記入
寝間着のままだった二人には着替えて準備を整えた。他にも色々と準備をしたかったが、それは帰ってきてからという事で着替えだけ済ませた。
緑一色の縦線が入ったワンピースはフィッテが、セレナは青のチュニックにレルヴェが着用しているような黒のズボンという格好だ。
レルヴェは着替えたと言っているが、昨日と大差ない格好なので何がどう着替えたのか疑問に思ったフィッテであった。
三人は朝食を済ませ、後片付けを終えてある建物の前に居た。
朝の空気は心地よく、フィッテは何度か吸うと周りを見回した。
慌しく東口へ向かう青年、犬に紐を付けて朝の散歩をしている若い女性が歩いていた。
大剣を背負い、東口から出てきた見るからに強そうな男は大きな麻袋をぶら下げ通りすぎていく。
セレナ達のように依頼をする人で、依頼の帰りなのだろうか。
誰に話しかけるわけでなく、商業区へ消えていった。
ブレストの町の朝は比較的大人しく迎えるようだ。
出入り口の上部には看板が取り付けられており、円型の盾が手前に、二本の剣が斜めに盾と交差している。
弧道救会ほど大きくはないが、一軒家よりかは遥かに広そうだ。
「ここって昨日の夜レルヴェさんが、状況説明に行くと言って入った建物ですよね……?」
「そうさ。『依頼所』と私とセレナは呼んでいる。一部じゃあ『ギルド』とか呼ばれているが、一般的に『依頼所』って覚えてくれればいいかね」
「とりあえず中に入ってワローネに言えばいいんじゃないでしょうか」
「そうだねぇ。じゃあ行こうか」
両開きになっているドアをセレナとレルヴェは一緒に開けた。
入ってすぐに出迎えたのは、巨大と呼ぶに相応しい板だった。
前方の壁を全て使う程のスペースは初めて見る者を圧倒するだろう。
板は目の前にある訳ではなく広間の奥にあるのだが、他の物を蹴散らしてでも目が行かなくなるほどだ。
茶色で塗られた巨大な板は、空腹感に満ちている人が見たらさぞちょっとやそっとでは食べきれない量のお菓子にも捉えられるだろう。
白い四角がちらほら貼り付けてあるのも、お菓子に勘違いするポイントでもある。
入り口で立ち止まらないようにレルヴェは後続の二人(主にフィッテ)に歩きながら板の説明をする。
「ブレスト町名物、って訳ではないのだが、掲示板の全ての依頼はここに集まってるのさ。貼ってある紙は依頼書。左から難度が低く右端が高難度になっている。後は、依頼の更新は朝、昼、夜の三つだね。ここらへんは受ける時にまた教えるとしよう」
フィッテはきょろきょろとありとあらゆる物を脳裏に焼き付けようと、頭を右へ左へと動かす。
彼女の挙動は依頼所の常連にとっては、初心者丸出しに見えるだろう。
何から何までが新鮮な彼女は、目が輝いているように見える。
「フィッテ、楽しそう……」
「何事も初めては楽しいもんさ。何事もね」
「な、なんですか、その意味有り気な発言は」
「ふ、こんな時期がセレナにもあったのさ」
(ここがセレナちゃんとレルヴェさんがお世話になっている依頼所……大きいです……)
随所に配置されている柱は丸太よりも太く、この建物が崩れてはいけないという重要さを訴えているかのようだ。
奥に依頼書ボード、左手に受付、右手に待合場所という造りになっている。
「左手は後にしようか。右手は依頼をする時パーティーを組むとき待ち合わせにしたり、依頼を受けたい時に誰か希望者が居れば一緒に行く事が出来るのさ。報酬は要相談。トラブルは付き物だが、解決屋もいるから安心して受けてほしいものだねぇ」
「ま、朝からお酒飲んでるダメダメな人は放置ってことで、フィッテ。左手のカウンターに居るのが受付嬢のワローネだよ」
待合場所には一人の男が寂しく椅子に座り、グラスを持って俯いていた。
丸テーブルの上には兜が乗せてあり、その周囲はお酒のお供ともいえるおかずが数点並んでいた。
彼はフィッテ達三人組に背を向けているが、この話は聞こえているはずだ。
何も言い返してこないのは酔い潰れているのか、聞こえないほど何かに集中しているのか。
フィッテは背中を少し見ただけでセレナに体をぐい、と反対に回される。
「あ、セレナー! 久しぶりー!」
左手の視界に映るのは受付嬢だ。
