32話 これからの話
兵士たちが殿下を縄で縛り上げると、地下を支配していた殺気が一気に薄れ、張り詰めていた空気がほどけていく。
わたしは肩から力が抜けるのを感じながら、大きく息を吐いた。冷たく湿った空気が肺に流れ込む。
それでも胸は落ち着かず、わたしは傍らに立つ領主に視線を向けた。
「……あの、領主様。どうして、わたしがここにいるって分かったんですか?
それに……いつから、わたしのことを“聖女”だって気づいていたんですか?」
問いかけに、領主はわずかに目を伏せ、深く息を吐いた。だが、すぐに真っ直ぐにこちらを見据えて答える。
「クラーケン討伐の折――最後に放った、あの光の魔法を見てです。……聖属性に似た、いや、それそのものの輝きを放った。あれを見て、もしやと考えました。海に漂っていた瘴気も消えていましたから」
わたしの胸が、どくんと大きく鳴った。
ああ、やっぱり……。仕方なかったとはいえ、あの時、あの魔法を使ったのは失敗だったかな……。
領主は苦笑を混ぜて続ける。
「だから宴の折にも、貴方の様子を気にしていました。しかし、突然姿を消したと聞いて……嫌な胸騒ぎを覚えたのです。
それで兵を動かして捜索した。……案の定、この地下に閉じ込められていたとは」
言葉の端々に、安堵と怒りとが入り混じっている。
その真摯な眼差しを受け止めきれず、少し居心地が悪くなって目をそらす
「その……迷惑かけてごめんなさい……!」
すると領主は目を大きく見開き、首を横に振った。
「迷惑なんて、とんでもない!」
声に強い力がこもっていた。
次いで、領主は深く頭を垂れる。
「改めて、申し上げます。この度は、我が国が長年手を焼いていた“夜の森”の瘴気を祓ってくださっただけでなく、海域にまで及んでいた穢れを浄化してくださった……。帝国を代表して、心より御礼申し上げます」
領主はゆっくりと近づき、落ち着いた声で言った。
「まずは、無事でいてくれて何よりです。貴女が聖女かもしれないと気づいていながら、誘拐を防げなかった。それが悔しくてならない。申し訳なかった。しかも、聖女ご自身で解決された後に馳せ参じるとは……」
領主の声は低く、しかし明確な後悔が滲んでいた。わたしは慌てて首を振る。
「いえ、大丈夫です! むしろ……助けに来て下さって、ありがとうございました!」
短い沈黙が落ち、わたしは思い切って気になっていたことを尋ねる。
「……殿下は……いえ、アルヴェイン王国は、これからどうなるんでしょうか?」
その問いに、領主は表情を引き締めて答える。
「聖女様。これから申し上げることは、貴女の祖国の今後に大きく関わる重要な方針です。どうか、心してお聞きください」
「……はい」
「これまで我がエルシオン帝国は、アルヴェイン王国に対して強く出ることを控えてきました。
その理由のひとつが、“夜の森”の存在です。瘴気に満ち、魔物が絶えず溢れ出す森を抑えるために、軍の力も資源も割かざるを得なかった。我らには、アルヴェイン王国の対抗どころではなかったのです」
「……それに、アルヴェイン王国の結界があったから、手出しもできなかったんですね」
「はい。ですが――今、状況は変わりました。夜の森の瘴気は、貴女のおかげで浄化された。そしてアルヴェインの結界も、以前に比べて明らかに弱まっている。理由は定かではありませんが……おそらくは、聖女様を追放した影響でしょう。ようやく我が国はアルヴェイン王国に対して手を打てる立場になった」
わたしが追放されたという事実は、隣国にも伝わっていて当然だろう。
わたしは唇を噛んで、そっと目を伏せる。
「……わかります。でも……その……国民たちは、どうなるんでしょうか?」
辺境の村の人々の顔が脳裏を過る。
領主の表情が和らいだ。わずかに目を細めて、優しく頷く。
「聖女様のご心配はもっともです。我々もまた、無用な戦火を望んでいるわけではありません。目的はただ一つ、アルヴェイン王国による不当な干渉を止めさせることです。
ゆえに、我が国はあくまで“殿下個人の問題”として、慎重に対応する所存です。アルヴェイン王国に対し、我らが断じて臆していないことを明確に示すために」
「……ありがとうございます。……その言葉が聞けて、ほっとしました」
「そして、結界の弱体化により、アルヴェイン国内で生活に支障をきたす地域や集落があるのであれば、我が国としても、必要な支援を行うつもりです」
「……それなら、良かった。わたしも安心出来ます……」
結界の弱体化で一番に影響が出るのは、辺境に住む人々だ。領主の言葉に心が軽くなる。
「もし――聖女様がこの地に留まりたいと望まれるなら、いくらでもいてくださって構いません。我が国は喜んで、貴女を“我らが聖女”として、誠心誠意お迎えします」
領主と話すうちに、誠実な人柄が伝わってきた。
わたしを追放した人々とは違い、この国ではきっと、大切に扱ってもらえる……そんな気がした。。聖女だとバレたときは、どうしようかと焦ったけれど、彼の言葉に滲む誠実さに触れるうち、強ばっていた気持ちは少しずつほぐれていった。
だけど、他の人々がどうかは分からない。
そして何より……わたしには、この国に縛られてはいけない理由がある。
「ごめんなさい!わたし、世界中の瘴気を払ってくれるように精霊たちに頼まれてるんです」
わたしは真っすぐに答えた。
領主は短く息を呑み、やがて静かに頷いた。
「……そうでしたか。それならば我が国としても、精霊の願いとはすなわち、女神の御心。聖女様のお志を、決して妨げることはいたしません」
「はいっ、ありがとうございます」
そう、私には果たさないといけない使命がある。
……というのは建前。
いや、実際のところ、世界中の瘴気を払うつもりなのだけど。
教会を離れて、殿下との縁を断ち切り、しがらみがなくなった今、
……わたしは自由に生きたい。
そう決めていたから。
多分、これからアルヴェイン王国は制裁を受けます。よりにもよって、聖女を追放してますし。
殿下は勿論、アメリアに嫌がらせしていた貴族たちの未来も危ういんだろうなあ……という感じですね。




