32話 またね
翌朝、リリアーナが伯爵家へ帰るために馬車に乗り込む。
リリアーナの髪に飾られたリボンが風に揺れる。ダニエルがプレゼントしたあのリボンだ。
「……またね」
「はい」
彼女は去っていった。馬車が見えなくなるまでその場で見送り、その後もしばらく動けなかった。肩に乗っていたルーが心配したようにひと声鳴いて、それからようやく息ができたように感じた。
(……まだ、終わってない。しっかりしろ。リリアーナさんのために、最後までやり抜くんだ)
ダニエルのジュエリーが認められれば、リリアーナは不本意な結婚をせずにすむ。そのためにこの三か月間やれることをやってきた。正直どう転ぶかわからない。リリアーナに相応しいと彼女の姉に認めてもらわねばならないし、その元婚約者が執拗にリリアーナを狙っている。向こうだって本気で用意してくるだろう。勝ち目があると思う方がおかしいのかもしれない。けれど不安になって立ち止まることだけはしたくなかった。
今日はついにジュエリーの受け取り日。
期日ぎりぎりだがなんとかこの日を迎えることができた。前金はすでに渡してあるので、残りのお金を巾着に入れて街へ出かける準備をすませる。中身は変わらないのに、ちょっと金持ちの青年くらいには見えるのでやはり装いというのは大事らしい。
「準備はいいか」
「はい」
出来を見たいと言ったダビドと一緒にでかける。肩にはルーが乗っていて、もう定位置のようなものだった。おやつがわりに小さな魔石のつぶをあげると嬉しそうに口へ含んだ。街の人たちにはちょっと大きなトカゲを飼っていると思われているらしく、たまに庭になっている果物をくれたりする。
緊張はあるものの、通いなれた職人街への石畳道を歩いていると、何やら前方の様子がおかしいことに気が付いた。周辺に立つ警備隊やうかない顔で話し込む人達。なにか事件があったんだろうかとダニエルの心に不安がかすめる。
「すみません、ここ、何があったんですか」
近くで話し込んでいた女性たちに話しかける。
「昨日の夜に火が上がったのよ。でも中で働いてた人がいなくて……誰かに襲われたんじゃないかって話よ」
「ここは職人街で高価な物品を扱ってる工房が多いでしょう? だから建物を堅牢な造りにしたりギルドで用意した警備を置いてたりするんだけど……狙われたのがセントイーグル工房だけだから、ただの物取りじゃないのかもって話よ」
セントイーグル工房。
それはダニエルが作業を依頼していたところだ。
「中で働いてた人がいないって……襲われて連れ去られたってことですか?」
「わからないわ。あそこの親父さん、最近楽しそうに仕事してたみたいだから余計に不憫で」
「そうそう。ようやく俺を認めてくれる人ができたてって嬉しそうだったわよねえ」
すると離れたところから「タッカーさん!」と呼ぶ声があった。見ればセントイーグル工房の人間で、親方の息子だ。打ち合わせで通ったときに何度か見た事がある。
「親父さんは大丈夫なんですか」
「まだ行方が知れないんです」
「そんな……」
肩にいたルーが気づかわしげに「クルル」と鳴いた。息子は申し訳なさそうに頭を下げる。
「それと、すみません。ご注文頂いた品も騒ぎで紛失しちまって。工房も見ての通りだし、ほんと、俺らもどうしたらいいか……」
ダニエルは何も言えなかった。
大丈夫だとも、困るとも。
かけるべき言葉が見つからない。
ただ絶望が足元からせり上がってくる。
「本当に申し訳ない」
ずっと準備をしていたジュエリーが手に入らない。クリスティアーナとの約束は明日なのに。どうしたらいい。どうすればいい。焦りと困惑で頭がいっぱいになるが、ここで感情的になってはいけないと己を戒めた。
「……落ち着いてからまた話しましょう。今は親父さんの安否が心配です。なにかわかればまた教えてください」
「本当にすみません……うっ、ありがとうございます」
涙をこらえながら謝る息子。
同じくらい途方に暮れてしまい、ダニエルは立ち尽くした。