壁の一部をくりぬいて部屋にしたカウンター前で待機していたが、セレナの姿を見つけてからカウンター端の板を持ち上げこちらに駆けてくる。
隣に居た同じ受付係が止めようと手が伸びるが、虚しく空を切った。
セレナが朝食時に付けていたエプロンの本格派バージョンに見える。
茶色のワンピースに、裾をやまなりに膨らませた白い布は胸部から腹部までを広くカバーしている。
スカートの丈は長く、彼女の膝までスッポリ覆っていた。
走ってくるときに目立つブラウンのロングヘアーも彼女の特徴といえる。
「ワローネ、昨日会ったよ」
「まあまあ~。あ、レルヴェさん! 今日は依頼ですか?」
「いや、ちょっと別件さ」
可愛らしい、というのがフィッテの第一印象だ。
人懐っこい態度、ぱっちりと開かれた目は愛嬌さがある。
喜怒哀楽をしっかり表しそうな彼女は、喜びと楽しい表情を三人の前で惜しむことなく表現していた。
小さい口から発せられる幼い声は目一杯明るさを放出させる。
朝から活発な声を聞けたら依頼も捗りそうだ。
「なるほど。じゃあそちらの可愛いメガネ少女が別件ですか?」
「まあ、その件に含んでいる。という感じさ。それとワローネ。メガネ少女ではなくてフィッテ=イールディだ。今後彼女は依頼所のお世話になるだろうから覚えておくように」
「初めまして、ワローネさん。フィッテと言います……その、よろしくお願いします」
彼女の前に出て、ぺこりとお辞儀をするフィッテと、礼には礼で返して自己紹介をするワローネの二人はお互いに手を交える。
「こちらこそ初めまして! 私の名前はワローネ=ティアード。よろしくねフィッテ! 私とセレナ、フィッテは同い年だから……好きなように呼んでいいからね?」
元気が溢れる彼女の自己紹介の後に手を出されていたので応じる。
自分よりもやや小ぶりな手からは温かさが伝わってきた。
「じゃ、じゃあ……ワローネ、ちゃんで」
「『ちゃん』が増えただけのような気がするけど……まあ、よろしくね!」
「さて自己紹介も済んだことだし、本題に入りたいが……」
レルヴェは言葉を区切って、顎で受付カウンターを差す。
先ほどワローネがカウンターから出るときに、止めようとした受付嬢が見る者全てを怯ませるオーラを発していた。
殺意とは違ったが、彼女から見えるのは怒りだ。
もっともセレナとレルヴェは見慣れたやりとりなので、怯んだのはフィッテだけだが。
「ワ~~~ロ~~~ネ~~~!?」
「あわわわ……ナーサさんごめんなさい……」
「全く、あなたって人は……」
恐ろしい眼光に話を中断し、ワローネは持ち場に駆け足で戻っていく。
カウンターの前に立った彼女は、フィッテ達三人に両手を顔の前に合わせ謝罪した。
フィッテ達は気を取り直して受付へ向かおうとするが、セレナがそれを制する。
「レルヴェさん、フィッテに今日依頼をさせるかはさておき、登録申請はしておいた方がいいんじゃないですか? あれって確か時間掛かると思いましたが……」
「『請負証』は先にやっておこうかね。すまない、忘れていたよ。フィッテ、先ほどのワローネに請負証の申請をお願いするんだ。後、『リーダー』は居るか聞いてもらえるかい」
彼女は首を下ろし、カウンターへ向かう。
後を付いていく二人は、入り口から入ってくる人を一瞥するとすぐさまフィッテへと戻した。
この時間に来る者は朝出発組みよりも遅れているので、朝貼りだされている依頼の余り物や夜の依頼をこなした帰りの者達だろう。
依頼を受ける人はまず、大型掲示板へ向かい自分の能力に見合ったものを選びに行く。
受付がガラガラなのは時間帯も絡んでいた。忙しい時はカウンターの周りは近付く事すら不可能なのだ。
「あ、あのワローネさん……『請負証』という物を発行してもらいたいのですが……」
「はいは~い! ちょっと待ってね!」
元気の源ともいえる彼女はカウンター下を覗き込み、目的の物が見つかると顔を上げ一枚の紙とペンを載せる。
紙は食品を載せるトレーと同等のサイズで、少し大きめだ。
