歌唱特訓
まことがすう、と息を吸い込む。
目の前には黄泉路の絵。そこから、溢れる瘴気そこに浮遊霊が漂ってきて、瘴気に取り込まれ、あっという間に子猫の形の妖魔が現れる。猫型妖魔は強い。ここから逃がすわけにはいかない。
まことはきっと猫を見据え、歌い始める。
「切り裂け、切り裂け、刃よ
帰れぬ憐れな妖たちを、祓え!」
力のこもった歌唱が成され、猫がぎゃあお、と悲鳴を上げて消えていく。その勢いに、固定されている黄泉路の絵までもが揺らぐ。
横でぱん、と誰かが手を叩いた。静寂をよしとする図書室によく響き渡る音だ。まことがぎくりと肩を跳ねさせて、ぎこちない動作で振り向く。
「はい、失敗」
無情な一言を放ったのは、まことの後方に立ち、柱に凭れかかっていた岸和田だった。
う、とまことが苦々しい顔をする。
岸和田の傍らには胸を撫で下ろす人見がいた。
「破けるかと思った」
「ごご、ごめんなさい」
ちなみに、この練習は数日続いているのだが、最初の方は数枚破けた。黄泉路の絵のストックが幸いいくつかあり、手を加えてリアルなタッチに仕上げた。
「歌い出しだけでこの威力ではね。まあ、絵を破かなくなっただけ前進したけど」
「うう……」
「最初のが粉微塵になったのはさすがに悲しかった」
「ううう……」
まことを責めているのではないが、まことのテンションが下向きになっているのにはちがいない。
岸和田と人見はまことの訓練の後見人として立ち合っている。人見は絵を提供する側、岸和田はまことの浄化加減を見極めるためにそこにいた。岸和田はスサノオの魂の欠片を持っているため、瘴気の感覚が鋭い。結城でもよかったが、結城より岸和田の方が感覚が冴えていた。岸和田は浄化の感覚までわかるのだ。
浄化の感覚というのは、意識してもよくわからないものなのだ。気づいたら消えているという感じだ。その浄化力の強さの度合いというのを感覚で感じ取れる者は少ない。その浄化規模などで知ることができる者もいるが、やはり、感覚で、というのは難しいのだ。
そこで岸和田がまことのコーチを買って出た。
だが、まことはなかなか力のコントロールをできない。最初から見たら随分とコントロールできるようになったようだが。
初日は先程人見が口にした通り、黄泉路の絵を粉微塵にした。しかも、歌い出しだけで。
というわけで、歌い出し特訓をしている。歌い出しだけでこれだけの威力になるということは、歌詞にこもった言霊の力は充分にあるということだ。あとはどれだけの歌唱能力を乗せるかで歌全体としての威力が決まる。
今やっている特訓は通常の特訓とは違う。通常、特訓とは強くなるためにやるものだ。しかし、今回の目的はコントロールにある。まことはそのままで充分に強いし、まことの作った歌も強い。その威力は学園内にいる妖魔を吹き飛ばし、黄泉路を閉じるほどだ。正直、これ以上強くなる必要などない。
コントロール……強弱をつけるということは強めるのはもちろん、弱めるということもしなくてはならない。
まことはただただ強い。それが問題なのだ。
「もう一回」
「はい」
岸和田は妖魔が出てくるタイミングでまことに歌わせている。岸和田が黄泉路を開けていいのは一日に一回だけだが、瘴気はいつでも出せる。まことの高い能力で絵から出る瘴気が浄化されても、岸和田がそこにブーストをかければ、すぐに妖魔が発生する。岸和田がコーチになった理由の一つだ。
まことの目標は、妖魔だけを浄化すること。そうすれば、黄泉路の中に声が届いて、礼人を出口まで導けるかもしれないからだ。
今度は豹型の妖魔が現れる。理由はわからないが、猫科系の妖魔は強いらしい。
すぅ、と複式呼吸。
「切り裂け、きりさ」
「ストップ」
シャラップみたいなテンションで言われたので、まことは出鼻を挫かれた感じで固まった。だが、見ると、妖魔は浄化されている。図書室は静寂を保たれていた。まだワンフレーズも歌っていない。つまりこの状況はこの歌とまことの歌唱能力の凄まじさを物語っていることになる。
「……まさか、本当の出だしだけでこの威力とはね……」
岸和田が頭を抱える。いくらスサノオの力があるからといって、瘴気を何度も出すのは楽ではないのだろう。
だが、状況をこの場の誰よりも冷静に分析していた。
