28話 火災
「おいアンタ、魔力持ちのダニエルだろ!? ぼさっとしてねえで手伝え!!」
そう言った男に見覚えはなかった。
ダニエルは何も発することができず固まっていると、男はさらに大声をあげる。
「わかるか、火事だよ! 火事! さっさと行くぞ!」
消火活動を手伝えと言われているようだ。
正直今は困る。何も準備がないどころか、汚してはいけない服を着ている。しかし咄嗟のことでそれをどう伝えていいかダニエルにはわからなかった。
困惑するダニエルに男は怒鳴った。
「こんな時に役に立たねえで何が魔力持ちだよ! 恵まれてんなら人の役に立てよ!」
それは、そうだ。
昔からそう言われては駆り出された。
求められるのなら行かなければいけないと思う。
ダニエルは魔力持ちだから。人とは違う特別な力を持っているから。けれどどうして今なのか。せめて汚れようが破れようがどうでもいい服に着替えられたら。
ダニエルの葛藤に男も気づいたようだ。
「おまえは他人の命より自分の服の方が大事だってのかよ、この人でなし! こんな緊急事態に色づいてんじゃねえぞ!」
そう言ってダニエルの腕をつかみ強引に歩き出す。
言葉がでないまま連れられると出火元が見えてきた。もうもうと黒い煙を上げながら周囲に熱気を振りまいている。
どこかから子どもの泣き叫ぶ声が聞こえた。
乾燥した風が火の粉を次々に運んでいく。すでに隣接した三軒が炎に呑まれている。これはまだまだ広がると思った。野次馬はわいわいと騒いでいるだけでまだ本格的な消火活動は行われていないようだ。地域にはそれぞれ消防団がいるはずだがまだ来ていないのかもしれない。
「このままじゃ俺んちも燃えちまうよ! だれか!!」
自分が、やらなければいけないのだろうか。
力があるというただそれだけで皆を救わないといけないのだろうか。ごくごく当たり前に要請され、断ることなんて許されないこの状況に息苦しさを覚えるのは、自分勝手なのだろうか。
ダニエルの中で生まれるいろんな気持ちを小さな箱のなかに閉じ込める。間違っても出てこないように、しっかりと。
消火活動に必要なものは、大量の水。そして斧や槌。魔石駆動の消火装置なんてのは貴族だけに許されたぜいたく品だ。庶民は人手で川の水を汲むしかないので、次に燃え移りそうなものをあらかじめ壊しておくことで延焼を食い止める。
「ハンマー持ってきたぞ!」
「おーいこっちだ! こいつ魔力持ちだからこっちに渡せ!」
消火活動は初めてではない。今と同じように駆り出されて、ハンマーを振り回して家を壊したことがある。消火のためとはいえ、なぜ壊したと恨まれたこともあった。
望んで手に入れた力ではない。
ほしいのならくれてやりたい。
持つべきものの責任とやらも。
ゆらりと一歩を踏み出し、ダニエルはこれ見よがしに置かれたハンマーの柄を握りしめる。せめて動きやすいようにと上着を脱ぎ、少し考えてから腰に巻いた。まさかこんな事になるとは思っていなかったのでピンクローズの魔石も懐に入れたままだ。無くさないように仕舞い直す。そのときに見えたぴかぴかの靴先から視線を逸らした。今はもう何も考えたくない。
煙や煤を吸わないようにハンカチで口元を覆う。
最初に燃えはじめた家はすでに屋根まで火が到達し全焼状態。隣接した家屋にはすでに火の手が回っていた。このあたりは庶民の家が立ち並ぶ区画だ。多くが木造建築で、屋根は石板より藁ぶきが多い。ゆえに乾燥しているこの時期、火がつくと一気に燃え盛る。おそらく、今の気候なら十分ちょっとでひとつの家がすべて燃えるだろう。
延焼を確実に止めるための防火破壊は、基本的にまだ火の手が届いていない家を壊す。作業者の安全も考慮した上なのだが、その見極めは場数を踏んだものでも難しいという。ダニエルが目星をつけた家の前ではひと組の痩せた老夫婦が身を寄せて神に祈っていた。きっと彼らが住む家なんだろう。
家がなくなったら、彼らは今夜どこで夜梅雨をしのぐだろう。
結局、ダニエルは火が移ったばかりの隣家へ足を向けた。十分で家が燃えるのなら、それよりも早く壊せばいい。
心を無にしてハンマーを振り回した。レンガの壁も、太い木枠も、ダニエルの一撃でぼろぼろと崩れていく。肌に感じる熱気や匂いなどの感覚だけが頼りだ。煙にやられて死ぬ人間も多いと聞くのでまさしく命がけではあるのだろうが、今のダニエルはなかば自暴自棄だった。
こみ上げる感情を全て腕力に変換して燃え盛る家を破壊していった。服が破けていく感覚があったし、飛んできた火の粉で焦げる匂いもした。
「やっぱバケモンだな……」
聞こえないでいいことばかり拾う耳が恨めしい。
◇
「……ママ。あの人、何してるの?」
煤にまみれながらダニエルは自分が壊した家の廃材をかき分ける。完全に鎮火したわけではないので触れない箇所もありもどかしさが募る。真上にあった太陽はだいぶ傾いていた。
あちこちに飛び火をした火事はようやく落ち着きを見せた。ダニエルが最初に奔走したのと反対の場所では火の手をコントロールできず、多くの家が燃えたらしい。後にダニエルも加勢したが現場は混乱を極めていた。
「あの人、貴族さまみたいなキレイな服だったのに破れてぼろぼろだよ」
子どもの目から見てもダニエルの格好はひどいらしい。泣きたいところだが、涙は出そうにない。それよりも乾いた心が擦れて痛い。
特注の服は見るも無惨なありさま。ピンクローズを入れた小さな巾着はいつのまにかなくなっていた。今はそれを無心で探している。
「じゃああの人がいちばん頑張ったってこと? いつもトムが『オレのパパは消防団のボスだぞ』って言ってエラそうにしてたのに、トムのパパなんにもしないで怒鳴ってただけだったよ」
母親の制止を聞かず、小さな女の子がダニエルの近くへやってきた。
「服、もっと汚れちゃうよ?」
「…………うん。いいんだ」
ここまで来たら一緒だろう。
何もかもダメになった。けれど諦められない浅ましさだけで手を動いている。
「なにか探してるの?」
「……うん」
「見つからないの?」
「……」
ピンクローズの魔石はリリアーナとの思い出の象徴で、服は貴族と対峙するための鎧だった。服がダメになったのはこの際仕方ない。もう一着ある。けれど、ピンクローズは。
「お兄ちゃん、泣いてるの?」
返事はできなかった。
自身の行動を振り返りながら捜索を続けたけれど、結局それらしいものは見つからない。こういう巾着を知らないかと聞いて回るも周囲はそれどころじゃなく誰も相手にしてくれない。反対に色々話しかけられたこともあったが心あらずでどう返事をしたかも覚えていない。もしかしたら罵倒の類だったかもしれない。
そんな幽鬼のごときダニエルを離れたところから見ている人影があった。
「……ダニエル」
街で火事があったと聞き、心配で家を飛び出したリリアーナだった。




