相性
「……ということがあったの」
三学期も始まった放課後、人見に図書室に呼び出された礼人はそんな説明を受けた。
まさか倒れるなんて、自分でも思っていなかった。しかも、魂が抜けるなどという異常事態を引き起こしているとは。まこと、咲人、代永、優子には迷惑をかけたと思っている。もちろん、人見にも。
ただ、この案件で礼人は人見とは話し合っておかなければならないことがあった。
「……そもそも、命と結びついているスサノオの魂の欠片が、そう易々と抜け出すということがおかしい」
「ええ。今回の件は過たば、あなたの命の危機となった」
「その件は世話になった。助かった」
だが、ここで本当に話すべきは、無事に一件落着したことではない。
そもそも、何故礼人の命と結びついているスサノオの魂の欠片が抜けたかということだ。
これは他の人物の前では話せない。だから、この図書室という二人きりになれる場所で話さなければならなかった。
礼人が胸元に手を当てて口にする。
「今のスサノオの力は元の所有者である岸和田から受け継いだものだ。だが、俺が元々持っていたのは『人に与えられし力』。岸和田の『人にあらざるべき力』とは正反対の性質を持つ。
俺へのスサノオの魂の欠片の移植は父が一度成功しているが、それは俺が息子で、魂が似ているから成せた業だ。……ここから想定できる可能性は一つしかない」
礼人が俯く。夕陽が当たり、なかなかいい絵になっているが、こんな大事な場面で絵を描き出すほど、人見は無神経ではない。
人見は礼人の意見に、ええ、と頷いた。
「岸和田から受け継いだスサノオの魂の欠片の力は決してあなたとの相性がよくないということ」
元々正反対の能力を持っていたのだ。相性が悪くても仕方のないことだろう。以前のスサノオの力も僅かながらに残っているから、礼人はどうにかこうにかやっていけている。
そんな礼人の状態を禍ツ眸を持つ人見は誰よりも理解していた。そこから、改善策、解決策がないかを模索していた。
そこで人見が出した一つの結論を述べる。
「阿蘇礼人。あなたはスサノオの力に頼りきるのではなく、あなた自身の力を強めるべき。あなたの人間としての力を」
「人間としての、力?」
礼人の問いに、人見は遠い目をして語り始める。
「振り返れば、あなたはずっと、他人のために力を使ってきた。その力の大半はスサノオのものに依存していたであろうことは窺える。あなたは意志が強い。だからこそ、スサノオの力が最大限にあなたの能力を高め、妖魔討伐に作用した。それは褒められて然るべきところ。
……けれど、あなた、他人のためには力を尽くすけれど、自分のために力を尽くしたことはある?」
自分のため、と言われ、礼人は思いを巡らす。周りのことばかりを見ていて、自分のことなんて、考えたこともなかった。妖魔討伐を続けるのは大切な仲間を守るため。黄泉路や魔泉路を封じようとするのは、父の遺言のため。岸和田の身代わりになったときだって、岸和田を守るためだった。
振り返ると、確かに礼人は自分のために戦ったこともなければ、何をしたこともない。
人見は淡々と続ける。
「『人にあらざるべき力』はその力を使う明確な目的がないと、使いこなすことは不可能と考えられる。本来、人にもたらされてはいけない力なのだから、そこに確固たる意志がなければ、力にただ振り回されるだけ。今回のようにね」
人見の意見には納得できた。だが、意志、と言われると、いまいちぴんとこない。
確固たる自分のための自分の意志を持つべき。だが、人のためにしか戦ったことのない礼人には難しい問題だった。
悩み、だまり込む礼人に、人見がこう切り出す。
「例えば、自分が最も守りたい人のために戦う、とか」
「結局人のためじゃないか」
「意志が違うわ。思われていてもいなくても、関係ない。ただ自分が守りたいだけ。エゴというかもしれないわね。けれど、人の意志の根本というのは、エゴの塊でできているんじゃないかと、私は思っているの」
