それが、今日は開口一番感謝以外の言葉から始まる。
「国王陛下、今回の陳述ですが……辺境の村々から魔物の目撃情報が相次いでいるそうです」
ヴィクターはその言葉に耳を疑った。
彼の父親キャメロン時代も、祖父であるレデリックの時代も、魔物の目撃情報などが上がってくることはなかったはずだ。
何故王国に魔物がいないのかは知らない。だがそのお陰で作物を荒らされることなく、品質の高い農作物を作れている。魔物が作物を食べることもあるからだ。だから、目撃情報と聞いて驚くのも無理はない。
「なんだと?我が王国内ではダンジョンとその周辺以外、魔物はいないのだろう?」
「その通りでございます。ですが、最近南側の多くの村で目撃情報が出ているそうです。いかがなさいますか?」
手に持ったワイングラスを傾け、対策を考えようとするが……酒の回った頭では考えることも億劫だったヴィクターは文官にこう尋ねた。
「被害はあるのか?」
「今のところ被害はないそうです」
「そうか、その魔物……見間違いの可能性はないのか?」
彼は、放置することに決めた。王都では今までと何ら変わりはない日常を送れている。辺境の様子など分からないが、被害がないのなら、静観して良いだろう。それが自分の手を煩わせない方法だ。
「可能性は否定できません。もしかしたら獣と見間違えたのかもしれません」
「まあ、見間違いの可能性は高いだろうな。兵を派遣する必要はないだろう。獣なら村にいる狩人でも問題ない」
「承知しました」
そう言ってヴィクターはグラスに残っているワインを呷った後、チーズに手を伸ばす。その後は、以前と同じような賞賛の声だけが彼に届く。
報告を終え、文官が去ると部屋は静寂に包まれた。
「愛し子が王家に嫁ぐんだ。更に王家の権力は上がるだろう。父上、貴方が何を考えていたのかはわかりませんが、私の代ではもっとこの国を発展させて見せましょうぞ」
そう天井を見上げながらつぶやくと、彼は声を上げて笑い始める。これからの彼の栄光を夢見て。
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「ふうん、グレートウルフの次はゴブリンライダーとは。中堅ランクどころがこの街にも現れるようになったと」
「仰る通りでございます。これは何かしらの異変が起きているのではと思いまして」
リネットはアレクシアたちと合流後に話を聞き終えると、部下にはゴブリンライダーを倒したとされる場所に確認へ向かわせたあと、先に領主であるルイゾンの元に今回の件を報告していた。王国と共和国を繋ぐ唯一の街道がある場所に、高ランクの魔物が現れると馬車も出せず、物流も途絶えてしまうからだ。
この件は最重要事項として、早急にルイゾンに上げられ、今リネットが全てを纏めた報告書を提出している。
「そうだねぇ。街の外の巡回メンバーを増やそうか。うーん……第3と第4警備隊にも声をかけよう。明朝、会議を開きローテーションを組んでくれ」
「承知しました」
「ジェイク、この手紙を第3、第4警備隊のタルコットとフェリーに渡しておいてくれ」
「はい」
ジェイクは二通の手紙を持って静かに退室する。その後も、ジェイクが仕事を終えて戻るまで、彼女の報告は続いたのだった。
「ルイゾン様、この異変に心当たりが?」
リネット退室後、ジェイクが防音結界の魔道具を起動させた後、ルイゾンに尋ねた。子どもの頃からルイゾンを見続けてきたジェイクである。彼なりの考察があることには気づいていた。
それが分かっているルイゾンも、ジェイクに話を聞かせることで考えの整理ができると、毎回話を聞いてもらっているのだ。今回も自分の考察をジェイクに話し始める。
「そうだな、可能性のひとつとして考えているのは、『彼女』がこの街にいるからじゃないかな」
「愛し子がこの街にいることが問題、ということですか?」
「いやいや、彼女自身に問題があるわけじゃないんだ。原因は十中八九、追い出した王国だ……今まで王国は、二人の愛し子がいただろう?だから彼女たちの周りには多くの精霊がいたはずだ。生まれたばかりの若い精霊や、ある程度の年月を生きた精霊、そして精霊四天王と呼ばれる存在……」
「精霊四天王、ですか?」
「ああ。と言っても、我々人間が勝手に呼んでいるだけだけどね。精霊王の次に長い年月を生きており、精霊王の次に強大な魔力を持つ精霊のことさ」
「成程。存在は知っておりましたが、呼び名は初めて知りましたね」
「まあ、知らないのも当然さ。この呼び名は王国でしか使われないからな。私も目で見るまでは、その存在に疑問を抱いていたくらいだ」
共和国のブレア領は王国に近いので、比較的精霊が多い。が、それでも王国の数十分の1程しかいないのだ。だから四天王のような膨大な魔力を持つ精霊を見たことがなかった。
「だが彼女の周囲には、異常な程膨大な魔力を内包している精霊が4体もいた。だが、その4体にも格があるように見えたんだ……彼女の近くにいたのは、風と水の精霊だ。後ろにいたのは土と火の精霊……彼らも魔力は強いが、前者の2人には及ばなかった」
「そこから四天王の可能性を考えたと」
