33話 いざお披露目
ついにクリスティアーナと約束の日がやってきた。
迎えに来たポチに身だしなみチェックを受け、ひと悶着あった後に馬車へと乗り込んだ。これからついに伯爵家へ足を踏み入れることとなる。
「前髪がないと落ち着かないです」
「紳士の装いは髪型からだぞ」
整髪料で後ろに流したので顔が全面に出ている。
恥ずかしいというより落ち着かない。白い革の手袋だってわずらわしくてすぐにでも取ってしまいたいが、そうするとポチがひどくうるさいので黙って従った。
少し前まではこのように金のかかった服は袖に腕を通すのもビクビクしていたが、回数をこなすうちにだいぶ慣れてきた気がする。きっと手袋にも慣れるはずだ。服の下にあるピンクローズのネックレスへ手を伸ばし、ふうとひとつ息を吐く。
今日はダビドもルーも留守番だ。
特にルーとはよく一緒にいたから肩の辺りが落ち着かない。
ジュエリー三点もポチに預けた。
ぎりぎりまで作業して、土台もできるかぎり磨いて、比較的うまく彫ることができた五つの石をそれぞれの台座にセットした。仕上がりを確認にしてもらったダビドも「これなら大丈夫だ」と言ってもらえた。ルーにいたっては守護紋を彫った石を食べたそうにずっと見ていたので、目を離した隙に食べられやしないか冷や冷やしていた。
結局工房の親方が見つかったとの情報はなかったが無事でいてほしいと思う。
そうして到着してしまった二度目の伯爵家。
どこもかしこもやっぱり壮大で、同じ世界で生きているとは思えない。
「やあ、場違いな平民。ずいぶんと着飾っているようだが、おまえのような男は本来なら足を踏み入れることすら許されないぞ。まあ人生に訪れた最大の幸運と思い噛みしめるといい」
通された応接室でかちあったジョセフに嫌味を言われるが、嫌味というより真実なのでダニエルはぺこりと頭を下げるのみにした。しゃべって反感を買うのは得策ではないと思うから。
「ところでジュエリーは用意できたのか? いやなに、恥じることはないよ。そもそもが間違いなんだ。ああ、そういえばどこかの工房が焼けたんだとか。こんな時期に災難だったろうなあ」
得意げに笑みを浮かべるジョセフ。その瞳が残忍に細められた。
「おまえと関わりになったばかりに」
一瞬どういう意味なのかわからなかった。
聞き間違いかと思いたかったが、ジョセフの愉快そうな笑顔がそうではないと告げている。
「まさか……」
セントイーグル工房の被害はこの男が原因なのか。
まさかダニエルに嫌がらせをするだけのために?
あまりのことに閉じていた目をくわりと開く。ジョセフが少しだけたじろいだ。
「リ、リリアーナがおまえの所にいたのはクリスティアーナが怖かったからだ。勘違いは今のうちに正しておけ!」
聞きたいことはたくさんある。しかしこれだけは今言っておかなければと無礼を承知で口を開いた。
「リリアーナさんはお姉さんを慕っています。そこは正しく認識しておくべきかと」
ジョセフがぐっと顔を険しくする。忌々しいと言わんばかりにダニエルを睨みつけ、地を這うような低い声をだした。
「おまえ、無礼が過ぎるぞ。なにがリリアーナさんだ。リリアーナ様と呼べ。いや、名を呼ぶことすらおこがましい」
言われて一瞬、息がとまる。
(そうだ……言われていることは、正しい。伯爵家の人と分かった時点で呼び方を改めるべき、だった。どうして気づかなかったんだ)
リリアーナ様。思えば家にいたメイドたちも「お嬢様」や「リリアーナ様」と呼んでいた。彼女たちは貴族の血縁だったり裕福な家の娘らしく、使用人とは言えダニエルよりもよっぽど高みにいる。彼女たちがそう呼ぶのならダニエルだってそう呼ぶのが正しい。
けれど一方でリリアーナはそれを許してくれないような気がした。「わたしたちは夫婦なのよ?」と、頬をふくらませて不満を表現しそうで。
茫然とするダニエルにジョセフは威圧するようたたみかけた。
「彼女はエンカー地方を治める伯爵アッシュフォード家の令嬢だ。今一度その貧しくて粗末な頭に刻め。平民が軽々しく名を呼べる存在ではない!」
その時、応接間の扉が開いた。
落ち着いた雰囲気の使用人が頭を下げる。
「準備が整いました。お部屋へご案内いたします」
◇
会場につくなりジョセフは叫んだ。
「リリアーナ! いったいどうしたんだい、その髪!」
当の本人はびくりと肩を震わせたが、その後ろにいたダニエルを見つけてぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「令嬢の命とも言うべき髪をどうして……ううん、詳しくは言わなくて大丈夫だ。きっと不幸な事故があったんだね。大丈夫だよ、カツラでもなんでも用意してあげるから」
あんまり聞いてなさそうなリリアーナへ懸命に語りかけるジョセフ。それを見ているポチが鼻で笑っている。部屋の中にはリリアーナ、クリスティアーナそれと彼女の侍女であるエリザベスとポチだ。そこへ加わったダニエルとジョセフ。これで全員のようだった。
「これより品評会をはじめます。もう説明は不要でしょうけれど、大事なのはリリアーナに相応しいか否か。値段の上下ではないし、どんな気持ちがこもっていても関係ないわ」
クリスティアーナの視線がダニエルへと向く。
「……制作を任せていた工房が焼けたと聞きました。その件は残念ですが、いかなる事情ががあろうとこの場に持ってきたものが全て。不慮の事故があったからと評価を甘くすることはありませんので悪しからず」
では、と仕切りが入る。
「ジョセフの品物から参りましょうか。準備を」
実際にリリアーナが身に付けてくれるようだ。しばらくすると赤く輝く宝石を身に着けたリリアーナが侍女に手を引かれやってきた。
「さすがね。情熱的なガーネットの三点セットで、本体はローズゴールド。どれも作りが華美で職人の技巧が伺えるわ」
ローズゴールドは金に少しだけ銅を混ぜることによって硬度を上げ、美しい赤みが加わった高価な金属だと横にいたポチが教えてくれる。そもそも金は銀の数倍の価値がある。ジョセフの資金力を見せつけられた気分だった。
「石の選定もいいな。色の均一性と透明度が際立っている。あえていうのなら全体のデザインがやや保守的だが、それも伝統という面で見れば文句のつけようがない」
クリスティアーナの側で控えていたエリザベスもそれに続く。
「伯爵家所有の宝飾品と比べてもなんら遜色ないと言えます。素晴らしいですわ」
ポチが不満そうにつぶやいた。
「相当金をつぎ込んである。あいつの小遣いでどうにかなるレベルじゃない。どこかから融資を引っ張てきたかしらんが、かなり強敵だぞ」
値段ではないとクリスティアーナは言ったが、それだけの価値がリリアーナにはあると表現したことになる。じくりと心臓が痛んだ。この男を押しのけることができるだろうか。リリアーナに心の平和を贈ることができるだろうか。
「ネックレスは夜の星を、イヤリングは朝焼けを、指輪は愛の誓いを象徴している。このガーネットセットは愛の物語を紡いでいるんだ」
貴公子然としたジョセフがうっとりとリリアーナを見つめた。その様子に様々な視線が集まるが、本人はどれも気づいてないだろう。
「大変結構な出来です。ただ、そうね。今のリリアーナには少し重厚かしら」
「僕は未来も見据えているからね」
クリスティアーナが凛とした声をあげる。
「では、次にダニエル・タッカーの品を」




