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17/33

17話 VS???

数日後――とうとう、わたしたちは夜の森を離れることになった。


その間、農作業をしたり、料理をしたりして。

わたしと精霊たちは、森の奥で、穏やかで豊かなスローライフを満喫していた。


けれど、いつまでもここに留まるわけにはいかない。

長く続いた浄化の任もようやく終わりを迎え、森を覆っていた瘴気はすっかり消え去っていた。


「……そろそろ、行こうか」


静かにそう呟くと、肩に乗っていたイグニが、名残惜しそうに「うん」と頷いた。


アイテムボックスに日用品をひとつずつ収めていく。レンガで組んだ小屋は、土魔法でさらさらと土に還していく。

最後に張っていた結界を静かに解除すると、森の風がすうっと通り抜けていった。


「じゃあね、夜の森」


意気込んで一歩を踏み出した、そのときだった。


風さえも止まり、木々はまるで呼吸をやめたかのように沈黙した。

森を満たす空気が、異様な重さを帯びてゆく。


「……ようやく、お出ましだね」


わたしは足を止め、薄く唇を結ぶ。


その瞬間、空気がびり、と裂けた。この数週間、ずっと感じていた“視線”の主が、ついに姿を現したのだ。

地の底から噴き上がる黒い霧。

ざわり、と木々が身をよじり、あっという間に辺りが闇に飲まれていく。


そいつが現れると、まるで夜が来たみたいに辺りが暗くなる。

生み出される濃密な瘴気が上空を覆い隠し、昼間にもかかわらず陽光は一片たりとも地に届かなくなる。


ざわ……ざわざわ……。


瘴気そのものが音を立て、闇が生きているように脈打ち、呼吸する。

やがて、霧の向こうから、それはゆっくりと姿を現した。


巨大な黒い猪――筋骨隆々たる体躯に漆黒の毛並み。

獰猛な牙が月光のない闇の中に鈍く光り、六つの眼が怪しく瞬いていた。


――夜の森の主。


この森に古くから棲みつく、支配者にして、特級指定の魔物。

見るだけで背筋が凍る、異界の闇をまとった存在だ。

「夜の森には恐ろしい魔物が潜むから近づくな」と人々が語り継いできた、その正体がいま目の前にある。


『アメリア、あいつは危険だ……』


背後に浮かぶユグルが、珍しく強張った声を出す。


「わかってる。あれが“森の主”なんでしょ?」


『無理に戦わなくていい。君が怪我したりしたら――……』


「でも、あれを放っておいたら、また瘴気が生み出されるんでしょう?せっかく浄化したのに、無駄になっちゃう」


それに、逃げられるとも思わなかった。

瘴気を払われて怒っているのか、強い殺気を感じる。森そのものが、あの魔物の支配下にあるような圧力が、四方八方から押し寄せてくる。


ぶるりと身震いする。武者震いと言いたいところだったけど、全然違う。

本当は怖くてたまらなかった。心臓が張り裂けそうなくらい脈打つ。だって、前世はただの女子高生。聖女と呼ばれても、魔法が使えても、中身はただの女の子だ。


怖い。けど、戦わなくちゃ。


そう、世界を守るために――。

……世界が滅びるかもしれないなんて話を聞かされた後じゃ、おちおち冒険も楽しめないからね!


わたしは胸の前で両手を組み、息を静かに吸い込む。

次の瞬間――


「《ファイアボール》!」


ぱんっと弾けるような音とともに、わたしの周囲に次々と火球が生まれた。

中心に立つわたしの髪がぶわりと熱風に舞い上がり、視界の端で赤々と揺れる。若葉色の瞳に灯る光が、闇を貫くように“それ”を射抜く。


「いっけぇっ!」


生み出した火の球を一斉に放つ。

炎が奔流となって闇を裂き、夜の森を一瞬にして赤く染め上げる。


「……よしっ!」


勝利を確信しかけた、その刹那。


炎の帳を押し分けるように、黒き巨猪が姿を現した。

全身を焼き尽くすはずの熱をものともせず、むしろその身に炎を纏うように悠然と歩を進めてくる。

肌を焦がすほどの熱を浴びても、苦痛の色すら見せない。 六つの眼がぎらぎらと光り、逆に獲物を値踏みする冷たさでわたしを見下ろしていた。


「……なるほどね」


唇を噛み、わたしは吐き捨てる。


「さすが、ただのモンスターとは格が違うってわけだ」


ガアアアァァァッ!!!


獣の咆哮が森を震わせる。

地を削るような蹄の音とともに、“夜の森の主”がこちらへ突進してきた。

その巨体は、まさに破壊の塊。振動が足元から響いてくる。


「わっ、まずい……!」


避けようとするけど、間に合わない。突進が、速すぎる――!

そのときだった。ユグルが庇うように前へ出る。


「《タングル・グロウス》ッ――!」


バシュッと音を立て、地面のあちこちから木の根がいっせいに飛び出した。

それはまるで生きている蛇のようにうねりながら、突進してくる大猪の足元を狙う。

太く逞しい根が、突進の進路を横切るように伸びて絡みついた。


「ッ!?」


巨大な猪の魔物がバランスを崩した瞬間――

根が脚を取った。

そのまま勢い余って、夜の森の主が地面に叩きつけられた。


ドオォンッ!!


巨体の衝撃に、森全体がどよめく。折れた枝が宙を舞い、闇のなかに舞い上がる砂塵。

その中心で、倒れ伏した黒き猪の魔物が低く唸りをあげた。


『今だ、アメリアっ!』


ユグルの声が風を裂いた瞬間、わたしは一歩、前へと踏み出した。

風に舞うストロベリーブロンド。紅と金を溶かしたような光が暗闇のなかで反射して、視界の端まで広がっていく。


「――この一発で、終わらせる」


胸の前で組んだ両手に、熱が集まる。

肌の下で脈打つ魔力が火花を散らし、わたしの身体そのものが灯火と化すかのように輝きを増していく。


「聖なる火よ、天より(とどろ)け――《セラフィック・フレイム》!」


瞬間、音もなく落ちた――

一条の炎が、天より神の槍のように降り注いだ。


闇に包まれた森の中、その一角だけが白く灼かれる。

聖火のごとき炎が黒き魔物の全身を貫き、輝きとともに焼き尽くす。


魔物の雄叫びがこだまし、やがて消える。

残されたのは、灰のように崩れ落ちる黒き塊と、静寂。


膝ががくりと折れた。

強力な魔法を放った反動で、糸がぷつりと切れたように全身から力が抜け落ちる。支えを失った身体は、重力に引きずられるまま地面へと崩れた。暫くは動けそうにない。

戦いの余熱が肌を伝い、心臓がまだ早鐘のように打ち続けている。


『おーやったぁ!……アメリア、勝ったぜ!』


イグニの歓喜の声に、わたしは力なく微笑む。


「うん。……これで、夜の森も、少しは静かになるかな」


見上げた空が、少しずつ明るくなっていく。

霧のすき間から差し込む光が、金の筋になって森を照らす。


夜が、終わったんだ――。


こうして、夜の森の主は討たれ、長く続いた瘴気の支配に、幕が下りたのだった。


今日でスローライフ編は完結です!

あと、試験的にタイトルを変えてみました。「ちっちゃくてかわいい精霊」が一番の売りかな~と思いまして……。

面白いと思っていただけたら、☆マークから評価・お気に入り登録をしていただけると嬉しいです。

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