「とんでもないことになったな」
「……どうしよう」
手元には払い先のなくなった金。
そこそこの金額とはいえ、これで今から買える宝飾品がリリアーナに相応しいとは思えない。貴重と言われる魔石を惜しまず使い、リリアーナのためだけに誂えた三点のジュエリーでさえ不安だったのに。
「この残ったお金と魔石で……でも、どうしたら」
ただ指をくわえて待っていることはできない。なにか、なにか行動をしていたい。
「魔石に特別な紋を刻むのはどうだ。さすがにドワーフの紋は教えてやれんが、見たところトールマンもいくつかは紋を知っているようだ。何か特別なものはないのか」
ダビドが言っているのは恐らく魔石の透明度を維持したりエネルギーを効率的に使う、この国でもよく使われる紋だ。それならよく知っている。しかし特別なものと言われてもただの平民であるダニエルが知っているはずもなく……
「あ」
いいや。ひとつだけ、知っている。
「……魔石用じゃないですけどひとつ紋様を知ってます。前に兄夫婦への贈り物として石に彫ったこともあります。守護の紋って言って、だいたいは婚礼家具に彫るんですけど。魔石にそれをやったら少しキラキラしたんですよ」
「どんな図案だ」
言われて宙に描いてみた。
「こんな感じで丸の内側に模様や記号があって……」
そう言えば昔、えらい学者さまがこういう文様をあちこち聞いて回っていたと祖父から聞いたことがあった。その人は地方で広がり発展した独自の紋様を集めていたとのことだったが。
「ふむ……」
ダビドは考えるようにしてひげを撫でる。
「前に彫った石ってのはどれくらいの大きさだ」
「指輪を飾るくらいの石でしたよ。魔力もわずかにしか入ってない中古の魔石を磨き直して、それで」
あれは趣味も兼ねていたし、ダニエルの眼のよさを発揮しながら作業していた。道具もあまり上等とは言えず小さな石に模様を刻むのは難しくて最後の最後で失敗した石が何個もあった。
それを説明するとなぜかダビドがにやりと笑った。
「ネックレスとイヤリングと指輪だったな。今ある金はぜんぶ土台につぎ込もう。シンプルでいいから品質にこだわってあるものがいい。そんでもって石の価値に全てを注ぐぞ」
まだ近くにいた息子を捕まえて事情を話し、三点の土台が欲しい旨とそれがセントイーグルになければどこか紹介してほしいことを伝える。
「親父さんのことで大変な時にすみません」
「いいえ、これくらいさせてください」
火事になった工房だが被害は小さいので作業途中のものや材料は無事だった。その中にダニエルたちが求める三点の銀細工があった。銀に少し他の材料を混ぜることにより硬度が増し、細やかな細工が可能となり耐久性が上がるそうだ。それは普通の銀よりも明るく、ともすればホワイトゴールドのような温かみも感じられた。
「銀になにを混ぜるのかはうちの秘伝で」
続けて息子は苦笑する。
「親父は繊細な作品作るくせに本人は豪快で血の気が多いんですよ。もしかして犯人を返り討ちにしてさっさと逃げたのかもしれません」
「だといいです。親父さんのご無事を祈っています」
家に帰って改めて守護の紋を紙に描き、ダビドに見てもらう。「ここはこうしてみろ」といくつかアドバイスをもらったのでダニエルはありがたく受け入れた。
「これをダニエルが彫ることができたら、クリスティアーナ嬢の目に適うと俺は思う。でっけえ魔石に刻むとはわけが違うんだ。その技術がありゃあドワーフにだって一目置かれるぜ」
「やってみます」
いくら目がいいと言っても、技術がなきゃ紋は刻めない。この一か月魔石を加工し続けた経験がうまく活かせたらいい。
「気をつけろよ、石の残りは少ない。あまり失敗できないからな」
当然ながら時間もない。
明日の朝には完成させなければいけないのだ。
練習して、実際に魔石を彫って、選別して土台にセットする。途方もない不安と緊張を抱え、ダニエルは作業にとりかかるのだった。




