22話 もうやめてください
クリスティアーナを前にして、ヴィクターは怒りを隠そうともしなかった。
「貴様ごときがこの僕を騙した罪は重いぞ」
「…………」
貴様ごときと言ってくれるが、クリスティアーナはれっきとしたアッシュフォード家の当主。れっきとした伯爵だ。対してヴィクターは侯爵の息子で彼自身は何者でもない。この場合どちらの身分が高いか冷静であれば分かるはずなのに、だいぶ感情的になっているようだ。それとも無条件で女は劣る存在だと思っているのだろうか。
それからヴィクターはクリスティアーナを散々なじった。何も言い返さないのをいいことに聞くに耐えない言葉を言い連ねた。
(性悪だの血の通わなぬ冷たい女だの……よくもまあ口が回ること。それだけ言葉がすらすら出てくるのなら作家に向いているのではなくて?)
クリスティアーナとて単に黙っているわけではない。この状況下でもヴィクターがどんな人物かを見定めているのだ。妹にふさわしい男であれば求婚も考えないわけではない。彼は家柄も経済力も申し分ないのだ。異常とも思える執着心だってうまく噛み合えばリリアーナを大事にしてくれる可能性がある。ヴィクターが本気なら、ダニエルにチャンスを与えたのと同じく、どこかで機会を設けてもよかった。
「だいたい隠れてコソコソするのはあまりにも品に欠けると自覚しているのか。まったく嫌な女だ。だからおまえの婚約者は愛想を尽かしたのだろう、簡単に想像がつくぞ。おまえ、これからどうするんだ。派手なだけの見た目に男も嫌がる性格とあれば寄ってくる男は物好きしかおらんだろうな。はっ、よければこの僕が縁談相手を見繕ってもいいけどなあ?」
しかしこれはあまりにも、あまりにも。
おそらくヴィクターは感情的になると口が悪くなり、ことによっては手を上げる可能性が高い。自身の繊細な心を守るため過剰に攻撃するタイプだろう。そして大事なものとそうでないものの線引きがはっきりしている。今はリリアーナが大事だろうが、もしそこからこぼれる事があったらどうなる。それに大事なもの以外への雑な対応は側から見ていてまったく頼りない。
もうひとつ気になるのはリリアーナに対する想いだ。クリスティアーナは色恋沙汰を語れるほど詳しくないが、ヴィクターの抱く想いには少し違和感がある。目の前の人間を見ていないというか、完璧にまで作り上げた偶像の表面にリリアーナを貼り付けているというか。理想と違う一面を見てもヴィクターはリリアーナを変わらず愛せるのだろうか。
その時、クリスティアーナの背後で人が動く気配があった。
「もうやめてください、ヴィクター様」
隠れていろと言ったのに、妹は我慢が効かなかったらしい。
「リリアーナ!」
姿を見とめてぱっと表情を明るくしたヴィクターだったが、すぐさまその形のよい綺麗な眉根を寄せた。
「……どうして、そんな目で僕を見る」
思わず笑ってしまった。クリスティアーナには確認せずとも分かる。あの大きな瞳に涙を浮かべ、そして怒ったように睨み上げているのだろう。最近向けられたあの瞳は決して忘れられない。迫力があるとは言えないが、大切なものを蔑ろにされた憤りはよく伝わってくるから不思議だ。
「僕らは、運命で結ばれているんだよ」
「この前久しぶりに会っただけなのに運命とか知りません。それにわたし、お姉様を侮辱する方とは絶対に仲良くしませんから!」
ヴィクターはよろめいて一歩後ろへ下がる。言葉が何も出ないようで、顔面を蒼白にして口をはくはくと動かしていた。
(まあ、出血のない致命傷とはこういうものなのね)
