27話 戦いが終わって……
「アメリア!!」
甲板からの声に顔を上げる。
ジェシカとディーンが必死に身を乗り出し、ロープを投げてくる。
しぶきを浴びながらそれにしがみつくと、力強い腕に引き上げられ、ようやく固い木の感触を背にした。
「よかった……本当に……!」
ジェシカの目には涙がにじんでいた。
ディーンも無言でわたしの肩を支え、荒い息を吐きながら天を仰ぐ。
見下ろした海は、すでに静まり返っていた。
赤黒い濁りが波に溶け、先ほどまで暴れていた巨体は、深海の闇へと沈んでいったのだろう。
「……倒したんだね」
掠れた声でそう呟くと、仲間たちの歓声が甲板に広がる。
わたしの胸には言いようのない疲労と、深海で見たあの真紅の眼の残滓がまだ焼き付いていたけれど、胸の奥にじわりと実感が広がる。
死の淵まで追い込まれ、なお生き延びたこと。
そして――精霊ティアと共に、あの怪物を打ち倒せたこと。
(……ティア、ありがとう)
心の内で囁くと、小さな光が肩先に寄り添い、くすぐったいほどの温もりが伝わってきた。
『もう……あんな危ないところで何してるのよ!』
小さな声なのに、その叱責は胸に突き刺さった。怒っているのは、心配してくれているから。分かっているからこそ、返す言葉が見つからない。
妖精たちはわたしにめいっぱい叱ってきた。
『心配したんだぞ、ばかっ!ばか、ばかっ!』
『アメリア、ケガしちゃやらの~!』
『本当に無茶ばかり……。お願いだから、自分の身も少しは大事にしてくれ』
小さな声でも、その怒りと心配は痛いほど伝わってくる。
そんなわたしを抱きしめたのはジェシカだった。
強く、痛いくらいに。濡れた髪が肩に触れ、彼女の震えが伝わってくる。
「ありがとう……ありがとう、アメリア……!」
涙混じりの声が何度も繰り返される。
わたしはその腕の中で、かすれた声を絞り出した。
「アタシを助けに海に潜ったんだよね!?すっごく、心配したんだよ!」
「はは、心配させてごめんね……」
ジェシカがわたしを庇って海に引きずり込まれた時、助けなくちゃと考えるよりもはやく、わたしは海に飛び込んでいた。
戦いの最中に彼女を失うかもしれなかった。そう思うと、今も胸の奥がひんやりと冷たい。
「お礼を言うのは、わたしのほうだよ。……ジェシカが無事で、本当に……よかった」
やがて、ディーンが歩み寄ってきた。戦場では見せなかった緩んだ表情で、深く息を吐きながら言った。
「まさか、クラーケンを倒しちまうとはな……」
「ううん、みんなが攻撃して弱らせてくれたからだよ。たまたま留めを差していたのが、わたしだっただけ!」
実際、わたしが必死に海の中で魔法を放っていたその時も、他の冒険者たちは船上から攻撃を続けていたらしい。
後に聞かされた話では、クラーケンはわたしと水中で相対している最中でさえ、触手による船への攻撃を止めなかったという。
剣を振るい、魔法を放ちながら、必死に応戦していたそうだ。
「そうか……」
それでも納得しきれないように、ディーンは眉をひそめる。そして低い声で問う。
「だが、最後に使ったあの魔法はなんというんだ? 水と火の属性しか使えないと聞いていたが……あの光は、まるで――」
わたしは一瞬言葉を詰まらせ、微かに笑みを浮かべて誤魔化す。
「……企業秘密!」
軽口のように返したけれど、本当は笑ってなんかいられなかった。
あの光は、わたしの秘密――“聖女の力”。
誰かに知られたら、どうなるか分からない。
その後、領主からも直々に感謝の言葉を伝えられた。
「貴殿の魔法は実に見事だった。今回の討伐での貴殿の貢献は大きい。感謝する」
「いや~それほどでも……」
領主自らの称賛――それは、思いもしなかった展開だった。
本来は誇らしいはずなのに、胸の奥にはひやりとした感覚が居座る。
ああ、貴族には目をつけられなくなかったから、出来るだけ目立たないようにしようと思ってたのに……。
けど、かならず、あいつは倒さないといけなかった。
だから仕方なかったとはいえ、
やっぱり最期にあんな大技を使ってしまったのは、やっぱりマズかったかもしれない。
「……しまったな」
胸の奥に、不安の棘がちくんと刺さった。
「それにしても……」
あのクラーケンは、他の誰でもなく、私を狙っていたようだった。
まるで、聖女であるわたし自身に深い怨みでもあるかのように。
あの赤い眼に宿っていた憎悪を、わたしは忘れられない。
獣の本能ではない。
もっと、人に近い、ねじれた恨みの色。
背筋を冷たいものが這い上がる。
「……いや、考えすぎだよね」
やがて船は陸地へと戻り、港では大勢の人々が手を振って迎えてくれた。
その熱狂に包まれながらも、わたしの心はどこか落ち着かず――ざわめく波の音が、ひときわ耳に残っていた。