「これは言霊を利用する想像タイプの理論なんだけど、感情を込めれば込めるほど、言霊の力は強く作用するらしいんだよね。……長谷川さん、『切り裂け』という言葉にどれだけの感情を込めてるの?」
それは呆れのような台詞だった。
言われたまことはどきりとする。この歌の歌詞で最も登場回数が多い「切り裂け」というフレーズには、まことの並々ならぬ思いがこもっているのだ。まことから見た礼人の印象、彼の強さの象徴。それが「切り裂け」という言葉にこの上なくこもっているのだ。その言葉が力になっているのも無理はない。
「あ、あはは……」
「笑い事じゃない」
岸和田の突っ込みが耳に痛い。
「つまり、長谷川さんは最初の『切り裂け』だけで相当力んでいるってことになる。そして、最も感情のこもり、力を持った『切り裂け』という言葉は、歌詞中になんと六回も出てくる。そりゃ、黄泉路の一つや二つは消滅するでしょう」
語り終え、深く息を吐き出す岸和田。溜め息のように聞こえたそれに、まことはびくりと肩を跳ねさせる。
そんなまことを岸和田はじろりと見た。
「そんなびくびくしてないで、堂々と歌ってください。声を小さくすれば歌唱の威力が落ちるわけではありません。僕の分析が正しければ、あなたが今直すべきは、無意識に発動している想像タイプの技能です」
「想像タイプ?」
実は、歌唱タイプに精通する者の中には想像タイプの才能を秘めている人物が多いという。歌は歌詞があってこそ。歌詞が歌唱されたとき、言霊の力が発揮される、というのが歌唱という技能の一つの解釈として知られている。
万能タイプと呼ばれるまことは当然、想像タイプも習得している。しかも、万能タイプの中で歌唱に秀でているというから、想像タイプに覚えがあっても何ら不思議なことはない。
問題は、歌唱と言霊の併発が無意識であるというところにある、と岸和田は見た。それを意識して抑えるのが今回の課題クリアに繋がると思っている。
「あと、長谷川さん、歌うとき何を思っていますか?」
「えっ、歌うときですか?」
さっと頬を朱に染めるまことを見て、岸和田はなるほどな、と思った。
歌唱タイプの特徴その二なのだが、想像タイプとの併発でない場合は創作タイプとの併発であることがある。
創作タイプとは、イメージしたものを具現化する能力。イメージが鮮明であればあるほど、その効果を強く発揮する。まことは、万能タイプだ。当然、創作タイプも修めている。
更に言うと……これは推測だが、まことは礼人に恋心を抱いている。だからこんなに綺麗な詞が書けて、歌の力を存分に引き出す歌唱ができるのだろう。
昔から、愛の力は強いという。ありきたりな言葉だが、この理論は理に敵っていると言えた。……実際、岸和田もそうだったからだ。
子どもの頃から退魔能力が強く、兄が纏う瘴気から生まれる妖魔を片っ端から切り伏せていった。兄を守るために。それは家族愛であり、兄弟愛であった。愛と愛情は違うと言われるが、岸和田が兄に抱いていた感情は愛とも愛情とも呼べる。幼かったが故の、特別な感情だ。
だから兄のために妖魔を倒し続けたし、兄を失ってからは兄を探し出すためにどんな手でも使えた。スサノオの「人にあらざるべき力」を使いこなせたのもこのためだろう、と今になって思う。
今はそういった感情が落ち着いているから、冷静に、適切に能力を使用することができるが……
無意識の感情というのは技能を問わず、能力を揺るがす力がある。特に、愛は。
恋をするのは悪いことではない。恋愛感情を否定する資格は岸和田にはない。
だが、誰かが言わなければならないことだ。それを言って嫌な思いにさせるのなら、自分が言った方がいい。悪役には慣れているのだ。
岸和田は冷たく言った。
「君が阿蘇くんに歌を届けたいというのはわかる。ただ、その感情は歌うときだけは封じた方がいい。……恋愛感情を込めて歌うのはいけないことだ」
すると、まことの表情が歪んだ。悲しみを飲み込むような、苦しみが喉に突っかかったような。それから「頭を冷やしてきます」と部屋を出ていった。
「よかったの? 泣いてたよ?」
「泣かせたんだからいいんだよ」
そう告げて岸和田は気を紛らすように棚から本を一冊手に取った。
その手がページをめくることはなかった。




