25話 VS???
「下になにか、いる―――!?」
再び船底を突き上げる衝撃。
わたしの心臓も大きく跳ね上がり、喉の奥がきゅっと詰まる。
混乱するわたしの耳に、冒険者たちの絶叫が飛び込んできた。
「魔物だ!!まだ他にも魔物がいたぞ!!!」
その言葉に誰もが息を呑んだ。
海の底を悠然と泳ぐのは、戦艦にも匹敵するほどの巨大な魔物。
「皆の者、気を確かに!!!体制を整えろ!!!」
領主の声が響き渡る。その声にはっとして、冒険者たちは武器を構えたが、その動きは縫いとめられる。
海を割るように、十メートルを優に超える黒い柱が突き出した。
続けざまに、噴き上げられた海水が雨のように降り注ぎ、冒険者たちを容赦なく叩きつけた。
視界を奪われ、びしょ濡れになったわたし達が目をこすりながら見上げたとき――そこにあったのは、柱ではなかった。
それは一本の巨大な触手だった。
無数の吸盤が並び、その一つひとつに牙のような突起がぎっしりと並んでいた。
巨大で長い触手。
それが船に纏わりつき、甲板のあちら此方を壊し悲鳴を上げさせていた。
木材が粉砕され、冒険者たちの悲鳴が響き渡る。
その恐ろしい光景に、冒険者の一人が喉を引き裂くような声で叫んだ。
「クラーケンだ!!」
わたしもその名は知っていた。
――クラーケン。
大海を統べる古き魔物。かつて神が創り出したとされ、海を渡る者にとって最大の畏怖とされる存在。
まさか、それが現実に目の前に現れるなんて――。
「クラーケンだと!?」
「は、はあ!?そんな化け物が出るだなんて聞いてねえぞ!」
青ざめた顔、揺れる足取り。
誰もがその巨影に息を呑み、足を縫い止められたかのように動けずにいた。
わたしも同じだ。心臓が耳元で脈打つように早鐘を打ち、呼吸すらうまくできない。
しかし、冒険者たちの悲鳴や嘆きも、次々と海面に現れる触手が出す音にかき消された。
叩きつけられる触手。軋みをあげる船。潰される男の断末魔。
ひとつの触手が船から離れれば、また別の触手が甲板に叩きつけられる。撒き散る船の木片に、呻きを上げたり、悲鳴をあげる冒険者たち。
しかし、呆然と立ち尽くしているわけにもいかない。
「おい!このままじゃクラーケンに船を壊されちまうか、転覆するぞ!」
このままでは、いずれクラーケンの力で押し潰されるか、職種で船に穴を開けられて沈んでしまうか。
どちらにしろ、海のもくずになるのは変わらない。
喉の奥から込み上げる絶望に、胃の中まで冷たくなる。
『大丈夫よ、落ち着きなさい。アメリアには私達がついてるわ。冷静に戦うのよ』
その声に縋りたいのに、恐怖が理性を蝕む。
「でも、もしもの事があったら――イグニは、泳げないのに……」
『……っ、今は自分の心配だけしなさい!』
怒鳴るような叱咤に、かろうじて意識を現実へ引き戻される。
仲間たちは必死に抗っていた。クラーケンの足を切ろうと、武器を振り下ろし、差し込む。
だが、クラーケンの巨大な足からしたら、かすり傷程度しか負わせることができない。
「ああ、もう!まさか、こんな大物がいるだなんてッ!」
ジェシカも弓矢を放つが、太い脚に刺さるもののダメージが効いている様子はない。
みんなが絶望に染まるなか、勇ましく立ち向かう冒険がひとりいた。
「うおおおおおおおお!!」
ディーンだ。ディーンは宙を跳ね上がって、中の一番高いところに身体が浮き上がった瞬間、両手に大剣の柄を強く握り、真上から打ち下ろす。
――ズバッ!