「請負証申請書。記入するのは基本情報だよ。名前、性別、年齢、生まれた町と今住んでる町、連絡先。創造魔法の有無、使用武器、発行理由。すご~く面倒だけどほとんどがカードに記入される情報ばかりだから、しっかりと嘘の無いように書いてね! 分からない事があったら私かそこの請負証を持ってる二人に聞くといいよ~!」
「ありがとう、ワローネちゃん。あ、あと『リーダー』は居るか、ってレルヴェさんが……」
「ん、あ~あのオジ様なら奥の部屋に居るよー!」
お礼を込めたお辞儀をして、請負証申請書と書くものを持ったフィッテは笑顔で引き返す。
彼女とは入れ違いに一枚の紙を持った青年が受付へ渡す。
セレナの目には依頼書の文字と、難度5が見えた。
「とりあえず、だ。待合所で書こうじゃないか。ここは混むときは混むからねぇ。邪魔しないようにしようか」
「ご、ごめんなさい……」
彼女達の近くには受付に向かって少ない列が出来ていた。
一応その列を分断するようなことはしていないが、受付の近くで長話をしていたら迷惑になるだろう。
三人は受付カウンターとは反対の待合場所に向かうことにした。
待合場所は丸いテーブルを囲むように、白い椅子が配置されているのがいくつかある。
四人一組を基準としているのか、どの席を見渡してもテーブル一つに対して、椅子の数が四つだ。
四=死と結び付けがちではあるが、実際パーティーを組む人数の平均的な数値は四人というデータが取れたため、依頼所ではこの方針を取っている。
万が一、座る椅子が足りない場合には隅に寄せてある椅子を使うようだ。
フィッテ達は一つの席を利用し、フィッテの請負証申請書の書き込みを始める。
「フィッテが答え辛そうな項目といえば……」
「私が困ってる項目は……今住んでる町、連絡先、発行理由。かな?」
さらさら、と何度も書いた手付きで名前、性別、年齢、生まれた町を記入していく。
軌跡を描くペンの字は黒く、空白欄を埋めていく。
「そこらへんはもう解決済みじゃないか」
「と言いますと……」
「フィッテ、あんたは誰も居ない町に住みたいかい?」
「それは……」
埋まる項目が無くなった訳ではないがフィッテは手を止めた。
その間にも彼女の言葉は止まらない。
「それに、だ。今は弧道救会に住むってことで登録してある。もし、フィッテの町の住人が戻ってきたらその時考えればいい」
「分かりました……。次なのですが連絡先と発行理由です」
「連絡先は弧道救会でいいんじゃない? 発行理由は、ほら、役に立ちたいとかがいいと思うよ」
役に立ちたい。それもあるが、フィッテは恩を返したいという気持ちが強かった。
この命を繋いでくれた、創造魔法を使う二人が視界に入る。
今更何かをするのに理由が要るだろうか。
答えを出す前にフィッテの手は動いていた。
「残りは……創造魔法の有無と、使用武器ですね」
「後で更新すればいいとして、創造魔法は無しにして使用武器は創造魔法って書けばいいさ。聞かれたらこれから創る、と答えれば大丈夫だ」
言われるがままに記入していき、こうして彼女の請負証申請書が完成した。
「では……渡してきます」
席を立つフィッテに二人は頷く。
どうやら今度は付いてこないようだ。
「終わったらここの席に戻ってきてくれるかい」
「流石にまたぞろぞろとカウンター前に行く訳には行かないからね……」
二人に手を振られて見送られ、フィッテは未だに消えない列に並ぶ事に。
並んでいる列は前方に絶えず笑顔を振りまき、元気を分け与えるワローネの所だ。
何人も相手にしているのに、疲労を見せないのはすごいと思った。
とてもじゃないが、今日初めて勤めて出来る芸当じゃないだろう。
(私なら無理、だろうな……そこまで笑顔でいられないと思う……)
後ろを振り返っても既にフィッテの後ろは並んでいる人が居るので、セレナやレルヴェの顔を見る事は出来ない。
なので隣の行列を見ることにした。
明らかに屈強な筋肉露出男や、コートを着込んだ知識豊富そうな眼鏡を掛けた青年に退屈そうに待っていて、身なりの良さそうな格好をしているお嬢さまのような少女が映る。
性別、年齢、容姿、目的がそれぞれ異なる人達は自分の番が近付くのを待ち続けている。
フィッテは自分が書き終えた請負証申請書を見直した。
(……これで、いいんです。私はやるべき事を為すだけです)




