19話 どういうことですか!?
来客に向けてクリスティアーナは化粧を直してドレスを着替えた。たっぷり四十分はかかってしまったが仕方ない。淑女の準備は時間がかかるもので、予告もなしにやってきたのだからそれぐらいは気持ちよく待っていてほしい。クリスティアーナはそう思う。
「急な訪問で申し訳ない。やはり彼女のことが気になってしまって」
応接室に入るとヴィクターの顔がぱっと輝くが、リリアーナがいないと分かると分かりやすく落胆する。
わざわざ妹に会うため他領まで足を伸ばしてご苦労なことだが、だからと言って顔を見せてやる義理はない。
「……リリアーナは?」
「妹なら部屋で休んでいます。とても疲れているようで。気にかけてくださってありがとうございます」
互いに握手を交わしてソファーへ腰を下ろした。
すかさず使用人が新しい茶器を出してくる。
「お酒にしましょうか」
「いいや、お茶でいいよ」
貴族は腹の探り合いというが、ようは相手に喋らせたもの勝ちだ。クリスティアーナの無口なたちと迫力のある美しい容姿は、相手を萎縮させる。すると相手はなぜか喋りだす。無言の空気に耐えられないのだ。そこで適度に相槌を打っていけば相手はいろいろしゃべってくれる。
しかし目の前の男は違う。
あくまで主導権は己にあると自信を持っている。それはそうだろう。ヴィクター・ラングストンは正しく社交界の貴公子で、侯爵家の嫡男だ。そこらの男と同列にする方が失礼かもしれない。
「きみの元婚約者であるジョセフのことが嫌で、彼女はこの屋敷を出て行ったと聞いたよ。かわいそうに。きっと慣れない環境に苦労しているんだろうね」
しかし肝が据わっているのと相手を見下しているのは根本的に違うだろう。別にそのことが悪いとは思わない。クリスティアーナだって平民であるダニエルのことは対等だと思っていない。しかしそこに自覚があるのか、その対応が正しいのかは常に考える必要がある。
「……だとしたら、妹の夫のことも聞いているのではなくて?」
「あんなもの夫とは言わない。平民だぞ。かわいそうに、きっと君が怒っていると思って偽装してるのさ。僕にはわかるよ」
さて、どう返したものか。
ヴィクターは普段は要領よくやっているようだが、リリアーナのことになると分厚いフィルターがかかるらしい。認識がゆがんでいる。しかし他人に家のことを懇切丁寧に語るものではないし、語りたくもない。
黙り込んだクリスティアーナに痺れを切らしたのか、ヴィクターは苛立たしげにため息を吐いた。
「……仕方ない。リリアーナが来ないのなら、婚姻について話を詰めたい」
リリアーナが聞いたら「どういうことですか!?」と泣きだしそうだ。確かに目の前の男から打診をもらっている。けれど家名を掲げた正式なものではない。内々の交渉程度だ。
「侯爵家の意向が変わっていないのでしたら、リリアーナを娶るのは難しいのではありませんか」
簡単に言えばラングストン家とは派閥が違う。敵対、というまで強いものではないが、ヴィクターの父であるエドガーはこの婚姻に積極的にはならないはずだ。案の定ヴィクターのきれいな顔がわずかに歪んだ。
「……次期当主は僕だ。そんなもの、どうとでも」
「そうですわね。しかし侯爵家の現当主であるエドガー様はまだまだお若いですし影響力も大きい。当主交代はだいぶ先のご予定では? 十年後、二十年後……下手したらもっとかしら」
アッシュフォード家の場合は両親がそろってやる気がなかったのでクリスティアーナがその座をもらい受けた。しかしラングストン家は違うだろう。跡継ぎがいようと自分が死ぬまで権力を握っていたい御仁は多い。おそらくエドガーもそう簡単には当主の座を譲らないはずだ。
「それがどうした。クリスティアーナ嬢、まさかとは思うが、僕らの仲を邪魔するつもりじゃないだろうね。もしそうなら手加減はしないよ。どんな手を使ってもリリアーナを手に入れてみせる」
「例えばどうなさるの? 無断で婦女子を連れ去るなんて紳士どころか犯罪者ですし、家に無理やり押し入るのも同様ですわね。そんなことはなさらないと信じていますけれど」
もしそういう手段に出るのであればクリスティアーナだって黙っていない。あらゆる伝手を使って犯人を追い詰めこの世の地獄を見せてやるつもりだ。だってリリアーナこそクリスティアーナのものだから。この世で唯一お姉様と慕ってくれる、憎くて妬ましくて愛しいたったひとりの妹。
そこまで考えてふっと笑った。
結局所有物のようにしか考えられない自分に呆れてしまう。
「……伯爵家の当主は私、クリスティアーナ・アッシュフォード。大事な妹の良縁を吟味するのも私の仕事です。ならばヴィクター様がされるべきはリリアーナへのアプローチではなく、私の説得ではなくて?」
それでもいいではないか。
大事なものには変わりないのだから。
「私が『妹をお願いします』と言いたくなるような誠意を、お待ちしておりますわ」
誠意なんて言葉を貴族語に訳せば、それは利益というひどく現実的で浅ましい数字になる。それをこの貴公子はどこまで引き出せるだろうか。ある意味時間稼ぎでもある。
「……必ず言わせてみせるよ。楽しみに待っているがいい」
こうしてヴィクターは帰っていった。
ひとまず今日はこれでいいだろう。
おそらくリリアーナに対する執着は並々ならぬものがあるだろうから、父親を詰めてなんらかの条件を提示してくるはずだ。権利か金か、人脈か。それすら出来ないのならその程度の縁だったということ。
クリスティアーナは地図を眺めながら思案を巡らす。無意識に唇の端が上がっていることには気づいていない。
「……エリザベスはいるかしら」
「ここに」
エリザベスは侍女というより秘書に近い。スケジュール管理や文書の管理作成など細々した雑務を請け負ってくれる人物だ。動きやすいからと男のような装いをしており、これがまたよく似合っている。
「先ほどの内容を聞いていたわね。あとでポチに軽く教えてあげて」
「ポティフィラス様ですね、承知しました」
クリスティアーナに色恋はよくわからない。
けれど、こうやって自分の頭や人を使うことは嫌いじゃない。情報をパズルのように組み立てて先を予測する。結果をもって立ち位置を調整しながら、望む結果に少しでも近づけるよう知略を巡らす。令嬢らしくないと言われたらそうなのだろう。
貴族には爵位があるが、格上だからと無条件に頭を下げるべきなんてことはない。結局は家名が持つ力がものを言う。確かにラングストン侯爵家を真正面から相手するのは骨が折れるだろう。けれど初手で降伏するほどの相手ではない。
「手紙の用意もお願い」
「かしこまりました」
人脈も本人の力だとしたらそれを大いに見せてもらおう。
「父親に泣きつけばどうにかなると思っているのなら大間違いよ」
つまるところ、クリスティアーナはヴィクターに負ける気は一切なかった。




