15話 おねえさまの夢はなに?
クリスティアーナは執務机に着き、考えごとに耽っていた。
最近、よくわからないことが多すぎる。
リリアーナは半分血のつながった可愛い妹だ。その無邪気さに救われたこともあるし、お姉様と慕ってくれる姿に癒されることもあった。けれどおもしろくなく思う気持ちだって常にあった。父も義母も、常にリリアーナばかりを気にかけ、クリスティアーナのことは邪険に近い扱い。これでひねくれるなという方が無理である。
婚約者であるジョセフとリリアーナが想い合っていると感じたのはいつの頃だっただろうか。ジョセフは妹のことばかりを気にかけ、クリスティアーナと一緒にいても全く楽しそうではないのはきっかけのひとつだった。
リリアーナは本当に可憐な容姿を持っているし、性格も明るくて無邪気で、クリスティアーナとは全然違う。彼女と一緒に過ごせば誰もが心惹かれるのは当然だろうという諦めは幼い頃からついていた。
順当に、ジョセフもそうなっただけ。
しかしジョセフは婚約者で、正しくクリスティアーナだけのものだった。彼のことが好きかどうかは分からないけれど、執着はしていると自覚がある。リリアーナのことをいくら好きになったとしても結婚するのは自分である。
(でも、妹のことが好きな男と結婚をして……それってどうなのかしら……)
ふと心に浮かぶ疑問。
幼少の頃から賢いだとか優秀だとか言われていたが、それは純粋に勉学へ興味があったからだ。それらが自身に向くことはほとんどなかった。言われるままされるがままにスケジュールをこなしていく日々に他が入り込む隙間がなかったのだ。だから自身に向けられたこの疑問はクリスティアーナの心に深く刺さった。
(結婚……)
家を継ぎ、血の残し、名を未来へつなげるための制度。しがらみや思惑が重なることもままあり、家を継ぐともなれば当人の意志が反映されることはほぼない。
『ねえ、おねえさまの夢はなに? わたしはね、大好きな人とけっこんすること!』
まだ幼かった時にリリアーナが言った言葉がふと思いだされた。あの時は「貴族令嬢はあまり自由に結婚させてもらえないのよ」と答えた気がする。自分が言われた言葉をもう少し優しくして伝えたが、聡いリリアーナにはそれでもしっかり伝わったようだった。しゅんと落とした肩に少しの申し訳なさを感じたのを覚えている。夢なんて考えたこともなかったし、それを楽しそうに話すリリアーナをやり込めたことに対するほんのちょっぴりの愉悦もあった。
(好きな人と結婚……長い時間を共にするのなら互いに好意を持っていた方がいいわね。子どもも作らないといけないのだし。好きな人との結婚は令嬢として立派な夢だわ。小さかったとは言えリリアーナには申し訳ないことをしたわね)
瞳を閉じ、気持ちを落ち着かせ、内なる心に目を向けた。そして正直に自分の気持ちを紐解いていく。
ジョセフの気持ちを掠り盗ったリリアーナに不満をぶつけたい気持ちがあった。あれは私のものだと強く言いたい。クリスティアーナの持ち物を羨望の眼差しで見つめるのはいい。とても心地がいいし。心地いいのはそれがあくまで自分のものであるからで、クリスティアーナの意見を無視してリリアーナの手元へ渡ってはいけない。
ジョセフのことは好きか嫌いか、それはよくわからない。でも彼はクリスティアーナのものだ。祖父からもらった人形も、母の形見の宝石も、クリスティアーナだけのもの。
「ふふっ」
そこまで考えて思わず自嘲の笑みがこぼれた。
あけすけな自己探求の末に出た答えはあまりに子供っぽい。クリスティアーナは自分にひどく呆れた。姿形は大人になった癖に、いつまで経っても中身がつまらない。それはそうだ。人生はいつだって『昨日』の続き。劇的な変化などありはしないのだ。
(……リリアーナが望むのなら、ジョセフと結婚させてもいいかもしれないわね)
可愛くて憎らしい腹違いの妹。
いつもキラキラした眼差しでクリスティアーナを見つめ、慕ってくれる。彼女の夢がまだ好きな人との結婚ならば、叶えてあげるのも姉の使命なのかもしれない。
そう思って父を追いやり色々手配したというのに。肝心のリリアーナはまったく嬉しそうではなかった。さらにはどこの馬の骨とも知らない平民の男と結婚したと言う。姉の婚約者と結ばれるのは妹なりに思う所があったにせよ、とんでもない発想と行動力だ。
(あの子のことが本当に分からないわ。譲ると言っているのだから素直に受け取ればいいのに)
それならば平民男がさぞ素晴らしいのだろうと思って会ってみても、どこにもそんな風格は見受けられない。見た目はもちろんジョセフの方がいい。血筋や財力は比べ物にならないほど差がある。記憶喪失だという異国の男がよっぽど魅力的に見えるほど、あの平民の男には何もなかった。誉めるところがあるとすれば魔力持ちであることと、クリスティアーナに臆せず挨拶に来たことだろう。それ以外は本当に何もない。
同時に安心する自分もいた。
妹はこれ以上クリスティアーナを脅やかす存在にはならないと、卑しくも思ってしまった。平民とくっついて家を出るのならそれでいいじゃないか。そうすればクリスティアーナはあの屋敷で誰に怯えることなく暮らしていける。自分の汚い感情と付き合わずに済む。
(……本当に? あの子が心配ではないの?)
あの男に妹を任せていいのか。
妹はあの男のことを好きだと言っていて、男に向ける笑顔は本物だった。だけど住む世界があまりにも違いすぎる。不幸になるとわかっていて送り出すのは肉親として、当主として、あまりにも無責任ではないか。
『わたしはね、大好きな人とけっこんすることです』
憎くて妬ましくて愛しいリリアーナ。
あなたの夢を叶えるには何が最適解だろう。
『おねえさまの夢はなに?』
幼いリリアーナが無邪気に問いかける。
「……私の、夢」
やっぱりわからない。
◇
「きみの悩みを解決するいい方法があるよ、クリスティアーナ嬢」
そう言って微笑む目の前の男は、ジョセフとはまた違った魅力を放ち社交界に君臨する若き貴公子だ。他家の事情を勝手に調べて入れ知恵をしようとするあたり、どこまでも貴族らしい嫌な男である。
「……ヴィクター様、あなたでしょう? リリアーナの縁談を影で潰していたのは。父がいつも不思議がっていたわ」
伯爵家応接室での一幕。
きちんと手順を踏んだ正式な訪問だが、クリスティアーナの醸す空気は客をもてなすものではない。
「僕のリリアーナに手を出そうとする愚か者に現実を見てもらっただけさ」
見た目の爽やかさとは正反対の腹黒さと執着心。当主であった父にこの男の息がかかった使用人がついていたので領地の奥へまとめて送った。クリスティアーナが当主の座を奪ったのもこの男の横槍を考えてのことだったが、ついに直接動き出したようだ。
爵位は格上。
侯爵家子息ヴィクター・ロングストン。
訳あってリリアーナと幼少期を共にした、蛇のように執拗な男だ。




