38話 別れと決意
屋敷は平穏を取り戻した。
襲撃を示唆したジョセフと実行犯の賊たちは厳しく処罰するとのことだ。
のちに、ジョセフは裁判にかけられた。彼の生家であるヴァーノン家には多大な賠償を求め、ジョセフの身柄引き渡し後の刑罰執行は全てクリスティアーナに一任とのこと。また未払いであろうルビーセットを手掛けた工房へ支払いも求め、難癖をつけられては困るのでその工房の職人たちは領民としてもらい受けた。もちろんこの事件は王都の社交界にも衝撃を与え、世間を大いに賑わせたそうだ。
その後ジョセフはどうなったのか。
リリアーナが聞いても姉は何も答えてくれず、意味深な笑顔を浮かべるのみだったという。
◇
ダニエルが作ったという守護紋付きの魔石。
あれは恐ろしいほどの可能性を秘めているとクリスティアーナは確信している。ネックレスについていた石は無くなってしまったが、イヤリングにふたつ、指輪にひとつある。これからもきっとリリアーナを守ってくれることだろう。
それに工房の職人が直接の届けにきたあのネックレス。
(……あれは本当にリリアーナに似合っていた。光輝く繊細な石は小花のように可憐で)
ダニエルという人物をそら恐ろしく感じるほど。
愛が成した奇跡と言うのなら、クリスティアーナが思っている以上に愛とは恐ろしく、また尊いものなのかもしれない。
魔力持ちだとしてもさほどではないと本人の申告を鵜呑みにしていた過去の自分に恥いる。身体能力に特化したと言ってもせいぜい怪力程度と侮っていた。もしリリアーナと無関係でも手元に置きたい人材だ。できれば守護紋魔石についても研究したい。
「なあ主人よ」
休憩時にダニエルについてぼんやり考えているとポチが話しかけてきた。
「なにかしら」
「おまえ、ジョセフのジュエリーなんてそもそも評価する気なかっただろう」
今更なにを言っているのやら。
「私は最初にちゃんと言ったわ。リリアーナに相応しいかどうか。値段は関係ないとね。そうなると決め手は私の主観なのだから、そこに個人的感情が加わっても仕方ないわよね」
あの男はクリスティアーナのものだったとは言え、妹を巻き込んで騒動を起こした慰謝料くらいは頂いていいだろうと思った。リリアーナへ贈るジュエリーなのだから、事が終わればもちろん所有権はリリアーナにあり、引いてはアッシュフォード家のものだ。それはダニエルからのジュエリーも同じく。
「……そのせいで我が家は被害を被り、使用人や兵たちに怪我をさせてしまったわ。まさかあんな馬鹿なことをするなんて思わなかった。思い至らなかった自分の未熟さが嫌になるわ」
「十八の小娘が老成して全てを見通してたら怖いぞ」
ポチの言い草にむっと眉間を寄せる。
「小娘じゃないわ。レディよ」
「これは失礼、マイレディ」
これもポチなりの慰めか。
ポチを保護して時はどうしたものかと思ったけれど、すっかり気安い関係になってしまった。さすがに他国の人間に自国のあれこれを見せるわけにはいかないが、それでも可能な範囲で自由にさせている。これでどこぞの間諜であれば責任もって処刑する所存だ。
「ところで我らのお姫さまはまだ傷心中か」
「……そうね。ジョセフから言われた言葉がなかなか耳から離れないのですって」
あれからもう一週間ほど経った。
リリアーナは引きこもっており、ダニエルとの結婚問題も宙ぶらりんになっている。なのでクリスティアーナはダニエルを無理やり屋敷に留めていた。ここで離れたら縁が切れてしまいそうだったから。
内容としてはダニエルが壊した壺の弁償として大工に交じり屋敷の補修を命じている。けれどちゃんと客室に泊まらせているし、ついでにマナー関係も教えている最中だ。本人に壺の弁償額を伝えると泡を吹いて卒倒してしまった。大きいだけの壺と思っていたようだが、その大きさがかなりの値打ちになるし、あれは国内にいくつもない特別な代物だった。金を払ったところで手に入れるものでもない。とは言え壊したのがあの状況なのでクリスティアーナも全額弁償なんてはなから思っていない。要は屋敷に引き留める建前。本人は青ざめながらも持ち前の怪力を活かしてきちんと仕事をしている。
そんなダニエルの様子を影ながらリリアーナが覗いているのも知っている。「彼に飲み物を差し入れてあげて」「このハンカチで汗を拭ってと渡してきて」とこっそり動いているのも知っている。
「……リリアーナはすぐにでもダニエルを選ぶと思ったわ。だってあの子、ダニエルのことが好きじゃない。なのになぜ結婚したいと言わないのかしら」
「それは身分が違うからだろう」
「リリアーナが望むのなら私は許すわ」
その為にダニエルの資質を問うた。
到底不可能な問題に対しどう取り組むか。そして彼は見事クリスティアーナの期待に応えた。平民という立場ながらによくやったと思う。不安がなくなったわけではないが、伯爵家でサポートしていけば問題はないだろう。
「妹君は怖いんだよ。自分がダニエルと結婚したいと言ったらおまえはダニエルの都合関係なく結婚を整えるだろう。ダニエルに拒否権はない。果たしてそれが本当にダニエルの幸せなのか、自分のわがままに巻き込んでいるだけじゃないのか、不安でたまらないんだよ」
「そんなの……」
考えたってしょうがないのではないか。口に出すのは憚られたが、ポチはクリスティアーナの言いたいことを汲んだようだ。
「恋は人を臆病にするのさ」
「……私にはわからないわ」
◇
