ハッピーエンドを見るために
洞窟で目覚めたわたしたちに待っていたのは、忘却を受け入れなければ檻から出ることができないという現実でした。
ヒューという人の姿を真似た獣が食事を用意し、そして眠りの笛を吹いて去っていく日々。わたしを助けてくれたハインツが残り、わたしは助けを求めるために飛び回りました。
そうして出会ったのが、ええ、アカツキさんです。
この日に至るまでに何人もの囚われた人たちが忘却させられました。
眠りから覚めると、昨日まで忘れたくないと言っていた人が全てを忘れ去って、なんのために囚われていたのか分からないという顔をしながらヒューに連れられて街に戻る姿を何度も見送りました。
仕事から逃げてきたという人は、仕事のことを忘れ去って街に定住することを選び、熱を出した子供のために宿へ戻りました。
大切な聖獣を亡くした子供は、その思い出すらも全て忘れ去って、なにもなかったかのように街へ戻されました。
悲しい思い出を、乗り越えることさえできずに全て消し去って幸福に導くことは、なんという悲劇でしょうか。わたしから見ると、やはりそれは幸福などではありません。
最初は少しだけ魅力的に思っていたことも、忘れ去ってしまう彼らを見ると考えを改めました。
だって、ハインツが言ってくれたんです。
忘れてしまったら、わたしを、グレイスをまた蔑ろにしてしまうかもしれない。それは嫌だ。怖い、と。あの出来事がなければ、きっとわたしの想いが届くことはなかったでしょうから。そして、彼が気づいてくれることもなかったでしょう。
自分で言うのは気恥ずかしいのですが、彼が隣にある幸福……わたしの想いに気づけたきっかけがなければ、わたしが進化することもありませんでした。
もしかしたら、彼が全てを忘れてしまったら、わたしのことが分からなくなってしまうかもしれませんね。隣にいるわたしがまた見えなくなってしまうのかもしれません。
それは、とても嫌ですから。
わたしは彼に協力しました。何人もの人が忘却したことで、彼はその原因が理解できたようでした。ハインツ曰く、眠りの力に忘却の効果があるのは間違いがないそうです。それでもすぐに忘れ去られることがないのは、身体に内包される霊力が精神に作用するスキルに抵抗しているからだろうということでした。
眠りの間に抵抗している霊力が尽きると、ついに忘却させられてしまうということなのです。だから、彼はその法則性に気付いてからは己の霊力を宝石へと変換して人々に渡しました。
自分の霊力はとても多いから大丈夫。
他の、忘れたくない人々のために力になろう。そう決めて彼は自分の恐怖を押し殺して己の身を削り、霊力を削り、宝石にして渡しました。家から追い出されて、まともな職に就くために身につけた彼のスキルによってです。
わたしはそんなことをするのを止めたかった。飛び去って、ただ助けを求めて彷徨って、彼の願いを無碍にして他の人々を犠牲に彼だけが助かってほしかったんです。
けれど、彼はそれを許してはくれませんでした。
可愛い僕のグレイス。そう言って、ハインツはわたしに宝石を運ばせたのです。人々のために。
今も彼は、己の霊力が途切れることを恐れながらも人々を助け続けています。獣の隙を狙って、無駄に終わるかもしれないことを続けています。
人々に傲慢だと、自分勝手だと、押し付けの親切だと罵られてもあの人は身を削ることをやめないでしょう。
いくら自分を大事にしてほしいと心配しても彼は自己を罰することをやめてはくれません。わたしの言葉はまた届かなくなってしまいました。
だから、どうかあなたの激しい言葉で彼を殴りつけてください。叱ってください。見栄を張って、虚勢で彩られた彼の強がりな鍍金引き剥がしてやってください。
人々によく見えるようにしていようと、あの人はただの弱い人間です。
他の人々を守ろうとすることは素晴らしいことですが、わたしはそんなことのために彼が見窄らしくなっていくのを見ていられない。
どうかケイカさん。
助けてください、ハインツを。わたしの愛する人を。
◇
ツバメの言葉をレキが翻訳しきって、沈黙が流れる。
「……もちろんです、グレイス」
それはひどく傲慢な愛だった。