同情がわかなくもない。もしかしたらヴィクターは妹を真実愛していたのかもしれない。でも妹はそんなのカケラも知らないだろう。むしろ変な噂を流されて不利益を被っている。「愛している」と「愛されている」は必ずしも繋がるものではないのかとクリスティアーナは新たな気付きを得た。
では相手から愛さなれないのなら愛する意味はないのだろうか。実に合理的な気はする。無駄な時間と労力を割かなくていいのだから。でもリリアーナとダニエルを見ているとそれも違う気がした。
すっかり石像のように固まってしまったヴィクターにリリアーナが念を押す。
「あと、わたしは結婚している身ですので」
しばし茫然とするヴィクターだったが、その端正な顔をくしゃりと歪めた。
「…………ふっ」
突如として聞こえた嘲笑。
ヴィクターは顔をあげてリリアーナをバカにするよう見下ろしている。これにはクリスティアーナも覚えがあった。敵わないと悟ったとき素直にそれを認めず、攻撃して相手を傷つけて自尊心を満たす人間の顔だ。
「ふり、だろう? 知ってるんだぞ。手だってまともに繋いだことないんだ。そんなもの夫婦とは言わない」
バカにする意図がたっぷり。
(でもリリアーナならムキになって言い返しそうね。『わたしたちは夫婦です』って)
しかし妹は予想に反してすぐ反論することはなかった。ただ、もじもじと落ち着きなさそうに視線をそらし、頬を赤く染めている。
「――は?」
絞りだしたヴィクターの声はどこかうわずっていた。彼は体を震わせ、目を丸くしてリリアーナを凝視する。信じられないとでもいうように。だんだんと呼吸が浅く短くなっているのがクリスティアーナにもわかった。
「……したもん」
視線を恥ずかしそうにそらしたまま、リリアーナがぽつんとつぶやく。
「夫婦らしいこと、したもん」
恥じらいと甘さをたっぷり含んだ様子はまさに恋する乙女そのもの。クリスティアーナはすぐに合点がいった。ダニエルが頬にキスをしたらしいのでそのことを言っているのだろう。
しかしこの局面でそのセリフはどうだろうか。もっと深い関係になったかのような意味にもとれる。案の定ヴィクターは目に見えて狼狽しだした。
「ふ、ふざけるな……ッ!」
控えていたポチが前に出てリリアーナを背に画す。激昂した男はとにかく危険だ。
「こんなの僕のリリーじゃない!!!!」
外にはヴィクターの手下がいる。そちらへ視線をやり「早く回収しろ」と目で訴えた。主人が醜態をさらす前に手を打つのも部下の仕事だろう。察したひとりがヴィクターの元へやってくる。
「リリーはかわいくて清楚で男のことなんて何にも知らない無垢な子だ……おまえみたいな女じゃない……!」
ぶつぶつと小声でしゃべり続けているが内容はひどい。いったい妹をなんだと思っているのか。
「そうだよ、そうだ。だいたい僕のリリーはもっと小さいんだよ。あんなにでかくない。そう、これくらい。これくらいの女の子なんだよ」
もう、いいだろう。
ヴィクター・ラングストンがどれだけ妹を愛していたかは知らないが、彼に任せる気は一切起きない。
「アッシュフォード家の当主として、またこの地の領主として、あなたにリリアーナへの接近禁止令を出します。書面の発行と同時に効力を持つものとし、今後我が領内でこの子に近づくことがあれば処罰の対象になりますのでご注意を」
◇
これより数年後、ひとりの劇作家が誕生する。
彼の作る脚本はどれも「最愛の恋人を別の相手に取られる」といった作風で、そのあまりの悲痛さ、強烈さにたちまち一世を風靡した。もちろん救いがない展開への批判は多かったが、同時に熱烈なファンも存在した。作者死亡後もたびたび話題となり、以降も彼の劇は観た者の脳を焼き続けたという。
彼は人目も気にせずピンク色の髪をした幼い少女人形を常に抱いており、「僕のリリー」と偏愛を隠そうともしなかったそうだ。