ある日、廊下で作業をしていたダニエルの前にクリスティアーナが現れた。手を止めて頭を下げていると、他の作業員をその場から下がらせてダニエルだけが取り残される。まさか何かやらかしただろうかと冷や汗が背中を伝った。
「ダニエル・タッカー。あなたに私の妹リリアーナへ結婚を申し込む権利をあげるわ」
一瞬何を言われているのか分からなかった。彼女が言うには、庶民のような言ったもん勝ちの結婚ではなく、伯爵位を継ぐ権利を持つリリアーナとの結婚。つまり王侯貴族でも文句を着けられない正式な結婚を、許してやってもいいと。
「もちろん妹の返事しだいだけれど」
つんと言い放つクリスティアーナにダニエルは大いに慌てた。何か言いたいがどう言葉にしていいか混乱するうちに追撃が来る。
「自分のような平民がなどという無駄な問答はなしよ。その意思があるのならリリアーナに伝えなさい。選ぶのはあの子なのだから、当たって砕ける心持ちでやればいいじゃない」
あ、う、と情けない声が漏れる。
そんなダニエルの肩を太い腕ががしりと抱いた。見ずとも分かる。ポチだ。
「ダニエル。俺がプロポーズの秘訣を教えてやる」
自信満々で、しかもとびきりいい笑顔で言われるものだから、ダニエルは思わず喉をならした。
「金だよ、金」
「…………」
「誤解するんじゃないぞ、俺はこれだけ稼げます妻には苦労させませんとアピールするんだ。壺だかなんだか知らんが借りをすっぱりさっぱりさせた上で、金の入った袋を突き付けてプロポーズだ」
聞かなきゃよかったと思う反面、真実であるような気もする。ようは誠意と本気を提示して、相手の不安を拭うことができれば。
ポチがにやりと笑う。
「するんだろう? プロポーズ」
「はい」
権利をくれるというのならありがたく頂戴する。断られたって構わない。自分の気持ちを正しく伝えるチャンスだと、ダニエルは静かに決意する。
「よし決まりだ。俺と一緒に砂漠の国へこい。神の迷宮と呼ばれる場所へ連れていってやる。稼ぐぞ」
神の迷宮。それはダンジョンと呼ばれる不思議な空間で、資源の少ない砂漠の国にとって大きな財を成す大切な場所だという。いわく、そのダンジョンのどれもが王侯貴族の所有物。無許可で侵入すればたちまち死罪となるそうだ。
「ははは、俺もそこそこ暴れたから負債額がすごいことになってるんだ。ここらでひとつ我が主人に良いところを見せておかないとな。いやな、決しておまえを荷物持ちにしようなんて思ってないぞ、本当だ。便利に使ってやろうなんて思ってないぞ」
ポチの見た目からして砂漠の国に縁があるのは間違いない。その上でダンジョンに行って稼ごうとは、母国の決まりすら忘れてしまったアホの極みか、それとも……
「心配するな。その迷宮は俺個人のものだ」
訝しげな視線を向けるダニエルにポチはあっけらかんと言った。
「……実は記憶戻ってません?」
「さあ、なんのことやら。そんなことよりダニエル、さっさと旅支度をすませるぞ」
「え、もう?」と戸惑いがどこからか聞こえた。
先ほどから柱の陰に見え隠れするピンク色の髪。スカートの裾がそわそわと動いているのを見て、ダニエルは笑みを浮かべる。相変わらず可愛らしいなと思った。直接顔を合わせることはないが、存在を感じれることが嬉しい。
気の短いポチに合わせてさっと用意された旅支度。あのやりとりから三日後には出発になったのだから本当に急だ。アッシュフォード伯爵のサインが入った特別な通行手形に数日分の食料、野営道具。そして幾ばくかのお金。気前のいい準備にダニエルは頭が上がらない。
早朝、屋敷のエントランスで出発の挨拶をした。
ダビドやルーも来てくれたのが嬉しい。
「ルーは留守番ですよ。さすがに連れて行けません。ご飯が用意できそうにないんです」
「クルルッ」
不服そうな子ドラゴン。あまり納得いってなさそうだ。荷物にまぎれて着いて来ないよう、ダビドにしっかり抱いててもらう。
「ダビドも色々とありがとうございました。伯爵からこのような機会を頂けたのは一重にダビドのおかげです」
「命を助けてもらったんだ、礼を言うのはこっちの方だぜ。なあに、お前さんなら立派とやれるはずだ。砂漠の国に美味しいもんがあったら教えてくれよ」
「はい。何かあったら買っておきます。ダビドも美味しい料理をたくさん食べてくださいね」
「任せておけ」
笑い合って握手を交わした。
ポチもクリスティアーナ相手に別れ際の挨拶をしているようだ。
「俺が不在だと寂しいだろう」
「負債持ちがなにを言っているのかしら。さっさと行ってらっしゃい」
つんつんするクリスティアーナを見てポチがおかしそうに笑う。このふたりの関係は謎だなとダニエルは思う。甘さはないが信頼はある。主従とも少し違う気がする。悪友という言葉が一瞬浮かんだが、さすがに失礼な気がする。
「戻ってきたら俺の部屋がもうないとかないよな?」
「あなたがどこの誰だか知らないけれど、あなたは私のもので、居場所はここよ。けれど鎖はしないから行くも帰るも好きにしたらいいわ」
「恩に着る。たくさん土産を持ってきてやるから楽しみにしておけ」
クリスティアーナがやれやれと言ったふうに首を振る。しかしポチとのやりとりを楽しんでいるのは明白だ。
「……あなたも変な人ね」
「お前たちといると退屈しないからな」
そして最後にダニエルは挨拶をしなければいけない人と向き合った。
「リリアーナさん。行ってきますね」
久しぶりに顔を合わせたリリアーナは、やはり可愛い人だった。




