遠慮
「ふぅ~。今日は朝から酒を奮発しちまったからなぁ。どっかで稼がないとキツイか……?」
男は懐から皮製財布を取り出し、中身を覗き見る。
中には硬貨が数十枚と、細長く平べったい紙が硬貨とは違う場所に数枚入っていた。
これが彼の現在の所持金だ。
「酒のつまみも欲しい所だが……こっちは比較的安価な奴で我慢するしかないよなぁ。肝心の酒が無いと困る」
外に広がる景色を見渡しながら、男は財布をしまう。
頭の中は、町の平和維持などこれっぽっちも考えている素振りは無く、自分のすべき業務を終えた先にある『ご褒美』にしか目が無いようである。
その証拠に彼の後方から聞き耳を立てずとも響く、石畳を踏み歩く音が聞こえていない。
「抑えないといけないのは分かっているが……。ふっ、やめられないぜ!」
「なぁ~にが、ふっ、やめられないぜ! ですか!」
男は声が背後から掛かっているのに気付いて顔を振り向かせる。
「げ、セ、セレナじゃないか、ど、どうしたんだ?」
「ちゃ~んと仕事しているか見に来たんです! グラーノさんは西口の衛兵なんですから、何かあってからじゃ遅いんですからね!」
セレナは腰に手を当てながら前屈みで、やや怒り気味に眉を吊り上げる。
グラーノと呼ばれた男は後頭部を掻きながら、後方に広がる緑一面景色を指差す。
「まあそう焦るな若人よ。太陽の日差しも心地よく、朝から飲む一杯はいいぞ?」
「せめて仕事が終わってからにして下さい! 全く……朝から飲むってこの前も飲んでいましたよね? お金は大丈夫なんですか? 私にたかったりしませんか? 後、私は若い方ですが……グラーノさんだって若いじゃないですか!」
セレナの質問三連続にグラーノはじり、と後退しながら一つずつ彼女に受け答える。
「一遍に問い詰めるのはナシナシ!! 確かに今日も飲んでたけど、ちゃ、ちゃんと抑えてるぞ。お金もまだあるさ、はは……。流石にセレナに薄情な事はしないぜ、そこは安心してくれよ?」
「はいはい。そんな事言って、『セレナ~助けてくれ~~』とか泣きついてくるのはどこのどなたでしたっけ? ……全くグラーノさんは遠慮や節約って事を覚えた方がいいですよ?」
「こ、今回は大丈夫だぞ! きちんと破産しないように酒やつまみは控えている。飲み屋にもなるべく顔は出していない。セレナに助けは借りないぜ」
ふん、どうせすぐ情けない顔をするに決まってる、と言い捨てセレナはグラーノから顔を背ける。
前方にはフィッテ、レルヴェ、ガンセの三人が居たので来るまで待つことにした。
「ふ、グラーノは相変わらずのようだねぇ」
「グラーノよ、酒は仕事が終わってからにしておけ。いざという時に動けなくなるぞ」
「レルヴェにガンセ局長! お久しぶりであります! き、気をつけます!」
グラーノはびしっ、と背筋を伸ばし礼をする。主にはこの町の依頼所局長、ガンセ=ラールに対してだ。
ガンセが思いのほか激怒せず、たしなめる程度で終わったのでグラーノは安堵する。
彼は短く礼をすると、見知らぬ顔の少女が居ることに気付きフィッテに近付く。
フィッテはびく、と一瞬震えが走ったが拳を握り、口を開いた。
「は、初めまして。私はフィッテ=イールディと言います。グラーノさん、で合ってますか?」
グラーノはパッと見、臆病、後ろ向きの言葉が似合いそうな少女から自己紹介をされたので驚いた。
一手先の行動をする彼女に関心し、グラーノは胸の鉄板を叩く。
「ああ、そうだ。俺の名前はグラーノ=ガラスト。ブレストの町の真面目な衛兵だ。お酒を飲めるから年齢は察してくれよ?」
兜から見える顔は細く、かといって痩せこけている訳ではない。
目はしっかりと開かれて、力強い眼差しを放っている。
顔つきは良く弧道救会に居る責任者の整った顔には敵わないが、フィッテからの視点だとグラーノもかっこいい男性の部類に当たる。
