魔王の判決
私たち二人の熱い視線を受けてどうやら魔王は狼狽えているようだった。
「カァ……」
アカツキはどことなく同情的な視線を向けている気がするけれど、それと同時にこれだけのことをやらされたんだからこれで認めてくれなくちゃ困る……という気持ちもこもっているようだ。こんなに複雑な感情が見え隠れする顔をするのも、私がこれまで歩んできた道によるものだと思うと感慨深い。
ゲームはゲーム、リアルはリアル。
分かっていても、アカツキのそんな顔を見て喜びを抱く自分の気持ちは完璧に『本物』だ。リアルにも持ち込める電子AIなんだから、たとえゲームから離れたとしてもアカツキと離れることはない。こっそり学校でも一緒だからね。
閑話休題。
大人故の苦労性が滲むアカツキとは違い、リリィのこっとんは純真無垢な瞳で魔王を見つめる。リリィだって真剣だ。私がこれしかないでしょ! と提案したときだって彼女は素敵ですね! と手を叩いて喜んでくれたものである。ユウマに騙しているみたいで罪悪感ないの? なんて聞かれたこともあるが、彼女が喜んでくれるならそれで良いのである。
「悪くはない」
魔王はなんとかその言葉を紡ぎ出す。
いろいろと言いたいことを口に含んだまま、簡素な言葉に直して捻り出されたような言葉だった。しかし、それは否定的な言葉ではなく、間違いない肯定だ。私達の行いを肯定する、褒め言葉。それが魔王から出された時点で……私達の目標は達成された。
悠然と佇む美しい月の鳥はひとつ、またひとつと団子をつまんでクチバシの中へと飲み込んでいく。しゃらしゃらと揺れる翼の間の星が煌めき、深い闇に沈む夜空に似た身体は背筋を伸ばしてお行儀良く食事を続けていた。止まらない食事の手は、言葉だけではなく本当に認められたことが明確に示されていて、私達は向き合って両手を打ち合わせて喜んだ。
うさぎのように飛び跳ねてまで喜ぶリリィに合わせ、私も飛び跳ねながらハイタッチを繰り返す。
「やりましたの! ケイカさん!」
「やった! やったねリリィ!」
そしてちゃっかりとあまったお団子を食べてパーティを始めた自分のパートナー達を見ながらユウマが生暖かい目でこちらを見つめる。
私も早く早くちょーだいとおねだりする首元のシズクにお団子をひとつ差し出した。目の前に差し出されたお団子を口に咥えてぐいっと呑んでいく彼女の頭を人差し指で撫でる。
寄ってきたオボロの口にもお団子をひょいっと入れてわしゃわしゃと頭を撫でれば、お団子を咥えたままぴょんぴょん飛び跳ねて喜び始めた。尻尾がスクリューしているレベルで振られていて、「ちょ」と私が声をかけようとして間も無く目をびっくりしたように見開いて地面に転げ回り始めた。口から団子が消えている。
「お、オボロー!? 食べ物咥えて走り回ったら危ないって前に教えたでしょう! レキ、押さえて背中叩いて! いやほっそいツタで喉に詰まったもの取り出すか押し込むかってできますか!?」
「押し込んでやるかのぅ……」
「ッー!! うるるるるるぐっ、ひゅーーーん!」
泣き出しそうなオボロをレキが押さえてつけて私が口をガバッと開き、細めのツタがその口の中に消える。
「噛まない! 口開けたまま頑張ってオボロぉ!」
「ひーーーーーん……ひーーーーーーん……」
鼻だけで悲壮感漂う声を出し、泣き顔で足元をジタバタさせるオボロの団子詰まり時間は数秒で解決した。押し込まれた団子がちゃんと消費されたことを確認してほっとする。なんてことをするんだこの子は。というか、こんなリアリティある食事の仕方だったっけ? いや、ちゃんと食しているのは見たことあったけど、まさか詰まるほどだとは……。
念のため確認しておこうとフィルタリングの項目を開くと、なんか項目がめちゃくちゃ増えていた。もしかしなくても、アプデ。どこを目指してるんだこのゲーム……案外、人間が自ら作り出した異世界レベルでリアリティをアップデートし続けていたりするのかもしれない。それでも、実装しなくていいリアルは実装されず、漫画ゲームでこうあってほしい異世界あるあるみたいな誇張表現ばっかりアプデされるあたり、本気で世界を作るつもりはないのだろうけれど。
「……無事ですか?」
「あ、はい無事です! お騒がせしました!」
魔王様にまで心配されている始末である。昔のヤンキー系女子はどこに行ってしまったのか。すっかりドジっ子わんこ枠になったオボロが泣きついてくるので、おおよしよしと撫でさする。怖かったね〜。さすがにあれは怖いからフィルタリング内の喉詰まりはなしにしておく方向で……。っていうか、これってつまり大まかな内臓機能っぽいものはあるようなないような感じで表現されるってことかな……風邪とかそのうちひくようになったりして。
「と、ところでいかがでしょうか! 私達にこのリチョウを託していただけませんか!」
あわよくばこの場で魔王様も浄化されたりしてくれないかなあ……なんて欲がないことはない。ラスボスなのか、どうなのかは分からないが魔王が浄化されれば魔獣化した子達の浄化効率も上がりそうだし。
「そう、期待の目でみないでください。今はその邪悪な者を預けるに相応しい者として認識してさしあげますが……私……わたくしは、人を認めて心を許すわけにはいかないのです」