ハインツのために。それ以外の人々はどうでもいいとすら捨ておけるほどの、愛。それでも彼のことを尊重して飛び回るツバメはまさに、幸福な王子に出演するあのツバメのようだ。
ハインツは私のアカツキを求めて、いつまでも進化しないグレイスを蔑ろにしていた。けれどユールセレーゼの件でようやく自分の懐に幸福の青い鳥がいたことに気がついた。
そうして今度は、彼はツバメに頼み、メッキに覆われた自分の身を削って宝石を人々に届けさせ、幸福を押し付けて勝手に満足している幸福な王子となっている。
「ハインツさんって、自分勝手なのは全然変わらないんですね。私も人のことはなにも言えないんですけれど」
自嘲気味に笑った。
でも、私はきっと知らない人のために身を削ってまでそんなことはできないだろう。同じ立場であれば、私はきっとアカツキたちへの思いをなくす恐怖のほうが強いだろうから。知らない人たちのために、そんなことはできない。アカツキたちを優先してしまう。
ハインツさんはグレイスの優先順位が低いわけじゃない。これ以上ないほどに大切に思っているうえで、知らない人々も助けて、自分もグレイスも助かるために行動している。それが失敗するかも、なんて恐怖は押し殺して。
だから、すごい人だなと私は素直に尊敬している。
「今なら……速やかに洞窟に辿り着けるであろう、と言っておる。急ぐぞ……ケイカ」
「そうですね。恐らく今は見つかっていなくても、そのうちヒューやホオズキさんが気づいてしまうでしょう。けど、先に助けてあげられていたのならこっちの勝ちです。回復薬もちゃんとありますし」
霊力の回復薬は普通の回復薬と同じようにゲームをやるなら常備するタイプのアイテムだ。人に譲渡することだってできる。NPCにあげるようなイベントだって普通のゲームでも起こるものだ。多めに所持しておいて良かったと言える。
ひとつ不安なのは、ボス戦が存在するかどうかである。
どのような形になるにせよ、説得はかなり厳しい。ホオズキさんはともかく、人を守ろうと善意で動いている聖獣……もしかしたら二匹とも神獣かもしれないが、あの二匹を説得するのはかなり困難だ。今までだって私と同じような理論で、忘却したくない人々に説得されたことがないわけがない。それでも今こうして変わらずに忘却を幸福だと捉えて進んできたのであれば……よほど、なにか強いきっかけがないと完全に和解することは不可能だ。
ハインツさんと他の人々を助け出して解放し、二度と街に近づかせないようにすることは可能だ。これは多分、マルチエンディングでいうノーマルクリアというやつ。
でも、目指すなら当然ハッピーエンドに決まってる。
全員和解ができる道が存在するなら、それを開拓するのが私のやりたいことだ。
でも、多分まだ突破口を開くための材料が足りない。
見落としているのか、それともこれから分かるのか……最悪、追憶機能でもう一回リプレイする必要さえあるかもしれない。その場合は、変化があるまで配信はなしだ。先に誰かがハッピーエンドに辿り着く可能性だってあるけれど、自分の力でやらなければ私は納得できない。
グレイスと合流してからはきっとこのまま囚われのハインツさんのところに行かなければならないだろう。街でやれることはもうないだろうし……あとは。
「グレイス、少し心苦しいお願いなのですが、聞いてもらってもいいですか?」
美しい声でグレイスが返事をする。
私は、そんな彼女に尋ねた。
「囚われている洞窟以外で、怪しい場所とかありませんでしたか? あったのなら、案内してほしいんです、ちょっとした違和感のある場所とかでも構いません」
ほんの少しだけ躊躇う素振りを見せたけれど、グレイスは頷いて飛び上がる。
「わたしは見ていませんが、なにやら日記のようなものが置いてある場所はありました」
直感的にこれだ! と思った。
さてはて日記にはなにが書かれているのやら。
シナリオの佳境を感じて、肩に乗ったアカツキを撫でる手に無意識に力がこもる。
私が緊張しているのを察したみんなが私を見上げた。
「行きましょう」
きっと、大丈夫。
そう信じて、私はグレイスを追って歩き出した。




