ホオズキの罪
◇
レーティアは随分と大きくなった。今では俺に巻きついて甘えてくるから仕事の邪魔になるくらいに。でも、なぜか嫌な気はしない。あのひんやりとした鱗に包まれているのに、なんとなくじんわりとあたたかい気がする。
ヒュプノスに慕われるのも悪い気はしない。言語の教本を読んで日に日に喋りが上手くなっていくのを見るのは結構やりがいがあって楽しい。
あいつらは優しい。優しいからこそ、俺の言った「苦しむくらいなら忘れてしまったほうがきっと幸せなのでしょう」「私は忘却にこそ人々の幸福があると信じています」なんて言葉に賛同して、自ら俺の立ち上げた宗教の手伝いをしてくれている。
こんなに楽な仕事はない。
騙されている奴らに教祖様と慕われるのも気分が良い。
他人の願いを利用して、他人様の心の不幸を踏み台にしているのに、俺のやってることを誰もが賞賛してありがたがる。
近くにいない神獣に祈るよりも、実際に効力のあるものに人間は縋るものなのだろう。結局心の持ちようよりも確かな実感を求める。その中身が空虚だとしても。
人間は欲深い生き物だ。
欲深くてもいいだろう。際限なく求めてもいいだろう。
なにもしなくても話を聞くだけでお金が手に入る。豊かな生活ができる。他人の財布の膨らみがどれくらいかとか、スるならどいつがいいだとか、明日の飯をこれからどうするかなんてことを考えなくて済む。俺にだって命の心配をしなくてもいい明日が毎日やってくるんだって信じることができるようになった。
全部、全部こいつらのおかげだ。
まるまる太ったら売り払おうとか最初は思ってたが、そんなことはもうする気はない。
虚像でもいい。
俺はこいつらと幸せに暮らしたい。
◇
街を作った。
かつて、はじまりの共存者は獣と共存して生きていく理想の街を作ったらしい。俺もその真似をしてみただけ。
元からある村を懐柔して、乗っ取って、街へと発展させていった。
俺に疑問を抱いた奴らには水を飲ませて全てを忘れさせて信者にしたし、水を無理矢理飲ませなくても俺を持ち上げてくれる人達がいるから街の住民は全員俺の宗教に従属することになった。
毎日変わらない幸福な街。
嫌なことをなにもかも忘れて幸せに生きれる場所。
本当は、俺自身がこんな場所を欲しがってたのかもしれない。
レーティアもヒューも人々の幸福を願って精力的に活動している。
俺にべったりすぎるのがたまにキズになってるが、許容範囲内だ。
あいつらも言っている。
獣は傷付けば魔獣となる。目に見える形で悲しみを訴えることができる。だけど、人間にはそうできない。それなら、人間の悲しみはどうやって見分けて、そして救ってやれるのだろう? なんて。
お優しい奴らだ。
俺はそれに答えた。
「ならば、悲しみを抱えている人達を浄化してさしあげましょう。魔獣の心を開いて聖獣に戻すように。共存者全てが獣のために動かなくてもいいではありませんか。私はせめて、同じ人々のために動きましょう」
あいつらは感動したみたいに笑った。
俺もこんな感じのことを言うのが板についてきた。
ああ、満たされてる。俺は今幸せかもしれない。
◇
はじめて明確に反抗された。
大事な獣を亡くしたやつだ。全てを忘れて、記憶を水に流して、苦しみ、悲しみをなくしてしまおう。忘却にこそ幸福があるって話したのに、それで獣のことを忘れたら意味がないと。
獣の反抗期に悩む人にも似たような反抗をされた。
相手の意思を捻じ曲げるようで嫌だと。反抗された事実をなくしたり、怪我をしたきっかけを思い出せなくなったら、お互いの意思のすり合わせが永遠にできない。そうなれば、自分たちは永遠に最高のパートナーになれない。発展途上のままだ、と。
他にもいろいろ。
傷ついた事実を忘れてしまったら次に気をつけることができない。
傷は自分たちで乗り越えてこそ意味がある。そんな根性論じみた話ばっかりで俺の話なんて聞きやしない。
街の中で不和を起こされるのは困ったが、レーティアとヒューのおかげで全部なんとかなった。レーティアはそんなことがなかったことにしてくれたし、ヒューが原因の奴らを眠らせて隔離してくれた。これでじっくり水を与えて忘れさせてしまえばこのこともなかったことになるだろう。
しかし、不幸だったときのことを覚えていたところでなんになるんだ。
俺はカビの生えたパンを食ったことも、泥棒だと決めつけられてボロボロにされたことも、貧乏で人を騙して生きていくしかなかったことも、なにもかも覚えていても不幸に足を取られるだけでいいことなんてなにひとつない。
忘却にこそ幸せはあるはずなんだ。
◇
あまりにも多い反抗に外部の人間を入れたことを後悔し始めている。
それに、ちょっと悩んでいる。
一人の女に言われた「レーティア達が寿命で亡くなったとして、あなたは悲しいからってそれを忘れるの? そうしたら彼女達との思い出も、全て記憶から消えるのよ。それでも良いと思うの? それでも幸福だって笑えるの?」って。
思えば、あの女は俺が共存者じゃないことを見抜いていたのかもしれない。
じゃないと寿命の話なんて持ち出してこない。
共存者じゃない俺では、あいつらの寿命を俺と同期することができないから。
今の俺が幸福なのは間違いなくあいつらがいるからこそのものだ。
