27話 特別な日
ポチはダビドの国の土産は受け取ってくれたのに、お金の入った巾着は断固として拒否をする。
「おまえはこの俺の命を救ったのだぞ。あの程度の金を出させた程度でも気に食わんのに、その金を返すとはどういうことだ」
「俺は貸してほしいと言いましたし、あなたはそれを了承しましたよ」
「それを馬鹿正直に聞き入れるやつがあるか」
そう言って絶対に受け取ろうとしない。理不尽だ。そもそもこれはダニエルが成し遂げるための試練で、リリアーナはその為に制約を受けている。だとしたらポチの金銭的な手助けは違反ものだろう。
「俺はおまえに借りがある。仕立屋の件はその借りを返したに過ぎない。別にクリスティアーナに立てついているわけではないぞ」
しかしダニエルの意地もあったのでどうあっても受け取ってほしく、そうこうしているうちになぜか決闘のような雰囲気になってしまった。
「最近体がなまっていた。いい機会だ。この俺がいかに神に愛された人間であるかおまえに分からせてやろう」
「意味がわからないです。お金を受け取ってください」
「俺が負けたら受け取ってやる」
「……言いましたね」
街の広場で始まったふたりの戦いを誰もとめることができず、むしろ遠巻きのギャラリーが勝手に賭けを始める始末。
最初は腕相撲だったのに、最終的には野蛮な殴り合いにまで発展した。
ふたりとも見るからにぼろぼろで、最後の一発は互いの頬にめり込んでいた。動きは捕らえていたものの体が動かず、意地と気合だけで立っていたダニエルは本当はぎりぎりだった。これで終わっていなければ無様に石畳に転がっていたに違いない。ここまでタフだとも思わず、やはりポチはバケモノじみているなとしみじみ感じた。
「いいだろう、今日のところは引き分けだ」
「…………」
無言でにらみ付けるが、実際は口の中で切れてうまくしゃべれないだけだった。ポチの余裕さが恨めしい。しかしダニエルのお金は受け取ってくれたのそこはほっとした。
仮にポチが今後リリアーナに危害を加えてくることがあれば、己の体だけではなく道具も積極的に使うべきという学びも得た。それに長引かせるだけ不利だから一発で仕留められるようにしたい。
ふらふらしながら家に帰ると、顔を合わせるなりリリアーナが泣き出してしまった。ダニエルの腫れた顔や青あざにびっくりしたらしい。伯爵家にいるポチに文句を言ってくると今にも飛び出しそうな勢いなのでどうにかなだめ、事情を説明した。
「じっとしてて!」
「はい」
患部を洗って湿布を貼ったり包帯を巻いたり。少し大げさじゃないかなと思いながらも甲斐甲斐しく看病をするリリアーナは真剣で、その姿につい口元が緩んでしまう。
「はい、あーんして」
「……えっと、自分で食べ――」
「だめ。あーんするの」
当然のように食事の手伝いをしようとするリリアーナに最初は抵抗したものの、やっぱり彼女には敵わないので羞恥心を必死に押し込めて言われたとおりに口を開ける。
擦られたリンゴの酸味が口内の傷に沁みたが、今まで食べたリンゴの中で一番おいしいような気がした。
その後、伯爵家の専属医がダニエルを訪ねて来た。ポチの飼い主であるクリスティアーナからの詫びらしい。この医者は癒しに特化した魔力持ちらしく、短期間で生傷がすっかり癒えてしまった。他人事のように魔力持ちってすごいなとダニエルは思った。
◇
その日はダニエルにとって特別な日になるはずだった。
毎日ちまちまと魔石を加工して、できた分をギルドへ売りにいく。
その資金を元にジュエリー工房にも話をつけ、リリアーナに似合うデザインを一緒に考えていた。製作も着実に進んでいる。使用する魔石の多くはダニエルが作ったものだ。まだ若くつぼみのようなリリアーナの容姿には、おおぶりな宝飾品よりも小さくシンプルなものがいい気がした。その上で石はたっぷりと使う。小さな台座にきらりと光る魔石をはめこみ、星を閉じ込めたような輝き作る。時間はぎりぎりだが、見通しは立っているのでようやく一息というところだ。立派な一張羅にもだいぶ慣れてきたところだった。
