71-3 新たなる一歩
「はい、お兄ちゃん」
妹は部屋備え付けのコーヒーサーバーでコーヒーを入れ、窓に向かって座り外を眺めている俺のテーブルの前に置くと、そのまま俺の隣に座り自分の分のコーヒーを啜る。
そして二人で何もせずにボーッと窓の外を眺めた。
真っ赤に焼ける空。オレンジの光が部屋に射し込む。夕焼けが街を染めていく。
ここより高い建物は周囲には存在しない。
……遥か先に見える富士の山のみ。
ちなみに最上階には展望フロアがあり有料で入れるので宿泊しなくてもこの景色を堪能出来る。
この部屋からは見えない海側の風景や、ベイブリッジも見る事が可能だ。
しかし、時間も人目も気にせず、ソファーに座りコーヒーを飲み、ゆっくりと変わっていく街の景色を眺めるのは、展望フロアーからよりも遥かに贅沢な観賞方法だって思える。
俺は目に入ってくる膨大な情報をある意味切り捨て、何も考えずその景色をただただ茫然と見続けていく。
ここに時計はいらない、その景色が時計がわりだ。
ゆっくりと日が沈んでいき、街の灯りが少しずつ点っていく。
時計の秒針のように、砂時計の砂粒が落ちていくように、少しずつ点灯していく街灯をじっと見ているだけで飽きる事は無い。
そして街灯と同時に家やマンションの灯りも点灯し始めていく。
遠くのビルの部屋は白い灯り、その隣のビルの部屋は少し赤みがかかっている事に気が付く。
白い灯りはオフィス、赤みがかっている灯りはマンションなのがわかる。
一家団欒の灯り、独り暮らしの灯り、残業の灯り、夜勤の灯り……そんな様々な灯りが俺の目に飛び込んでくる。
凄く素敵なプレゼントだ。
この美しい景色、赤く染まる富士の山、宝石のように煌めく街灯り、安らぎの時間……。
隣に座る美しく可愛い妹。
幸福感が俺をゆっくりと包んでいく。
そして……景色は夜に変わる。
遥か彼方迄続く、とんでもない夜景が目の前に広がる。
まるで空を飛んでいるかのような景色に俺は思わず息を飲んだ。
飛行機嫌いの俺は乗っている間、窓の外を見る事が出来ない。
だから絶対に見られないと思っていたその夜景を目の前にしてあまりの感動に身体が震えだす。
「ど、どうしたの? あ、お兄ちゃん? 怖い!?」
「いや」
「高い所苦手だったっけ?!」
そんな筈はないと知っているがもしもと思ったのだろうか、妹は慌てて俺にそう聞いてくる。
「いや、違うよ、平気……感動しちゃってさ」
「そ、そうだよね、あははは」
「ありがとうな、栞」
こんな素敵なプレゼントを……俺は栞を見つめ感謝の言葉を伝えた。
「ん?」
しかし栞は俺を不思議そうな顔で見つめる。
「あ、いや、この景色が誕生日プレゼントなんだろう?」
「違うよ」
妹は呆気なくそれを否定した。
「へ?」
「お兄ちゃんへの誕生日プレゼントがこの程度のわけ無いじゃない」
何を言ってるの? という顔で栞は俺にそう言った。
「この程度って……」
「あ、ああ! お兄ちゃんそろそろ予約の時間だから」
「え、あ、ああ」
妹はそう言うと俺の手を引っ張り、部屋から慌てるように出た。
ホテルのエレベーターで一度ロビーに出る。
そしてそこから直接ビルの飲食街に赴く。
入った店は某有名中華レストランだった。
「お兄ちゃん、しっかり食べて精をつけよう」
「いや、えっと……」
精をって、俺が何から突っ込んでいいのか迷っていると、直ぐに魚のカルパッチョが運ばれてくる。
「美味しそう~~」
目をキラキラと輝かせ栞は俺をじっと見る。
「あ、うん、頂きます」
栞はこういう時、決して自分から先に手を付けない。
俺が先に食べるのを待つのだ。
それを知っている俺は、急いでカルパッチョを口に運んだ。
「お、おいしい」
正直それほど好物では無かったので、いままであまり口にした事は無かったが、ここのカルパッチョは魚がとても新鮮で味付けも好みだった。
「よかった」
栞は俺の言葉にニッコリと微笑むとカルパッチョを自らの口に運んだ。
続いて小籠包、そしてニンニク料理や肉料理を次々と運ばれてくる……。
「美味しそう~~」
ニコニコと笑いながらそしてハフハフしながら小籠包を美味しそうに頬張る栞。
動画で小動物の食事を見ているようなそんな楽しい気分になるも、食事が進めば進む程、部屋に戻る時間が近付いて来る事になる。
不安と期待……今までずっと何事もなく過ごしてきた……わけではない。
でも、ギリギリ……俺のな中ではギリギリ兄妹という関係を保ってきた……つもりだ。
しかし、あの時の……記憶を失っていた状態から回復したあの時の事、そしてあれからの俺の栞に対する思いは、既に兄妹とは言えない。
でも、だからといって……栞に手を出すなんて……そんなの欲望の捌け口以外のなにものでもないだろう。
そういう事が描かれている漫画やアニメなんかはあるが、あれは全てファンタジーの世界なのだ。
お伽噺の世界なのだ。
そう、お伽噺は得てして残酷なのだ。
現実は……全て地獄に落ちる……。
でも、それでも良いって……栞と二人なら地獄に落ちても良い……そう思っている自分もいる。
栞が幸せならそれでも……。
「お兄ちゃん? 美味しくない?」
俺の手が止まっている事に気が付いた栞は心配そうな顔で聞いてくる。
「いや、大丈夫、美味しいよ」
俺は頭の中で何度か首を振った。
今は流されよう、そうなったらその時の自分の行動を信じよう。
俺は未来の自分に全てを託し、栞との食事を、この幸せな時間を楽しむ事にした。