最初はいつものように金のために利用するつもりだった。
食べるものに困るような生活にはもう戻りたくなかったから、俺は他人の願いを踏み台にして生きている。
そこにあいつらを引き摺り込んだ結果、俺の幸せはあいつらに支えてもらってると言ってもいい。あいつらがいなくなれば、きっと悲しいだろう。それは飯の種がなくなるから……だけではないと思う。
迷いが生まれた。
本当にこれでいいのだろうか。
俺は間違っていたんだろうか。
忘れることこそが幸せだと嘘をついて、自分でもそうだと言い聞かせながら笑ってレテの水を利用してきた。
けど、確かに、俺はあいつらがいなくなったとき、忘れたくないと思うだろう。他の人達もそうだった? そんなことを言っていた気がする。
お互いに良くない出来事を忘れたり、もういない存在が忘れられても苦痛に思うはずがない。でも、違うのかもしれない。
想像してみた。
あいつらが亡くなったとして、水を飲んで全て忘れたとして、俺の記憶がどうなるか。
俺の隣にはいつもあいつらがいた。
共存者でもないのに慕ってくれたあいつらのおかげで俺はやってこれた。
その記憶の中のあいつらが全部、全部白く塗りつぶされて俺が一人きりになる。
どうしてこんな事業始めたのかもきっかけは忘れて、なにに支えられて生きていたのかも分からず、どうして俺が改心してただの詐欺師から宗教家になったのかすら忘れて、記憶が穴だらけになる。
忘れ去るには、あいつらは近くにいすぎた。
穴が空いた記憶にうっすらとした疑問をその後ずっと抱いて、もやもやしながら生きることになるだろう。
どうして忘れてしまったんだろう。パズルのピースの最後の一つをどこかになくしてしまったようなもどかしさをきっと覚えるだろう。
想像して、ようやく分かった。
俺は他人様を踏み台にして生きてきた。これからもずっとそうして生きていくのだと思っていたけど、あいつらと会ってちょっと考えが変わっていたらしい。
俺がやっていることは間違っていたんだろう。
大丈夫、俺は気づけた。
ずっと悩んでいるのもなんだし、あいつらにも打ち明けてみよう。俺の考えを。きっと分かってくれる。苦痛は、受け入れて進むためのものであって、全て忘れてしまってはいけないものだったんだって。
今までしてきたこと、俺の罪。その全てをあいつらに打ち明けるのは怖い。けど、きっと大丈夫。
◇
……読み上げを終えてしばし沈黙。
そして、私は叫んだ。
「結論ちゃんと出てるじゃないですか!?」
コメント欄で「ほんとそれ」なんて言葉がどんどん流れていく。
てっきりレーティア達のほうにその人は悪徳詐欺師であなた達は騙されてたんですよ〜それでも好き? そっかあ! ならホオズキさんは改心してよね! みたいな展開とかになるとか思ってたんだけど……この日記を見るに違いそう。
これはホオズキさんのほうはもう改心してると見ていいやつでは? いや、でもいまだに教祖は続けてるし、げんにハインツさんは誘拐されて水を飲むか飲まないかを迫られてるらしいし……どうなっているんだろう?
そして、周囲をもう少しガサガサと探索して気づく。
「そういえば、ここに人が入ってきたのは随分と久しぶりっぽい雰囲気でしたね……ホコリとかで」
日記的に、ホオズキさんは自分の罪に気づいていたのは間違いない。
そこで、自分の罪についてレーティア達に打ち明けることにしたと。
でもこの日記を書いて以降彼はここに多分来ていない。
それはなぜか?
「もしかして……ここで日記を書いていたことも、罪に気がついたことも忘れさせられた……?」
誰に?
それはもちろん、レーティアとヒュプノスに。
彼女達は「罪悪感」を持ったホオズキさんの幸せを思って、きっと水を飲ませたのだろう。
共存者ではないから、ホオズキさんは対等な友人という認識をされていない。崇拝されている……よりは、もう庇護するべき人として認識されているとみていいだろう。
きっと、この日記を書いてからもずっと、気がつくときはあったはず。でも、そのたびに記憶を消されているとするなら……街の活動が変わらずに続いて彼らの関係がずっと停滞したままなのも納得だ。
ヒントは入手できた。
レーティアとヒュプノスは変化を嫌っているんだろう。ホオズキさんが変わってしまうことが怖いとすら思ってるかもしれない。
説得するべきは……ホオズキさんではなくレーティアとヒュプノスのほう。
ラストバトルがあるとするなら、ホオズキさんも来るだろう。そのとき、ホオズキさんになんとかこのことをもう一度気づいてもらって、そしてレーティア達の説得ターンに入る。これだ!!
「日記の持ち出しは……できそうですね。揺さぶりのためになに言うか考えておかないといけませんね〜! アカツキ達もレーティアとヒューの説得、頼みますよ!」
「カァ!」
「しゅるる」
「応、任されよ……」
「わふっ!」
「ぴるーるるる」
「もちろん、グレイスもですね!」
みんなの元気の良い返事を聞きながら日記を取得。
よし、ちゃんと持ち出せるみたいだ!
「それじゃあ、いよいよ行きましょうか。囚われのプリンセス……じゃなかった! プリンスのもとへ!」
かつての悪役が囚われのお姫様ポジションか〜よく考えればすごいおもしろい状況だ。格好良く助けてあげよ〜っと!