「そうだ」
ルイゾンの眼(魔眼とも言う)は、以前アレクシアに『精霊の加護が見える』と言っていたが、それだけではない。正確にいえば、愛し子の目の下位互換というところだ。彼の目は精霊を淡い光の球の形で捉えることができる上、精霊の属性と魔力の強弱も見ることができる。訓練してもアレクシアのように人型で見えるようにはならないことが、愛し子の目の下位互換と言われる所以だ。
「最近の研究で、魔物は精霊の魔力を恐れているのではないか、という説が出ているのは覚えているか?私はその研究結果を聞いて、成程、と思ったよ。まだ仮説の話ではあったが、それを裏付けていると感じたのは、彼らからの報告だ。依頼して調べさせたところ、王国の街道で魔物が出たという話を全く聞かないし、王国に魔物がいるという話をあまり聞かないそうだ」
彼らとは勿論、ノルサたち斥候のことだ。
「つまり彼の国は、精霊たちの魔力が隅々まで行き渡っていたのだろう。それが魔物よけにも繋がっていたのではないだろうか。ああ、ダンジョンは別だ。あれは次元が違う」
「彼女が追放されたことで2柱もこちらに来てしまい、魔力濃度が下がったと?」
「ああ。その影響が辺境に出ているのかもしれない」
「魔力濃度が下がったので、魔物が王国側へ侵入できるようになったということでしょうか……」
「それを追って中堅の魔物が降りてきた……とは考えられないか?」
「そうですね。中堅の魔物は森にいる魔物を餌にすることもあるようですから、餌が遠くに行けば餌に近づこうとしますし、筋が通っているかと」
だが、その推論が正しかったのだとしても、解決するのは困難だ。国外追放になったアレクシアを王国に戻すことがまず無理であるし、ルイゾンとしては彼女はこの街に留まってもらいたいと思っている。メリットが多いからだ。
もう一つの解決方法は……。
「王国の王がこのことに気づいて手を打てばいいのだが……」
王国側で討伐するなり、追い出すなり、何かしら行動を取ればこの状況は改善する可能性があるのだが。ルイゾンは一縷の望みを持ってジェイクを見るが、彼は首を横に振った。
「報告を見る限り、無理でしょう」
「はぁ……どうして最近の王国は癖の多い王ばかりなんだろうねぇ……こっちの身にもなってほしいよ、全く」
「精霊は侵略や戦争を嫌いますから、王国が戦争を起こす事が無いのはありがたい事ですけどね」
以前、と言っても数百年前の話らしいが、この国に王国が侵略しようとした時があるらしい。当時の王国の魔道師団は全員が加護持ちという最強カードだったという。だが、侵略するための戦争を起こそうとして国境を越えたのだが、精霊の力が使えなくなっていたそうだ。
慌てて魔道師団は国に戻るも、彼らの契約はすでに破棄された状態となり……二度と精霊との契約ができない状態になっていたのだそう。そこから王国は、欲をかき過ぎてはならないと学び今に至っている。
「前国王は自己顕示欲が強く、現国王は政治を知らない無能者……さて、どうなるやら。こちらも準備をしておかねばいけないね」
「でしたら、冒険者ギルドと連携致しますか?ライ様やロゼット様はこの街におりますし、イブランド様もこちらへ向かっているとの事でした」
「そうだね、万が一のことを考えてそうしよう。ジェイク、よろしく頼む」
「承知しました」
と、ジェイクは歩き出そうとしたが、思い立ったことがあったのか、足を止めた。
「そうでした。彼からの報告をお伝えします。彼女は攻撃魔法が得意ではないようです」
「ああ、何となく分かるかもしれない。きっと彼女は防御結界を重点的に教わったのだろうね。自分の身を守るために」
「今の時代は均衡が取れていますから、戦争も起こり得ないですからね。王国では魔物すら出現しないのでしたら、攻撃魔法を使う理由がありませんし、訓練をされなかったのでしょう」
そうジェイクが述べると、何故かルイゾンは考え込み始めた。
「追放された彼女の魔力は非常に洗練されていた。あれは鍛錬を怠らなかった成果だろう。どんな訓練を……ああ、魔石か。確かにあれは効率の良い訓練法かもしれないな」
そう言い切った後、ルイゾンは立ち上がり窓の縁に手を置いた。
「なあ、ジェイク。愛し子の双子の姉は非常に訓練された良い魔力だった。だが、王国に残っている妹は、姉と同じだけの訓練を積んでいるのだろうか?」
ジェイクは答えない。いや、答えられなかった。嫌な予感が頭を占めたからである。
「魔法は訓練なしで使えない。魔道師の中では常識だろう?だが、もし……膨大な魔力を持つにも拘わらず訓練もせず、そのまま野放しにしていたら……」
ジェイクに返事を求めているわけではない、ただの独り言。
「彼女はあの国に、何をもたらすのだろうね」
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
今回空白を多めに入れておりますが、
会話文が続く箇所が多いこと、会話が長文で読みにくいと個人的に感じたためです。
不自然に空いている部分はそのために区切ってありますのでよろしくお願いします。




