31、 デート
ここから第二部のスタートになります。
一部とはだいぶ雰囲気が異なって、イチャを交えつつ論文や世界観の説明も増えます。
『次代の皇妃だ』
帝国中の貴族が集まるテューリンゲン公爵邸のメインフロアにその言葉が響いたとき、私は目を開けているのもやっとだった。
鳴りやまない拍手喝采。渦巻く熱狂。
戸惑いと緊張で意識を失いかけた私を抱え、ゲオルグは早々に舞踏会場を後にした。
馬車に乗せられ、気付けば帝都郊外のレストランの前に到着していたわけである。
外に出る直前、ゲオルグは馬車の中で用心深く外套を羽織った。
皇帝の風格は皆無。顔さえ知られていなければ誰も分からないと思う。
「まるでうだつの上がらないおじさんね」。そう伝えれば彼は「らしくなくて悪かったな」と笑った。
ゲオルグが口元を歪めると、帝都の外灯が彼の表情に陰影をもたらす。それが彼の男くささを強調するものだから、私は照れていたたまれなくなる。言葉にはしなかった。
◇
見るものすべてが輝いていた貴族の城から一転。
到着したのは、太い丸太を軸組に生かした二階建て木造作りのレストランだ。
店は労働後の客で大賑わい。私の前を、葡萄酒や鶏肉料理を抱えるウェイターが元気よく通りすぎていく。
ゲオルグの姿を見つけた老店主が寄ってきて、一言二言の言葉を交わす。すぐに二階へと通された。個室の周囲にはすでに近衛兵が配置されている。
なるほど。
二階は私とゲオルグの貸し切りってわけか。
「素敵なお店ね」
木の椅子に座って最初の感想を告げる。
穏やかなランプの灯りと、年月を感じさせる白いモルタルの壁に直書きされた癖字のメニューが私の心をほぐしてくれた。
「俺が子供の頃から通っている店だ。帝都に寄った際にはここで食事をしていた。バナヘイム料理もあるぞ」
「子供の頃……って、あなたが子爵家の次男だったとき?」
「そうだ」
15年ぶりのゲオルグとの会話。
私は、彼と離れていた間のことをたくさん話した。
バナヘイムで外套の男に襲われたこと。
急に赤ん坊になっていて驚いたこと。
パパとママ、フェンサリル領の人たちのこと。
寄宿学校で初日に頭突きをかましてしまったこと。
そして彼も、私と離れていた間のことをたくさん話してくれた。
好きな人と一緒にいて、美味しいご飯を食べて、言葉を交わす。
デートってとても素敵ね。
「連れてきてくれてありがとう、ゲオルグ」
無意識に言葉が弾んでしまう。
はにかみながら、彼を見る。
でも、彼からは「ああ」と短い返事が返ってきただけ。ゲオルグの表情にも特段変化がない。
あれほど熱烈なプロポーズをしてくれたのだから言葉のひとつやふたつあるのかと思ったが、もともとこのくせっ毛アゴヒゲ野郎が朴念仁なのを思い出した。
変化があったのは論文の話になったときだ。
「それで帝都図書館に行ったの。そこにいた変な男がエルム公爵家のヴェーリルだったのよ」
ゲオルグが葡萄酒のグラスを置いた。
だいぶ乱暴な置き方だった。
酔ったのかな。
「家庭教師にならないかって誘われてね。話を受けるなら論文の出版も検討してくれるって」
「……それでエルム公爵家に仕えることにしたのか?」
「まだ返事はしてなかったわ。舞踏会で会ったヴェーリルもいなくなってしまったし」
ヴェーリルが懐古主義派と関係している可能性もないとは言えない。
けれど不確定な状況であのままさようなら、というのも落ち着かない気もする。
「私、学校の寮に戻ったら帝都のエルム家別邸に挨拶に行こうと思って――」
「君は今日から皇宮で過ごすことになる」
ゲオルグの一言が、会話の流れをへし折った。
「ふぇ」と変な声が出る。
飲んでいた果実水も若干零した。
「何言っているの? まだ学校も卒業していないし、パパとママにも連絡を」
「もともと甘いと思っていたが生まれ直してさらに頭が緩んだんじゃないか 、フリッカ」
「なんだとアゴヒゲ」
「皇妃になることが決まった瞬間、君の命は過激派から狙われることになった。その危険はこれまでの比ではない。学校は強制退学、フェンサリル子爵家への連絡は部下に行わせる。当然、外出も禁止だ」
そんな。
私の自由がないじゃない。
「戦術・戦略」の授業も楽しみにしていたし、帝国図書館で読みたい本もたくさんあった。
グナーと帝都買い食いツアーもしたかったのに。
そうだ! 論文の出版は!?
ガタッと立ち上がった私をゲオルグの黄色い目が射貫いた。
言葉など聞かずともお見通し、といった表情をしている。
「出版の自由化にはさまざまなハードルがある。まずは言論出版に関する国内調査、次いで他国の調査。その上で出版を担当する部署の設立。最後に法令の制定となる。すぐにできるものでないことは君も分かるはずだ」
「もちろん分かってる。自由が奪われるくらいなら出版に向けた手伝いをさせてちょうだい。私がやれば早く片付くはずよ」
「ダメだ」
「なんで」
「君はまず俺と結婚しろ。婚礼に際してはやることが山ほどある。論文出版も自由を獲得するのも、まずは結婚してからだ」
ゲオルグの言い分も分かる。
ここまで説明せずとも力づくで皇宮へ連れ去ることもできた彼からすれば、こうやって私の気持ちを促してくれるのは彼なりの配慮なのだと思う。
分かってるけど、悪徳商法に引っかかったみたいな気分になるのは何故……!?
「さっき襲われたばかりだろうが。 この国が華美なのは表面だけで、一皮剥けば排他的な妄念といやらしい支配階級が蠢くおぞましい国だ。またいつ内乱が起きてもおかしくない」
ゲオルグが国力を蓄え軍を再編しているのは、テューリンゲン公爵邸で襲ってきた懐古主義者たちのような不穏分子を一掃するためなのだろう。
現状に対する不満はあるけど、そんな彼の思いを否定するほど私も愚かじゃない。
心のどこかに納得できない気持ちがあるのを認めつつ、とりあえず、言い過ぎたことを謝罪した。
「そう、ね。あなたの言い分にも一理ある。ごめんなさい」
気まずさを隠すように着席し、テーブルに乗った料理に手を伸ばす。
口に入れたのは、塩漬け肉をワインで煮詰めて果物を乗せた一品。
はちみつがかかっているので甘いものが大好きな私の味覚にも合う。とても美味しい。
二口目をほおばっていると、頬杖をついたゲオルグが目を細めて私を見ていることに気付く。
恥ずかしくなって視線を逸らした。
「何」
「相変わらず美味しそうに食べるなと思って」
ゲオルグの指が、私の唇を拭った。
「前もこれが好きだったよな」
私の唇から移動した赤い果肉が、かさついた彼の親指と人差し指に付着する。
酒とはちみつに浸された無花果――前世の私が大好物だった果物だ。
ゲオルグは見せつけるかのように手を広げてから、赤く濡れた自分の指を舐めた。
「甘すぎる気もするが、美味い」
それが綺麗に舐めとられるのを、呆然と見ていることしかできない。
茹だった私のことなど意に介さず、ゲオルグが再び葡萄酒に口をつけたところで―――。
私はテーブルに頭を打ちつけ、鮮やかに意識を失ったのである。