今日は宝飾店と仕立て屋に行く予定だった。
まずは宝飾店。ごくごく私的な理由からくる買い物なので、ダニエルは扉の前でもじもじしていた。しかし反射したガラスに映る情けない自分の姿を見て吹っきれた。戦闘服を着ているのだ。この服に恥じない行動をしなければいけないと、えいやと一歩を踏み出す。
カランカランとドアベルがなる。揉み手で近づいてくるオーナーに「ピンクローズの魔石をください」とはっきり伝えた。加工が難しく、手にしたものに幸福を与えると言う不思議な石だ。そしてリリアーナを彷彿とさせる優しくも可愛らしい石。
以前見た時は三つだったが、ひとつ売れて残りがふたつ。爪先くらいの小ささだ。2カラットか、それより少し大きいくらいか。触らせてもらうと加工が難しいと言われる意味がわかった。ピンクローズはもろい。カットしようと刃を入れればバラバラになり、磨こうとすればあちこちが欠ける。指先でつまむ分には構わないが、なるほど、一度も損なわずに成形できれば幸運とも言いたくなるだろう。
「どちらになさいますか」
「……小さな方を」
「ありがとうございます」
リリアーナのジュエリーに使うつもりはない。これは単に、ダニエルがほしいだけなのだ。だから安価な方でいい。ぱっと見た感じもうひとつの方が形も良く可愛かったが、ただでさえ高価な石。あまりお金はかけられない。だいたい今はいい服を着ているものの、ダニエルは平民だ。本来ならピンクローズを購入すること自体おこがましい。
だというのに手に入れたかったのは、リリアーナに似ていたから。そう遠くない未来にふたりは離れることとなる。幸せになってほしいと願うと同時に感じる寂しさ。だから、思い出としてせめて。
支払いをすると小さな巾着を手渡された。紛失しないよう、コートの内ポケットにしまいこむ。オーナーに礼を言うと、ダニエルはその足で仕立て屋へと向かった。
今回は二着目の服を受け取りだ。それこそポチにもっとこだわれと言われたが、予算は限られているのだから出来るかぎりリリアーナのジュエリー製作につぎ込みたい。
「まあまあまあ! なんて立派なんでしょう!」
「ありがとうございます。マダムには感謝しかありません」
大きな鏡に写っているのはぴしりとした正装に身を包んだダニエル。姿勢も意識的に正して衣装に着られないよう試みる。
これはクリスティアーナと対面する時に着る特別なものだ。馬子にも衣装なのはダニエル自身分かっている。しかし敬意を表する意味でも見た目を取り繕うのは大事だと思う。ポチにはもっとこだわれと言われたが、これ以上自分自身にお金はかけられない。
クリスティアーナとの約束の日まであと一週間。
本当にぎりぎりの綱渡りだ。
「そのまま少し周囲を歩いてみなさい。動かしづらい所があれば調整してあげるから。そうだ、少し先にできた新しい菓子屋がね、とても美味しいんですって。奥さんに買って行ったらどうかしら。その間にこっちの服をお直してるから時間は気にしなくていいわよ」
その言葉に妙に浮かれてしまって、ダニエルは言われるがまま外へ出た。外は気持ちいのいい晴れ空で、少し風は強いが爽やかな天気だ。マダムが言っていた菓子屋は少し離れたところにあるので姿勢に気を着けながら歩く。ピカピカの革靴がちょっぴり誇らしい。
その日はダニエルにとって特別な日になるはずだった。
欲しかったピンクローズを自力で買い求め、クリスティアーナと対峙するための服を手に入れる、特別な日に。
道を歩いていると風にのって何かが燃える匂いが鼻をかすめた。
「おい誰か! あそこ火事だ!!」
「火事だー!!」
往来の人々がその声に一斉に振り返る。
空に立ち上る黒い煙が屋根の間から見えた。
ふいに背後から腕を掴まれる。
「おいアンタ、魔力持ちのダニエルだろ!? ぼさっとしてねえで手伝え!!」
特別な日に、なるはずだった。




