21話 こわい……
※シャイニングのジャックニコルソン的怖さ注意報。
心構えお願いします。
その日の夜、リリアーナとダニエルの慎ましい家に灯かりがともった。誰かから隠れるようひっそりとした帰宅は実に一週間ぶりだ。それを離れたところから眺める男たちがいた。
「待っていてリリアーナ。今すぐ迎えにいくからね」
そうつぶやくヴィクター・ラングストンの瞳は暗く冷たい。
父親は断固としてリリアーナとの結婚を認めなかった。王侯貴族の間で思惑がいろいろあるのは理解するが、たったひとりの女を娶るくらいどうとでもなるだろうとヴィクターは思う。
相手は格下の伯爵家。多少景気のいい話は聞こえてくるが、ラングストン家はこの国に何十といる貴族の上位だ。右を向けと言ったら多くの人間は右を向かざるをえない。そのはずなのだ。
リリアーナをいやな女と吹聴するのは簡単だった。ヴィクターがそういえば取り巻きはうんうんと頷き、広めてくれる。彼女の魅力を知っているのは自分だけでいいのだ。最初のころはそれで充分だった。噂が回りだすとどこぞでホームパーティーが開かれてもリリアーナは留守番をすることが多くなり、人目につくことが少なくなった。その包囲網をすり抜け結ばれそうな婚約を潰すのもまあ父に泣きつけばどうにかなった。
ジョセフとかいう顔だけの男にたぶらかされそうになった時は焦ったけれど、それでもヴィクターは信じていた。最後に結ばれるのは自分だと。リリアーナは真実の愛に気付くと。彼女はそんなふしだらな女じゃない。
そのジョセフから逃げるためにどこぞの平民と夫婦のふりをしているらしく、そのいじらしさに胸が切なくなるばかりだ。ふりとは言え彼女がかわいそうだと心底思う。もしそこでヴィクターの存在を思い出してくれたら。頼ってくれたら喜んで手を差しだしたのに。
そこではたと思い直す。
もしかしたらリリアーナはとっくにヴィクターのことを思い出していたかもしれない。それどころかずっとその想いを胸に秘めていたかもしれない。家では自由に発言できなかっただろうから、自分ひとりで抱えて苦しんで泣いていた夜があったかもしれない。
だとしたら、なおのこと助けだしてあげないととヴィクターは思う。
リリアーナは立派と成長したヴィクターを見たら惚れ直すはずだ。なぜならヴィクターは外見も中身も完璧だから。こんな特別な自分と短い間だったとはいえだっと幼少期に一緒に過ごしたと思ったらどんな女性でも運命を感じてしまうだろう。ヴィクターを見たら途端に頬を染め、うっとりと見上げてくるに違いない。
『あなたはもしかして……本物のヴィクター様?』
『そうだよ。きみはもしかしてリリアーナかい』
『ええそうです! ああ、夢みたい……』
こんな運命の再会を果たすはずだったのだ。
それなのに。
「……くそ」
父であるエドガーはリリアーナとの結婚を許してはくれなかった。
ラングストン家としてはアッシュフォード家と縁を持ちたくないし、結婚したいのならそれなりの条件を向こうから引っ張ってこいとクリスティアーナと同じことを言う。
リリアーナから結婚したいと言ってくれればアッシュフォード家からいろいろ条件を引き出して父親を説得できる自信があった。長いものに巻かれる主義のリリアーナの父親が当主であればいいように言い含めることもできただろう。
邪魔なのはクリスティアーナだ。
当主に成り代わっただけでも煩わしいのに、妹の幸せな結婚が気に入らないのか一切リリアーナに取り次ごうとしない。そればかりか妻にほしいなら誠意を見せろという態度にヴィクターは腹の中が煮えたぎるような思いだった。
ラングストン家は確かに侯爵という爵位を賜り、貴族の上位となる存在だ。しかしながら全能ではない。逆に、格下と言わざるをえない爵位でも蔑ろにできない場合もある。困ったことにアッシュフォード家はその蔑ろにできない家だった。領地を持ち潤沢な資源があることもだが、あの家はとにかく歴史が長い。ラングストン家を新参ものと揶揄できるくらいには長いと知ったときは驚きもしたし、嫌気がさすほど厄介さを感じる。
さらにこのタイミングで王太子へ露骨なごま擦り。現国王と王太子は仲がいいとは言えず、取りまく派閥が違う。ラングストン家は国王派。アッシュフォード家はこれまで日和みであちこちにいい顔をしていたのに、クリスティアーナは旧友だか幼なじみだかのよしみで、先日王太子へ親愛の手紙と共に貴重な魔石を送ったと聞く。
頑なではあったが「アッシュフォードに頭を下げさせれば許さないこともない」という姿勢だった父エドガーは、その話を耳にしてから「婚姻など絶対に許さない」ととりつく島もなくなってしまった。