「「真面目、ねぇ……」」
セレナとレルヴェの凍て付いたような視線が二つ、グラーノの身体を射抜いたのは気のせいか。
グラーノは得意気に親指を立て、冷凍視線を物ともせずにフィッテの顔を見る。
「んで、フィッテとやらは俺に何か用でもあるのか?」
「はい。要点を言いますと……私と訓練をして欲しいんです」
「……とりあえず、事情があるようだな。場所はどこにするんだ?」
「フィッテは創造魔法を使用するから、魔法屋裏の敷地がいいと思うねぇ。移動しながら事情とかを話そうか」
ブレストの町でいう、東北の方角に位置する魔法屋の裏手には敷地が広がっている。
創造魔法作製時に説明を受けた、暴走などを起こした時に被害を抑える役目を果たす草地だが、同時に創造魔法の威力を抑える効果も持っている。
当然といえば当然だが、創造魔法の暴走=創造魔法の威力なのだから詠唱して魔法を放っても同じことだろう。
フィッテ達はグラーノの事、フィッテの訓練について話をしながら魔法屋の敷地に入った。
「『アルマレスト』、ねえ……しっかしガンセ局長も説明してくれれば全力で警備しましたのに」
「グラーノ、では今日から全力で警備してもらおうか」
「そうですよ! グラーノさんにはしっかりと西口を見てもらいませんとね!」
ぐぐ、と悔しそうなセリフを残すグラーノをいじめつつセレナは意地悪な笑みを浮かべる。
「でも、驚きました……。グラーノさんはセレナちゃんの命の恩人でもあったのですね」
「ああ。セレナが不慮の事故で両親を失って、俺が助けたんだ」
「あの時は感謝していますが、こんな人だったのにはショックですけどね」
セレナは懐かしさを含んだ過去を思い出すかのように、意地悪な笑みから恥かしさを混ぜた微笑みに切り替えた。
「昔話も良いけど、フィッテの訓練はグラーノだけでいいのかい?」
「『アルマレスト』は創造魔法も使うんですよね……とするとグラーノさんだけではなく、私かレルヴェさんあたりが適任だと思います。……でも無理に戦わせなくてもいいですけどね」
「ううん、私は成長したい……! この訓練はとても大事だから。良かったらセレナちゃんや、レルヴェさんとも戦いたい」
強気なフィッテにセレナは驚きと共に負い目を感じた。
彼女は機会さえあれば成長しようと努力をするからだ。
フィッテはセレナやレルヴェに追いつこうと必死なのだろう。
セレナからすれば、フィッテが強くなってくれるのは嬉しいことである。
しかし、同時にフィッテがフィッテではなくなるのではないかと不安になる。
確証があるわけではないのだが、そんな予感がしそうなのだ。
「ん、フィッテがそういうなら……。フィッテは【スイフトスラスト】だけしかないけど、もし素材があったら創ってみる?」
「『ガーダーの盾欠片』、『リトルワームの柴皮』ぐらいしか私は持ってないけど……創れるのかな」
「ふ、それについては問題ないさ」
フィッテは腰に掛けてある皮袋から素材を取り出そうとしたが、レルヴェが手を前にだして中断させる。
レルヴェはフィッテに見えるように、三種類の装飾品を出した。
赤、青、黄と一種類毎に色違いの四角い宝石の上部に穴があり、一つずつ皮紐で通されている。
「それは……?」
「この前依頼を受けた時に洞窟で拾ってねぇ。それぞれ赤が火属性、青は水、黄は雷の属性を封じてある。どれか一つだけあげるから、好きな物を選ぶといい」
レルヴェの手からぶら下がった首に掛けられそうな三色の装飾品は、朝日に反射してカラフルな光を映し出した。
これがあれば、無属性しか持っていない彼女にも属性付きの創造魔法が完成する。
しかし、いくら厚意とはいえ彼女は最初の時点で創造魔法の素材を貰っている。
一度ならまだしも、二度目を頂くのはさすがに躊躇した。
