24話 おかえりなさい
昼間、ふたつのぬいぐるみを見ながらリリアーナはぽつりとつぶやいた。
「お姉さまは猫かしら」
いつも少しツンとした表情。でもふさふさ尻尾の具合でご機嫌かどうかすぐわかる猫。
「確かに。高貴な長毛種って感じですね」
「今度作ってみようかな」
「ぜひぜひ」
一緒にいたメイドのソニアが楽しみと言ってくれたのでリリアーナの気持ちも上がる。ぬいぐるみをたくさん作って販売してはどうかとも言われたが、しばらくは趣味の延長でやるつもりだ。
「じゃあポティフィラス様は大鷲でしょうか? 強そうでお美しいし。なんだか考えるのが楽しいですね」
「ポチはゴリラでいいんじゃないかしら」
「ええ……?」
図鑑で挿絵を見ただけだからゴリラがどんな生き物がよく知らないけど、でもあのごりごりした見た目はそっくりだ。
「ダビド様は毛がもこもこした犬ね。あ、でも他国の王族に近しい方をぬいぐるみにしたらさすがに不敬だわ」
ダニエルが旅に出てもうひと月と二週間が過ぎようとしていた。姉が切った期限は折り返しを過ぎている。結果がどうあってもリリアーナは受け入れる覚悟はできている。けれど少なからず焦燥があるのも事実だ。
ある晩遅く、リリアーナは我慢ならず自室を抜け出しダニエルの部屋に侵入した。寂しさがピークになり、服でもなんでもいいからダニエルのものが欲しかったのだ。淑女の風上にもおけない所業だがリリアーナの決意は固かった。だって妻だもの、を合言葉にそろりそろりと足を動かす。
カンテラの明かりを頼りにこざっぱりした部屋を見渡した。家具は最低限だが、作業机は広く、道具が整頓されて並んでいる。それに彫りかけの木工細工と小さな魔石がいくつか。実にダニエルらしい部屋だと思った。
いつ帰ってきてもいいように部屋はきれいにしていた。それがかえって主人の不在を際立たせているようで少し寂しい。洋服ダンスからシャツを一枚拝借したらそそくさと退散するつもりだったけれど、たまらずにリリアーナは簡素なベッドに腰を下ろした。そのままころんと横になる。
太陽を浴びたシーツのいい匂い。その中にほのかに感じるダニエルの匂いに、リリアーナの胸がきゅっと締め付けられる。
(うう……ダニエルのばかばか。なんで帰ってきてくれないの)
もし旅先で事故にあって記憶喪失になって看病した誰とも知らない女性と仲良くなっていたらどうしよう。その女性がダニエルに心底惚れ込んで妻を自称してしまったら。
(ダニエルはとってもカッコよくて素敵で優しいからありえる……わたしが本当の妻なのに)
飛躍した想像で勝手に傷つき、涙が出てくる。たまらずに枕をひきよせ強く抱きしめた。今夜はここで寝てしまおうかと悪魔が甘くささやきかける。淑女としては大変よろしくない気がするけれど、もう自分の部屋に戻る気にもならない。いそいそと毛布の中にもぐればダニエルに包まれているような気がした。
けれど。
(寒い……)
ひとりきりの体温ではなかなかベッドは温まらず、手足の冷たさはとれない。それでも毛布に包まりじっとしているうちにぽかぽかとしてきた。
カンテラの明かりが切れ、周囲は暗さを取り戻す。すっかり細くなった三日月の明かりがカーテンのすき間からほのかに漏れていた。
すっかり寝入ってしまったが、ぎしりと床が沈む音に意識が浮上する。頭を撫でられ、頬に乾いた指先が添えられた。
「……ああ、なんて都合いい夢を見てるんだ。バカだろ俺」
しばし心地よい間があり意識がまた遠のこうとしているとまた声が聞こえてくる。
「会いたかったです。ずっと、会いたかった」
心にひどく訴えるような、しかし今にも消えてしまうようなささやき。
その後すぐに規則正しい寝息が聞こえててきた。反対にリリアーナの脳は一気に覚醒する。ぱちりと目を開けるとダニエルがベッドに上半身を預けるようにして眠っている。どきどきと心臓が強く脈打ち、火が噴きそうなくらい全身が熱くなっていた。
(ダ、ダダダ、ダ、ダニエル!? え、いま、ええ、ひえええええええーーーーーっ!? どどどどどうしよう、勝手にベッドへ忍び込む破廉恥な女だって思われちゃう!!)
◇
朝になり、ダニエルはぱちりと目を覚ました。
周囲を見渡してここが家であることに心底ほっとする。昨夜はリリアーナの夢を見てしまったが、起きてみれば部屋にひとり。ほっと胸を撫でおろす。いくら夫婦と名乗っていてもそれは偽りの姿なのだから寝室で共に過ごすなど許されるわけがない。それにダニエルにとってリリアーナは高貴なお姫さまで、決して気軽に触れていい存在ではないのだ。
昨夜は時間が遅すぎた上に疲労困憊で意識が危うかった。夜番の護衛に声をかけて中に入れてもらったところで心身ともに尽き果てたが、ちゃんと自分の部屋までたどり着いたようだ。ベッドにはあと一歩届かなかったのでそこだけ惜しい。
カーテンを開け外の光を入れる。
着替えて顔を洗い、荷物の整理をしながらリリアーナが起きてくるのを待つ。家主へ帰還の挨拶をしないうちはなんとなく落ち着かないのだ。
そうするうちにリビングに人の気配が。
「ほんとに、夜中に部屋へ飛び込んでこられたので何事かと思いましたよ」
「うう、お姉様には言わないで」
「ご報告しないわけにはいきません。何もなくとも、ですよ」
「この家にプライバシーはないの? いってきますの時も報告したでしょう」
「申し訳ありません、クビがかかっているので。それにクリスティアーナ様は御身を心配されているのです」
「むうっ」
なにか話の途中のようなので、一応部屋へ入る前にこんこんと扉をノックする。するとメイドとリリアーナの話し声はぴたりとやんでしまう。しまったと後悔するものの時すでに遅し。仕方がないので観念して扉を開けた。
「あ、あの」
ふたりがいるであろう方向に頭を下げる。
「予定よりだいぶ遅れましたが、ただいま戻りました。すみません、本当に遅くなって」
自身で立てた予定も守れず情けない限りだ。もしかしたらリリアーナは心配などしていないかもしれないけれど、でも帰ってこないことに少しでも不安を抱かせたのなら誠心誠意謝りたい。
「ダニエル!」
ぶつかるように飛び込んでくる彼女を受け止めた。
「うわーんダニエルのばかばか! 帰ってくるのが遅いわ! ケガしてない? 記憶喪失になってない? 現地妻つくってない? いきなり帰ってくるんだからびっくりしたわ」
ぽかぽかと胸を叩かれるのを黙って受け入れる。真摯な態度をとるべきなのにリリアーナがかわいくてつい口元が緩んでしまった。するとリリアーナはするりと腕をまわし、ダニエルにぎゅっと抱きつく。ふわりと香る花のような匂いに、昨夜の夢が鮮明に思い出された。
「おかえりなさいダニエル」
「……はい」
至福というのはこの瞬間を言うのだろうなとダニエルはしみじみ思う。
「……あの、昨日の夜のこと、なにか……覚えてる? 家に戻ってから、なんだけど」
「昨日ですか? どうも疲労困憊だったようで自室に戻ってからの記憶があんまりないんですよ」
「そうなのね! なら大丈夫よ!」
胸に顔を埋めるリリアーナの顔が真っ赤になっていることには、気づいていない。




