36話 わたしが、悪いの……
「どうしてそんなことを言うのかな」
ジョセフはその美麗な顔をにこりとさせた。
けれどその瞳は冷え冷えとしている。口元だけが弧を描く笑顔はそら恐ろしいものがあった。
「きみからだったよね、にこにこ笑いかけてきたのは。これでも僕は最初きみと距離をとっていたんたよ。婚約者と歳の近い姉妹だ。何かあったらいけないと思ったし」
捕まれた手首がさらに締め付けられた。
「わざわざ近くに来て嬉しそうに話しを聞きたがったりしてさ」
「ち、ちが……わたし、そんなつもりじゃ」
怖い。逃げられない。拘束され目の前の男に詰められるこの状況が怖くてたまらない。
「じゃあどういうつもりだったの。姉の婚約者から特別に構われたかったんじゃないの? 姉から奪ったって優越感を感じたかったんじゃないの?」
「……わたし、ほんとうに……っ」
憧れの眼差しでジョセフを見つめていたことは認める。優しくされて嬉しかった気持ちも本当だ。でもそれは本当に、尊敬する姉の、夫となる人だから。そんな人と打ち解けられて嬉しいと思ったあの気持ちがすでに罪だった?
ではリリアーナはどう接するのが正解だった?
顔を合わせなければよかったのか。今後家族となる人と仲良くしたいと思ったのが間違いだったのか。現状としてリリアーナの振る舞いが原因で姉たちは婚約を解消していて、他人であるダニエルを巻き込んでしまった。つまりリリアーナはみんなに迷惑をかける存在で。
「普通はさあ、どんな理由があっても婚約者抜きでふたりで出かけたりしないの。本当にそんなことも分かってなかった? 分かってただろう? あいつの誕生日プレゼント選ぶなんて見え透いた建前じゃないか」
「ごめんなさい……ごめんな、さい……わたし、」
「分かってなかったんだとしたらリリアーナ、きみは本当にバカで愚かで救いようがない。クリスティアーナはさぞ傷ついただろうなあ。僕という婚約者はいつのまにか妹にとられ、妹はその自覚すらなかったんだから」
なんてひどい妹だ、と告げるその声音には愉悦。指先からだんだんと血の気が引いていく。だんだんと息もしづらくなってきた。
「言ってごらん? わたしはバカで愚かな見た目だけの女ですって」
「……っ」
バカで、愚かで、見た目だけ。
その言葉はリリアーナの心に深く突き刺さった。自分が愚かだという自覚は多少なりともあった。しかしそれを他人から言われると心が粉々になりそうなほどの痛みがあった。
「あの平民もきみの被害者だよなあ。一生懸命尽くしたところでそんな価値はきみにはないんだもんなあ」
(ああ、ダニエル……)
「平民とは言えひとりの男をさんざん弄んだ気分はどう? きみがちょっかい出さなきゃ、今ごろあの男だってつり合いのとれた女と幸せに暮らしてたかもしれないよ。かわいそうに」
リリアーナの頬に涙がはらりと流れる。それを愉快そうに見ているジョセフはさらに鋭利な言葉を重ねてきた。
「ほんと、ひどい女」
「……う、っ」
「みんなの幸せを壊す疫病神だね」
「うう、んううっ……」
「ほら言えよ。わたしはバカで愚かな見た目だけの女です、そんなわたしでもジョセフ様を愛していますって」
もう耐えられなかった。嗚咽をもらし泣き声をあげてしまう自分自身が恥かしくて、それでも次々に涙が流れてくる。顔をそらすことも許されず、ジョセフはリリアーナの顎をつかみ、無理やり上を向かせた。
「ああ、なんて顔だ。鼻水までたらして本当に汚い。きみから見た目をとったらただの愚かな女なのにね」
くすくす。
悪魔が嘲り笑う。
世界から徐々に色が抜けていく。
――どんどんっ。
視界が白黒の世界になりつつあったリリアーナ。その背後にある扉が強く叩かれた。
「リリアーナさん!!」
返事がなくてもお構いなしに開けられた扉から現れたのは、見間違えようもなく、ダニエルで。
「よかった、どこも怪我とかしてませんか」
「……邪魔をするな平民」
拘束が弱まった隙にジョセフの腕を払い、リリアーナはとっさに両腕で顔を隠した。泣いてる顔をジョセフが汚いと言った。だったらダニエルには見られたくない。ダニエルにだけは。
「わ、わたし、ダニエルにも、あや、あやまらなきゃ」
しゃくりながら話す様がとても滑稽。
なんてみっともないんだろう。
淑女なんてほど遠い。
「ご、ごめんなさい、本当にごめん、なさい……!」
嫌われて当然。
呆れられて罵られて当然。
リリアーナは愚かだから。
そんなリリアーナをダニエルがそっと引き寄せる。ジョセフから離れるように数歩距離をとり、そして片手で優しく頭を抱いた。
「嫌なことを言われたんですか?」
「ちがうの、ほんとに、わたしが悪くて」
「大丈夫ですよ。あの人の言葉なんて聞かなくていいです。聞き入れる価値なんてない」
おさまっていた涙がまたぶわりと溢れる。
「ダニエルは、わ、わたしに、甘いから……!」
叫ぶように訴える。けれどダニエルは何も言わない。ああそうですね、とか。そんなことないですよ、とか。なんでもいい。何か言ってほしい。反応がないのが怖くてリリアーナは顔を上げた。
「どうして……?」
ダニエルはなぜか少し困ったようにほほ笑んでいた。
「……俺はなにも持ってません。あなたに捧げられるものがなにもないんです。それに口下手で気も効かない。だから心だけはいくらでも捧げようと思ってたんですけど」
ダニエルの指先が頬に流れる涙を拭った。
汚いと言われたのに嫌がることなく、むしろ本当に愛おしいと言わんばかりに触れてくれる。
「リリアーナさんが俺を甘いと言ってくれるのなら、少しは心が伝わったのかと思って」
ぽろり。
またひとつ、頬へ涙が伝う。