「ご、ごめんなさい……レルヴェさん、お気持ちは嬉しいのですが……【スイフトスラスト】を創る時に素材を貰っています。今回は頂くわけにはいきません」
謝りながらもきっぱりと否定をするフィッテに、レルヴェは顎に手を当てながら考え込んだ。
「レルヴェ、フィッテを成長させたい気持ちは分かるが……そのネックレスのような物は高価ではないのか?」
「リーダー。そこらへんは大丈夫さ。多少ではあるが、質は落ちてるけどフィッテの実力に見合う魔法は創れる」
「フィッテは強くなりたくないのか? 俺と実戦訓練をしないのか?」
「う……それは……」
何の為にグラーノに声を掛け、ここまで来たのか。
レルヴェはフィッテを思って、三色の装飾品の内一つをあげる理由とは。
全ては自分に対してではないだろうか。
【スイフトスラスト】だけでもいいかもしれないが、『アルマレスト』や魔物と戦うのには手札を多く持っていたほうがいいだろう。
フィッテは遠慮がちだった手をおずおずと伸ばし、レルヴェの目を見る。
「ご、ごめんなさい……そもそもここに来たのは私の為、ですね。レルヴェさん、頂きます」
「ああ、好きな色を選ぶといい」
周りの視線を浴びながら、レルヴェの手にぶら下げられたネックレスを触れたりじっくり見つめる中、セレナがレルヴェに近寄り三色の首飾りを指差す。
「レルヴェさん、このネックレスってそれぞれ名前とかないんですか?」
「赤が『復讐の涙』、青が『懺悔と後悔の水滴』、黄色は『憤怒の落雷』とか言うらしいが……性能が良かったり、高値で売れれば私は構わないんだけどねぇ」
「なんかどれもこれも価値がありそうな名前ばかりですね。まー、選ぶのはフィッテだし私は待ってるとしますか」
セレナは名前に聞き覚えが無いのか興味を失くしたのか、敷地の周りを歩き始めた。
「復讐、懺悔と後悔、憤怒……」
フィッテはネックレスに付いた名前を呟きながらも、目はレルヴェの手から離していない。
言葉の一つ一つに重みを置いたかのように、ゆっくりと言いながら考える。
(火、水、雷のどれが欲しいかを考えても……で、でもあんまり悩んでると迷惑掛かりそう……)
「俺はいいけどよ。創造魔法は使ったことないし」
「ふっ。グラーノは剣と槍を扱えるから、問題は無いといえば無いな」
「いやいや、局長には敵いませんって! ……なんなら試してみますか?」
グラーノは後退りをしながらも、鞘に手を当てている。
彼は彼で、自分の技術磨きの機会を作ろうと試みたがガンセに鼻で笑われてしまった。
「模擬戦もご希望ならば、他の奴でもいいだろう。例えば、レルヴェだって負けないほどの実力は持っているはずだぞ」
「お、グラーノ。私と戦ってみるかい?」
「いや、遠慮しておくわ。ぼっこぼこにされるのが目に見えるからな」
彼は引きつった笑いを浮かべながら、草地に腰を下ろした。
レルヴェはどこか残念そうに溜息を付き、フィッテの状況を確認する。
「どうだい、決まりそうかい?」
「……はい、赤いネックレスの『復讐の涙』に決定します」
「火属性は有効な魔物が多いからねぇ。そうじゃないとしても創造魔法の種類は多いに越したことはないさ」
フィッテは決意を固めたようで、真剣な表情で赤色に光る宝石を受け取った。
「……さ、早速創ってきます」
「ああ、成功を祈ってるさ」
レルヴェが連続で手を叩くと、他の三人は緑の草地から石畳の通路へ移動した。
ガンセは初めから敷地内に入っていないので、動いたのはセレナとグラーノとレルヴェの三人だ。
フィッテの集中力を少しでも切らさないのと、不必要な邪魔を減らす為である。
やがて、数秒してフィッテの周りから緑色の球体が出現する。
(……創造魔法を創るのはこれで二度目。今回は火属性で、創りたい物は決まってる。後は失敗しないように多少性能を落とし気味にすれば大丈夫なはず……!)
フィッテは意識を創造へと向けて、目を閉じた。




