8話 VS盗賊団Ⅱ
「よくもまぁ、俺がいない間に仲間を眠らせてくれたなぁ……お嬢ちゃん」
その声は、くぐもっていて低く、舌の先に毒が混じっていた。
男の着ている黒いローブには、かすかに魔力の波動。指先に魔力が集まり始めていた。
この人も魔法使いだ――!
咄嗟に身構える。
「ははっ……ただじゃおかねぇぞ」
「そんなこと言える立場?村の人たちをあんな目に合わせておいて!……《アクアバレット》!」
私は手を頭上に翳した。瞬間、水球が三発、空中に生まれる。
敵に目掛けて、それを一斉に弾丸のように飛ばす。
「ほう。ちょいと魔法が使えるようだが、調子に乗るなよ?……《ウィンドシールド》!」
しかし、男は風の障壁を張って水球を受け流した。
わたしはというと、魔法と魔法がぶつかって生じた爆風で後退させられる。靴の裏がざり、と地面を擦った。
まさか、魔法で防がれるなんて――。
これまで戦ってきたのは、単純な動きしかしない魔物ばかり。魔法を使える相手なんて、初めてだった。
いや、冷静に考えれば、対人戦なんて当然こうなる。
頭ではわかっていたはずなのに――いざとなると、やっぱり違う。
『アメリア、集中しなさい!奴の動きに合わせて打つのよ!』
「わ、分かってる。よし……!」
心を落ち着かせて、もう一度。
「《アクアバレット》!」
めげずに水球を打つが――。
「そんなトロい魔法じゃ、俺には当たらねえよ!」
男はひらりと宙に跳ねて、こちらの攻撃を回避した。
戦闘慣れした者の身のこなしだ。目線は鋭く、わたしの動きをしっかりと観察している。
「っ……《アクアバレット》!」
焦りながらも詠唱を繰り返し、水球を打ち続ける。
けれども、男は動じない。
「魔法のコントロールが甘いな。それじゃあ防がれるぜ……ファイアボール!」
男の手から放たれた炎の弾が、こちらの水球と空中で衝突し、激しく蒸気を撒き散らす。
ごうっと熱風が吹き抜け、火花が辺りに弾け飛ぶ。反射的に身をかがめ、顔を覆った。
「きゃあっ!」
駄目だ、わたしの攻撃はぜんぜん当たらない。
焦りで足が動かず、心臓ばかりが早鐘を打つ。握った手のひらには、じっとりと冷たい汗が滲んでいた。
男はそんなわたしの様子を見て、にやりと口角を上げた。
けれど、三十分後――
形勢は、完全に逆転していた。
「な、何故だ!なんで、魔力が切れねえんだよ……っ!」
相手の男が青ざめた顔で膝をつく。
額には玉のような汗が浮かび、肩は荒く上下していた。
魔力とは、この世界のありとあらゆる生き物に備わっているエネルギーだ。
魔法を使えば、それに比例して魔力は消費される。生物が体内に蓄積しておける総魔力量には個人差があり、尽きてしまえば魔法は一切使えなくなる。所謂、魔力切れだ。
男はきっと、わたしがすぐに魔力切れを起こすと踏んでいたのだろう。
だから、無理に仕掛けることはせず、ひたすら受け流しに徹して、わたしの魔力が尽きる瞬間を待っていた。反撃の機会を虎視眈々とうかがいながら。
だが、男の目論見は、見事に外れた。
わたしは今もなお、魔法を絶え間なく撃ち続けている。
そして、彼の方が先に限界を迎えた。
「思惑通りにはいかずに残念だったね……《アクアバレット》!」
呪文を唱えれば、宙にいくつもの水球が浮かび、間髪入れず相手へと叩きつける。
幾度目になるか数えることも忘れた。けれど、そのどれもが、威力も、速さも、衰えていなかった。
わたしがこうも魔法を打ち続けられる理由――それは、聖女だからだ。
通常なら、体内の魔力を使い果たせば、魔法はもう使えない。
けれど、わたしは精霊から魔力を借りることができるし、それだけじゃない。空気に満ちる魔素、大地に宿る力、草木に流れる命のエネルギー……
自然のすべてから魔力を集めることができる。
つまり、わたしには“限界”というものが存在しなかった。
「ぐああっっ!!」
最後の水球を避けきれなかった男は、鈍い音を立てて地面に崩れ落ちた。
「どんなもんだい!」
むふーっ。ちょっと誇らしげに胸を張った。
胸の奥にじわりと広がるのは、誇らしさと、ほっとした気持ち。
