17話 ひどいわジョセフ様
久しぶりの再会、と言っていいのだろうけど、リリアーナは特に感情が高まることはなかった。関わりがあったのは小さい頃の短い間だけで、これといって感慨深い思い出もない。相手の名前を思い出せたことにホッとしたほどだ。
(ヴィクター様は確か侯爵家……粗相のないようにしないと)
王都から離れ領地までわざわざ足を運んだのだから何か用事があるのだろう。リリアーナは改めてヴィクターを見る。かつての面影を残しつつもしっかりと大人の男性になっている。歳は確かひとつ上だった。近寄りがたいほどの整った見た目はジョセフと並ぶほどだ。
そして本能はしっかりと危険信号を出していた。
これに気づかないリリアーナではない。
小さい頃の出会い。
年頃になってからの再会。
高位の貴公子。しかもカッコいい。
危険因子が揃いすぎている。
結婚適齢期の貴族令嬢にはどこまでも高貴な縁がつきまとうと占い師は言っていた。今はダニエルと離れているからその引力が強くなっているのかもしれない。
リリアーナは気持ちを引き締める。
誰がなんと言おうと今はダニエルの妻だ。ジョセフとのことを反省し、余計な愛想は振りまかないと心に決めている。側から見て不貞を連想させるようなことは絶対しない。
「久しぶりに会えて嬉しいよ。その可愛い色の髪、昔から変わらずよく似合う」
「ありがとうございます」
「よかったらこのまま一緒にどこか行かないか。久しぶりだし、いろいろ話したいことがあるんだ」
話すうちに思い出してきた。
無意識のうちに体が半歩後ずさる。
「……すみません。お会いできたのは嬉しいですけど、今日はこの後も予定があるので」
「せっかく再会できたんだ。少しの時間くらいいいだろう」
そうだ。この人、話を聞いてくれない。
相手の意向を伺うポーズは見せるけど、結局は自分の思う通りにならないと不機嫌になる。一緒に楽しめれば問題ないのかもしれないけれど、生憎リリアーナは振り回されて大変だった記憶しかない。
なんとか断りたいと思っていると、突然大きな声が割り込んできた。
「リリアーナ、大丈夫か!」
振り向くと、既視感のある人が髪を振り乱し血相を変えてこちらへ駆け寄っている。
「ジョセフ様……?」
姉の婚約者。それとも元婚約者か。ジョセフはヴィクターとの間に割り込むと、リリアーナを背に隠すようにして彼の前に立ちはだかった。助かったと思うべきか、さらなる騒動の始まりに備えるべきか、リリアーナにはわからない。
「ジョセフ・ヴァーノン。こんな所で会うとは奇遇だね。顔だけの甘ったれと思っていたけれど、どうやら鼻もいいらしい」
「ヴィクター殿こそ、なぜリリアーナに付きまとう。かわいそうに怯えているじゃないか」
「まさか。彼女は僕に会えて嬉しいんだよ」
どっちもぜんぜん違います。内心で反論しながらも冷静に辺りを見回した。見目麗しい貴公子がふたり往来の道で言い合いをしていては相当に目立つ。彼らの従者も近くに控えているし、すでにギャラリーがそこそこいた。
リリアーナはどうにかこの騒ぎから抜け出したかった。そんなことを考えていると貴公子たちの言い合いがヒートアップしていく。
「きみ、クリスティアーナ嬢との婚約は解消したらしいね。婚約者の妹に惚れ込んだ不貞者とウワサされているが、ご存じか」
「……婚約解消は互いに合意の上です。まわりからどうこう言われる筋合いもない。どのみち僕がアッシュフォード家へ入り支えることに変わりはないのです」
「平民と勝負をしていると聞いたけど?」
「あんなもの茶番ですよ。身の程を知らしめる機会を与えてやっただけです」
「ふうん。……だってよ、リリアーナ?」
話しを振られるよりも先にリリアーナは自分が怒っていることに気付いた。お腹の底が熱くてたまらない。姉のことも、ダニエルのことも、どれだけ馬鹿にしたら気がすむのか。
「ひどいわジョセフ様……お姉様の気持ちを何もわかってない……!」
「ち、ちがうんだリリアーナ」
途端におろおろするジョセフを思いきり睨んだ。
(わたしも当事者だから怒る資格なんてないけど、それでもひどい)
ヴィクターがにやりと唇の端を上げる。
舞台俳優のように大きな動作でやれやれと肩をすくめて見せると、リリアーナにむかって慈しむような笑みを浮かべた。
「かわいそうに。これでは出かけるどころではないな。どれ、僕の従者に家まで送らせよう。おいそこのメイド、案内しろ」
ジョセフが「そんなことさせない」と怒っている。一方でヴィクターは余裕ありげに「これで涙を拭うといい」とハンカチを差し出してくる。
感情が爆発しそうで、頭がぐるぐるして、何をどうしていいか分からない。ジョセフから離れたいけれど、だからと言ってヴィクターの世話になるのはきっと良くない。
気付いたメイドがリリアーナを守るように立ちふさがってくれるが、彼女の顔色は悪かった。高位貴族を相手にするのは怖いのだ。本当なら主人であるリリアーナが毅然としなければならないというのに、正直なところ泣き出したい気持ちでいっぱいだった。
(助けて、ダニエル……お姉様……!)
「何をしているメイド。さっさと準備をしないか」
思い通りにならないからかヴィクターが苛ついたように舌打ちをした、その時。
「それにはおよばん」
大きな影がリリアーナたちの間に割って入った。お仕着せをきた異国の美丈夫が得意気に笑顔を見せる。
「迎えに来たぞ、夫人」
「……ポチ」
「ダニエルに頼まれている。おまえに何かあれば奴が悲しむからな」
助かった。そしてダニエルの気持ちが嬉しかった。もしかして愛されてるかも、なんて勘違いをしそうになってぶんぶんと首を振る。ダニエルは優しい人だから。そう自分に言い聞かせる。
ヴィクターは訝し気にポチを見上げ、そして口をつぐんでしまった。黙っていても威圧感は充分にある男である。異国風の顔立ちから何かを察して出方を伺っているのかもしれない。
しかしポチと面識のあるジョセフは噛み付いた。初対面から仲はよくなさそうだったが、今日は最初からケンカ腰だ。
「邪魔をするなポチ。使用人ごときが」
「生憎、貴君にその名を呼ぶことは許していない」
「なんだと!」
ふっ、と鼻で笑う様子は使用人とは思えないほど偉そう。
「我が名はポティフィラス・チャンドラセカラン・ティモシオ・フェルナンド・カリストゲネス・デ・ラ・フルス。主人がひとつひとつ願いを込めて付けた特別な名だ。聡明なる貴君にはどうかフルネームで呼んでほしい」
慇懃に頭を下げて見せるその余裕に、ジョセフがぎりりと歯を鳴らした。