「エゴ……」
あまり聞こえのいい言葉ではない。だが、人見の解釈はこうだった。
「譬、独り善がりのエゴだとしても、それは誰かを思って持つ確固たる意志だと思うの。その誰かに思いが届かなくても、そのときそこにあった自分の心を人はそう易々と否定することはできない。岸和田一弥が兄を思い続けたのも一種のエゴよ。自己満足。それで彼はとんでもない過ちを犯した。けれど、その根底にはエゴという名の確固たる意志があったからこそ、『人にあらざるべき力』が適合したのだと思う」
手近にあったペンを取り、そのペン先をすっと礼人に向ける。
「簡潔に言うわ。──あなたも岸和田のように、命を擲ってでもいい、そんな存在を手に入れるべきだと思うの。相手がどう思っていてもいい。自分が守りたいから守る。そんな人物を手に入れることができたなら、あなたと『人にあらざるべき力』の相性は確実によくなる。
そういう心当たりはないの?」
人見に言われ、礼人は考える。
──真っ先に頭に浮かんだのは、まことだった。
エゴで人を好きになるということ。その人のためと言いながら、自分のために力を振るうことになる。それは行き過ぎれば、岸和田のように道を踏み外してしまう可能性が大いにあり得る。……そのことに、礼人は躊躇いがあった。
そんな礼人の躊躇を見て取った人見は、つん、と人差し指で礼人の額を小突く。
「黄泉路封じも魔泉路封じも成し遂げた今、あなたには目標がない。執念を燃やすような目的も、欲も。
……その『人にあらざるべき力』は執念や欲を糧にあなたの中で生きる。欲望に忠実なの。けれど、食べる欲や執念がなくなれば、他のものも食べていき、あなたはあなたじゃいられなくなる。そんなの誰も望んでいない。あなただって、望んでいないでしょう?」
礼人は黙る。人見の言うことは正論だ。
人見は更に付け加える。
「『人にあらざるべき力』とは言うけれどね、欲望、願望を叶えたいと願うのは誰しもが思うこと。むしろ、この能力の方が人間くさい。使い方さえ間違えなければ、あって然るべき力なの。あとは使い手次第。
……私はあなたが使い方を誤ることはないと信じてる」
だから、とは言ったが、皆までは言わなかった。
「……そうか」
礼人は頷き、俯いた。
話は終わったので、二人共、そこで別れる。あとは礼人次第なのだ。
礼人は部室には行かず、一人、寮の部屋に戻った。自分以外、誰もいない部屋。──かつては岸和田がいたのだった、とそこでふと思い出した。
岸和田が犯行を仄めかす発言を初めてしたのもこの部屋だった。だが、その岸和田はもういない。五十嵐と同様にいなかったことになってしまった。礼人は自分の身代わりになった二人のことを忘れないでいる。おそらく、身代わりになられたからだろう。
二人の消えた学園は、それでも何の不思議もないかのように回っていく。礼人の記憶がおかしいかのように。
それは仕方のないことだ。二人は黄泉の向こう側へ行ってしまったのだから。
礼人は岸和田のことや五十嵐のことを考えているうちに、あることに気づいた。
海の日、代永に憑いた穢御霊を倒すために応援に来てくれたのはまことだった。学園祭のとき、最終的に一緒に回って一緒に妖魔討伐をしたのもまことだった。黄泉路に入ってまで礼人を助けようとしてくれたのもまことだった。……礼人の傍にはいつも、まことがいた。
「……まみ」
呟いてみる。初めて呼び掛けたときも思った。……父もこんな風に母に呼び掛けたのだろうか、と。
少しずつ、胸に凝る感情の正体がわかってきた気がする。
それなら、と礼人は黄泉から持ち帰ったラジカセを押した。
母の声が流れてくる。
「魑魅魍魎を叱咤する叱咤する、蒼い月夜姫よ、おわせ」
召神の歌に応じて、礼人の部屋に蒼白い光が降臨した。