状況は最悪。
しかし、まだ手はある。
ゆっくりリリアーナと語らいあう時間さえあれば彼女はヴィクターに落ちる。そうすれば問題の多くは片付くはずだ。
「いくぞ」
捕らわれの姫を助けだすのはいつだって王子の役目。ガワだけきれいな魔女は指をくわえて見ているがいい。
ヴィクターは別に襲おうとか誘拐しようなんて思いはない。ただ会ってふたりで話したかった。それでも邪魔が入るようなら無理にでも連れていくつもりだが、まずは穏やかにいく。
質素な玄関扉の前に立ち、優しくこんこんと叩く。
「リリアーナ、僕だよ。開けてくれ」
こんこん、こんこん。
名前は言わずとも分かってくれるはずだ。
しかし、いくら待っても反応はない。
こんこん、こんこん。
「リリアーナ」
こんこん、こんこん。
こんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこんこん――
もしかしたら音が奥ゆかしすぎて聞こえなかったのかもしれない。そう思ってヴィクターはこぶしを握り扉へ叩きつけた。
がんっ、がんっ。
「開けてよ、ねえ開けて。ははっ、いるのわかってるんだよ」
強い力でひたすら扉を叩いた。手が痛くなってきたので足で蹴る。最初からこうすればよかったと思った。
しばらくしてようやくリリアーナの声が聞けた。
「ど、どなたですか」
扉ごしのくぐもった声。ヴィクターは嬉しくなって扉にべっとり貼りついた。
「あはは、やっと出てきてくれたね」
「ひっ……!」
冷たい木製の扉は興奮を鎮めるのに丁度よさそうだ。それに頬をくっつけたままだとリリアーナの声をより感じることができる。彼女もヴィクターが迎えに来たことを喜んでいるに違いない。
「ここをあけてよ」
「い、いやです。だから、どなたなんですか」
「僕だよ。どうしてわからないの」
「いや……こわい……」
中からすすり泣く声が聞こえてくる。
意味がわからない。
「開けてよ。ほら、早く開けろって」
腹が立って思いきり扉を蹴った。慎重なのはいいことだけど、時と場合によるだろう。我慢がきかなくなったのでヴィクターはドアノブに手をかけた。思いきりひねって開けようとするも、鍵がかかっている扉はびくともしない。
「……この家、もともと鍵なんて上等なもの、なかったよね。庶民の家だから。どうして鍵がついてるの」
がちゃがちゃと音を立ててドアノブを回す。紳士的に待っていたのがバカみたいだとヴィクターは思った。
「そうか、用心のためにつけたんだね。えらいね、リリアーナ」
がちゃがちゃがちゃがちゃ勢いよくドアノブを回す。
「僕が来たからにはそんなもの必要ないよね? 早く開けてよ」
痺れをきらしたヴィクターはいったん扉から離れると、扉の鍵穴をのぞき込んだ。わずかな明かりが漏れていて、近くに人の気配を感じる。リリアーナがすぐそばにいるのだ。
「リィ~リアアアナァ~?」
鍵穴に向かって声をかける。
リリアーナのことは好きだが手間をかける子は好きじゃない。折檻が浅くですむうちに無駄な抵抗をやめたほうがいい。
つれてきた手下たちに手で合図を送る。
手荒な手段はとりたくなかったけれど、こうなれば無理やり連れていくしかなさそうだ。ひとまず斧で扉を壊そう。少しでも反抗的な態度を見せるのなら躾けも考えたほうがいいかもしれない。
その時、かちりと鍵が開く音がした。
目の前でゆっくりと開く扉にヴィクターは目を輝かせる。
「――リリアーナ!」
やっと開けてくれたんだね、と笑顔を浮かべたのもつかの間。ヴィクターはその顔を盛大にひくつかせた。
「お、おまえっ」
リリアーナとは似ても似つかないその女は、ヴィクターの動揺を見て機嫌よさそうに笑みを浮かべる。
「このような時間にどんなご用かしら」
これは、彼女の姉。
「……クリスティアーナ嬢、なぜここに。リリアーナをどこへやった」
辺りを見回しても彼女らしき人は見当たらない。
クリスティアーナは不思議そうに首をかしげると、それから合点がいったようににこりと笑った。コホンと小さく咳払いをし、持っていた扇で口元を隠す。
「……『お会いしたかったです、ヴィクター様』」
「なっ!?」
それはまごうことないリリアーナの声。
「声真似か! なんとおぞましい……ッ!!」
まさか今までのやりとりはずっとこの女としていたのか。そう認識していまうと吐き気がこみ上げとっさに右手で口を覆う。
「ふふ。妹はしっかり者なの。こんな状況でひとりこの家に戻るほど浅はかではないわ。あなたの手下の甘い誘い、しっかり私に相談してくれてよ」
女狐のごとく目を細めるクリスティアーナを前に、ヴィクターは忌々しそうに顔を歪ませた。