魔法が当たらなかった時は、本当に焦ったもんな。
『ひやひやしたぞ!もっと火力の強い魔法を使えばよかったんじゃないか?』
イグニが、ふくれっ面で周囲をくるくる回る。
「うーん……確かに火魔法を使えば、戦闘をもっと早く終わらせられたかもしれない。でも、威力が強い分、相手を傷つけるどころか、命を奪ってしまうかもしれないでしょ?」
『アメリアは優しいね』とユグルが穏やかに言う。
優しい――とは少し違う。ただ、まだ人を殺す覚悟なんて、自分には持てないだけ。
いずれにせよ、辺境の村を悩ませていた盗賊団は――その夜、静かに壊滅した。
討伐が終わったあと、わたしたちは村へ戻った。
すっかり夜だというのに、村はどこかざわついていた。焚き火の明かりが広場を照らし、戸口からひとり、またひとりと人々が顔を覗かせる。
張り詰めた空気の中に、ほのかな期待が混じっていた。
「君!さっきの魔法使いだね。無事だったか……!」
駆け寄ってきた村人が、わたしの姿を見るなり安堵の息を漏らす。
わたしはこくりと頷いて、笑顔を向けた。
「はい!盗賊たちは捕まえましたよ!」
その報告に、どっと歓声が上がる。
緊張の糸が切れたように、子どもが泣き笑いしながら母親に抱きつき、大人たちは互いに肩を抱き合う。言葉にならない思いを胸に、それぞれの仕草で喜びを表していた。
「ありがとう……!本当に、ありがとう……!」
白髪の女性が、涙をこぼしながら深く頭を下げた。
震える手でわたしの手を握り、何度も「ありがとう」と繰り返す。
その手は皺だらけだったけど、温かかった。
ほかの村人たちも続いてやってきて、わたしたちを笑顔で囲んだ。
わたしはただ、できることをやっただけ。
もし助けなかったら、村の人たちが苦しんで悲しむと思ったから……。それが嫌で、ただ責任感や罪悪感に背中を押されて動いただけなのに。
それでも――誰かの力になれたこと。小さな手に感謝を握られたこと。その温もりが、心のひだに静かに染み渡り、素直に嬉しいと感じている自がいた。
その夜、村では小さな祝宴が開かれた。
家々から持ち寄られた木の机が広場に並べられ、その上には村人たちが心を尽くした料理が次々と置かれていく。
香ばしく焼かれた獣肉は、切り分けられるたびに脂がじゅうっと音を立て、立ちのぼる煙と匂いに子どもたちの目が輝いた。大鍋の中では、野菜や豆、骨付き肉がぐつぐつと煮込まれ、湯気が絶えず立ちのぼっている。
その湯気の向こうでは、笑い声やおしゃべりが絶え間なくこぼれる。
小さな子どもがスープを口いっぱいに含んで「熱っ」と舌を出すと、周りがどっと笑いに包まれた。
隣に座った少年が、こっそり獣肉を自分の皿に多めに取ろうとして母親に頭を軽く叩かれ、むくれた顔をしている。
わたしもその輪の端に腰を下ろし、差し出された木椀を受け取った。
スープをひと口含むと、野菜と肉の旨みが舌の上で溶け合い、体の芯まで温まっていく。
「どうだい、お口に合うかね?」
年配の男性が笑顔で声をかけてくる。
「はい、とても……!すごく美味しいです!」
思わず答えると、その言葉に周囲の人々が「だろう?」「うちの自慢の味だからな!」と誇らしげに笑い合った。
「盗賊を退治してくれてありがとうな!」
別の男性が真っ直ぐな声でそう言い、さらに獣肉をわたしの皿に盛ってくれる。
「この肉、俺が獲ったんだ。遠慮なく食ってくれ!」
わたしはこくこくと頷いて、一切れを口に運んだ。噛むたびに肉汁がじゅわっと溢れ、野趣あふれる味わいが口の中に広がっていく。
……みんなでご飯を食べるのって、こんなに美味しいんだ。
教会に居た頃はずっと一人だったから、こうして大勢で囲んでの食事は久しぶりだった。忘れていた感覚が、胸の奥からじんわりと蘇ってくる。
そして、翌朝。
空が白みはじめ、朝露が草の葉で光るころ、わたしは旅支度を整え、静かに村をあとにした。
「ありがとう!」と手を振る人々の声を背に、湿った土の香りとともに、細道をまっすぐに歩き出した。
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