3話 わたし、結婚します!
結婚してほしい。
リリアーナがうるうる瞳の上目づかいで真摯にお願いしたにも関わらず。
「もう少し説明してくれないと頷けません」とダニエルは至極真っ当なことを言った。
説明を端折ってしまったことを詫びながら、リリアーナは必死に説明した。今自分に必要なのはダニエルのような結婚相手。少し前に家族の元から逃げていて、リリアーナが全面的に悪いのだけど、どうしても現状を変えたいのだと。ダニエルを利用することに対して金銭的な詫びをするとも言った。
しかし自分が伯爵家の令嬢であることは言えなかった。裕福なお嬢さんとはバレているだろうけど、ダニエルは身分差を気にして逃げてしまいそうだから。
「あ、もしかしてダニエルには将来を誓い合った人や恋人がいましたか? それなら他を当たります。……とても残念、ですけど」
「い、いい、いないです!」
ぶんぶんと両手を振って恋人の存在を否定してくれる。とっても嬉しかった。しかしここでリリアーナは自分が純朴な青年を騙す悪女のような気持ちになった。きっとリリアーナの可愛らしい容姿に惹かれているダニエル。一目惚れされたなんてことはさすがに思わないけれど、好意を抱かれているのは伝わってくる。そこにつけ込んで話している自覚もある。けれどこうも簡単ではダニエルがそのうち悪い人に騙されてしまいそうで心配になってきた。
「お、俺は庶民だし、あなたを助けてあげられるような伝手も、財産もありません。だけどあなたが困っているのなら手を差し伸べたい。俺ができることなら、なんでもやります」
彼の健気さに胸がきゅんと締め付けられる。
けれど今は心配の方が勝ってしまう。
「ダニエル。とても嬉しいし、あなたの優しさにすがりたいわ。でも少し心配よ。もしわたしが悪い人だったらどうするの。あなたがいい人なのを利用して、騙して酷いことをするかもしれないわ」
「……あ、あなただったら、騙されてもいいと思ったから」
下を向いてぼそぼそとしゃべるダニエル。あまりに健気なその発言にリリアーナの胸がぎゅーーーっと締め付けられた。
「う、胸がいたい……っ」
「リリアーナさん!」
◇
結局、ダニエルは結婚することには頷いてくれなかった。頑なに。しかし表面だけの偽装夫婦になることは協力してくれるようなので、さっそくリリアーナは行動することにした。
今までお世話になったシスターや司祭たちへお礼をいい、姉たちの待つ屋敷へと帰る。もちろんダニエルとの結婚を報告するためだ。きっと父母はびっくりするだろうが最終的には受け入れてくれるはず。あの人達はリリアーナに甘い。あとは姉に誠心誠意謝って、物理的に距離をとればきっとほとぼりが冷めるはずだ。
だが屋敷で待っていたのは、あまりにも予想外なことで。
「お帰りなさいませ、リリアーナお嬢様」
「婦長、ただいま戻りました。心配をかけてごめんなさいね。お父様はいらっしゃるかしら」
「残念ながらご不在でございます」
長らく身を隠していたので帰宅の挨拶をと思ったけれど、父はいないらしい。ということは母もだろう。あの二人は仲がいいのでどこか出かける際はだいたい一緒だ。
「そうなの。ではお姉様はいらっしゃるかしら」
「ええ。クリスティアーナ様はこの度新しく当主となられました。どうぞ帰宅のご挨拶と一緒にお祝いの言葉を」
待って待って。
リリアーナは眉間を抑え、言われたことを反芻した。
「……今、新しい当主がお姉様だと言った?」
「はい、そのように申し上げました。就任祝いの挨拶にあちこちからお客様がいらっしゃる予定ですから、どうぞリリアーナお嬢様は今のうちに」
なんとリリアーナが教会へ身を寄せていた二週間で、姉が父から当主の座を奪っていたのだ。
元々、領地は優秀な経営陣が采配を振るっており、数年前から姉クリスティアーナもそれに関わっていた。というか長として指揮していたのは姉だ。父は強く反発したものの以前から当主らしい仕事をしていなかったのもあって最終的には渋々承諾したらしいと仲のいいメイドから聞いた。
「……おかえりなさい、リリアーナ」
薄暗い執務室。
大きくて重そうな机を挟んで、姉のクリスティアーナは少しだけ目を細める。リリアーナは帰宅の挨拶とともに「ご心配をおかけしました」と深々と頭を下げた。
なぜ姉がこのタイミングで当主になったのか。
この国では条件が揃えば女でも当主となれる。しかし以前聞いていたのは結婚後それなりに移行期間を設けてからジョセフを当主とし姉はそれを支えるというものだった。
頭をさげたまま色々と考えていると、思わぬ言葉をかけられた。
「あなた、ジョセフと結婚なさい」
あまりのことに勢いよく顔を上げる。
不躾だと分かっていても姉を凝視してしまった。
「……あら。嬉しくないのかしら」
「だ、だって、あの方はお姉様の婚約者だわ。わたしなんかが、そんな……それに、お姉様の結婚はどうなるのです」
「わたくしは結婚せずともべつに。跡継ぎならあなたたちの子を指名すればいいし」
なぜ。どうしてそんな事を言うの。
「……ごめんなさいお姉様、わたしが悪かったの。お願いだからそんなことおっしゃらないで」
姉は昔から優しい人だった。
小さいころ、姉が誕生日祝いに祖父母からもらっていた人形がかわいくて、でも言えずにもじもじしていると、姉はそれに気が付いて人形で遊ばせてくれた。とても嬉しかった。でも、卑しいからそんな目で見てはダメと誰かに言われてショックを受けた。気をつけようと思ってリリアーナなりに頑張ったけれど、姉はそいつも一枚上手で……ありがとう、うれしい、と気持ちを伝えたときのあの優しい眼差しは人形やお菓子よりも尊いものに思えた。
「わたし、ほんとに、お二人の幸せを壊すつもりはなかったんです! お姉様の隣に立つような立派な方だからわたしも憧れて、それで……!」
婚約者は、お菓子や小物とは違う。
姉は優しい。けれど人の優しさが無限でないことをリリアーナは知っている。今までだって怒りを我慢してリリアーナに譲ってくれたことがあったかもしれないのに、姉の婚約者をほしがるだなんて恥知らずで卑しいこと、絶対にしてはならない。
「いいから結婚なさい」
姉の眼差しには強い意志がこもっている。
けれどこちらも引くことはできない。リリアーナは今こそ計画を実行すべく、姉を見据えたままひときわ大きな声で宣言した。
「わたしは、平民の男と結婚し、苦労を枕にして暮らします!」
とたん、姉の動きがぴたりと止まる。
リリアーナの宣言が理解できないのか、揺れる双眸が彼女を見つめた。
罪悪感がつのるけれどここで止まることはできない。
「詳しくはまた後日! ダーリンが待つ愛の巣へ帰りますので!」
小さく礼をして執務室を飛び出した。
残されたクリスティアーナが困惑の表情をうかべおろおろしていることを知るはずもなく。
「リリアーナ……?」
後を追うように伸ばされた手が、情けなく宙をさまよっていた。