太い腕を一本立ち切った。
わたしもジェーンに倣って、魔法を繰り出す。
「《アクアカッター》!」
わたしが放った魔法は、周囲の雨水や飛び跳ねる水滴から巨大な水の刃となり、クラーケンの足を一本切断した。
しかし、切断された足を海中へ引っ込めたクラーケンは、すぐさま新たな足を海面から覗かせる。
わたしも次なる魔法を放とうと詠唱に入る。
けれど、轟音とともに触手が船体を揺さぶり、その衝撃でわたしは甲板に足を滑らせた。身体が大きく傾き、視界が揺れる。
その隙を見逃さないかのように、クラーケンはわたしを目掛けて足の一本を振り下ろしてきた。
「危ない!」
ジェシカがわたしを庇うように前方に躍り出る。
そして、そのまま――わたしの代わりに、冷たい海の中に引きずり込まれた。
「!!!ジェシカ―!!」
甲板から手を伸ばす間もなく、彼女の姿は白い飛沫の中で巨大な影に呑まれていった。クラーケンの黒々とした触腕が、渦を巻く海の奥へと引きずり込んでいく。
思考など追いつかない。
体は勝手に跳ね、海へと飛び出していた。
――その刹那、頬を撫でる風がざわめく。
フィーだ。
『きをつけてっ!』
透明な空気の膜が全身を包み込んだ感覚がした。
――ざばぁん!
氷のような海水が全身を突き刺す。それでもわたしは呼吸ができていた。
フィーが与えてくれた空気の膜が、わたしを護ってくれていた。
暗い海をひたすら下へ――。
水圧が骨を軋ませ、耳の奥がずきずきと痛む。背後の光はもう遠く、闇が視界を塗りつぶしていく。
やがて、その奥に……爛々と輝く赤い光。
巨大なクラーケンの目だった。無数の触腕が、もがくジェシカを絡め取ってさらに深みへ引きずり込んでいく。
(――ジェシカ!)
わたしは必死に泳ぎ、手を伸ばす。
だが触腕が何本も立ちはだかり、鋭い鞭のように襲いかかる。
(させるもんか!)
わたしは魔力を解き放ち、手を突き出した。
風の刃が水中を切り裂き、海そのものを逆巻かせる。激流となった水がクラーケンの触腕を切り裂き、黒い血が海に滲んだ。
クラーケンの咆哮が、海そのものを震わせた。
水流が乱れ、わたしの身体が渦に巻かれる。息が乱れそうになるたび、フィーが作った空気の膜が優しく肺を支えた。
――負けられない。
わたしは両手に魔力を集中させ、海を震わせるほどの水の刃を解き放った。
「もう一発!《アクアカッター》!」
水の刃は水中でうねり、巨大な触腕を裂き、怪物の体を深々と切り刻む。
その風刃は水流を切り裂き、渦を巻きながら伸びた触腕を裂き裂き、怪物の巨体を深々と切り刻んだ。
水中に紅い濁流が広がる。
激痛にのたうつ触腕が一瞬だけ力を緩める――その隙を逃さず、わたしはジェシカを抱きとめた。
彼女の体はぐったりと力を失っていたが、まだ温かい。
(……間に合った……!)
胸にぎゅっと抱きしめ、必死に水面を目指して泳ぎ出す。
息の膜は保たれている。それでも肺は焼けつくようで、体は鉛のように重い。けれど、絶対に離さない。
やがて、揺らめく光が見えてきた――海面だ。
そこには、同じように海へ飛び込んでいたディーンの姿があった。
目が合う。互いに無事を確かめ合うようにうなずいた、その瞬間――
――ぐん、と。
冷たい感触が足を絡め取った。
「……っ!」
黒々とした触手がわたしの足首を締め上げる。
咄嗟に抵抗するも、振りほどけない。
せめて彼女だけは――!
水をかき分けて近づくディーンへ、わたしはジェシカを必死に押し出す。
彼がしっかりと抱きとめたのを見届けた瞬間、わたしの体はずるずると暗い深海へと引きずり込まれていった。
深い、深い、闇の底へ。
間違えて次話も更新してしまいました。
一時取り下げて、改めて明日更新させて頂きます(すみません!)