彼女の額の宝石は黒く濁ったまま。しかし、優しい瞳は赤く染まっていてもまっすぐにこちらを見つめている。夜空に浮かんだ赤い星か月のような瞳は澄んでいる。こちらの欲なんてお見通しってことらしい。
「身を闇に投じた我が子らの希望は私なのです。人を憎み、悲しみ、怒り、己が身体が闇に侵食され、変化していく恐怖を味わいながらも、それでも私がその先の頂点に立つからこそ子らはその恐怖を和らげています」
「それは、どういう……?」
「優しい子達なのです。闇に囚われて魔獣と呼ばれる存在となり、人を傷つけることさえも彼らは罪悪感に打ち震えている。心を暴走させ、当然の報いを受けさせることすら彼らは心を痛め、そしてまた負の感情が重なっていく……わたくしがいるから、わたくしが心の闇に囚われることを否定しないから、彼らの心は壊れない」
傷つけるほうだって傷ついている。そういうことをこの魔王は言っている。けれど、それで無関係の人を傷つけていたら本末転倒だ。しかし、「君の悲しみや怒りは当然のことで、君が悲しい思いをして叫んでいるのは間違いじゃないよ」と優しくあやしてあげる存在が必要なのだと、そう言っていた。
同じく魔王となって闇を纏った神獣がいる。悲しみを否定しない母なる存在がその心の苦しみを肯定してくれる。そうでなければ、心の苦しみ自体を否定されれば壊れてしまうものもいる。だから、自分が正しい神獣へ戻るわけにはいかない。
苦しみを抱えたものが、一番頼りにしていた魔王が神獣に戻った姿を見たらきっと裏切られたように感じてしまうだろう。一緒に傷を舐め合っている強大な存在というのは、それだけで苦痛を抱えた存在の心の拠り所になる。
世界のバランスのためにも、苦しみを抱いた心の持ち主たちのためにも、否定しない存在というのは必要不可欠。
そう、月の魔王は語った。
それが正しいことなのか、それとも悪いことなのかは判断がつかない。
確かに、とっても悲しいときに一緒に寄り添ってくれる人がいたら、それだけで心の慰めになるだろうから。それが自分の親や、姉のようなものだと思えばなんとなく分かる気がする。私だって、妹が泣いているときは一緒に怒ってあげたり、一緒に悲しんだりする。魔獣が心の傷を持ったいじめられっ子だと思えば、その親はその子のために一緒に悲しんで、怒るだろう。そんな親が、いじめられっ子に「そんな人ばかりじゃないよ。もっと楽しいことを考えて忘れちゃおう」なんて言っても、逆効果でしかない。
傷に寄り添う存在。
静かに月のように見守り、孤独を慰める存在。
それが、月の魔王だった。
だから、彼女は私達に完全に心を許すことはない。
難しい問題だ。
まさかこの世界でこんなにも難しい問題を見せつけられるとは思っていなかった。でも、私が彼女の役割を否定するわけにはいない。
「わたくしが神獣に戻るときがあるとするなら……それは、この世から悲しむものがもう二度と現れないと分かったときです」
きっとそんなときは来ない。
そう言えてしまうほど残酷なのが現実だ。ここは現実ではないけれど、限りなく現実に近い虚構。そんな完全無欠なハッピーエンドがあればいいとは思うけれど……そうなれば、ゲームとして成立することもないと冷静に考える自分がいる。
いくら自由な世界観でも、ゲームでRPGを含む以上……欠陥がなければそれはゲームとして成立しない。なにもかもが幸せでこれ以上ないハッピーエンドのその先にプレイヤーが干渉する部分は残らないのだ。人が娯楽として消費する物語は平穏な世界には発生しない……残念ながら。
「……分かりました。なら変わらず私の使命は、魔獣を減らすこと……ですね。悲しむ心を癒し、慈しみ、そして笑顔にする! それがこの舞姫ケイカですから」
もちろん、画面の前の視聴者さん達にも笑顔を届けるのが私の役目だよね! とウインクする。大丈夫、しんみりしていたら私じゃない。弱音を吐くときもあるけどこの世界の楽しさを伝えるのが私なのだから。
だから笑う。
「リチョウを任せてもらえるくらいには認めてもらえたってことで、今は良いでしょう! いつか、みんなが幸せになれる未来がやってきたら……そのときは一緒に空を舞ってくれませんか? 夜空のお月様」
「……ええ、そのときが来ることを祈っています。月の加護がありますよう」
微笑んだ月の魔王は美しい。
アカツキとも似て異なる存在。恐らくこの世界で最も心優しい彼女は、叶うかもわからない私の夢に応えてくれた。人間は全て愚かだと思っているくせに、その愚かささえも慈しんでいるような本物の神様然とした姿は魔王と言うにはあまりにも儚かった。
「それでは、人間……リチョウ。あなたの判決を下します」
一人、話に置いて行かれたリチョウはその言葉にはっと顔を上げた。
「承認欲求も、劣等感も、誰もが抱く苦しみです。そんなあなたに寄り添えなくてごめんなさい。此度の騒ぎはわたくしの責。よって、あなたの罰は……この者に協力をして人と融合している同胞を救うこととします」
「は……? なんなんだ、なんなんだ貴様は……」
静かに声をかけた魔王をリチョウは愕然としたように見上げる。
そうして、人の姿をしたエンサンに押さえつけられたままだというのにガオウと吠えた。血を吐くような慟哭を。
「わ、我の勝手な振るまいも……攻撃も……欲望も……我の苦痛も……なっ、なにもかも受け入れおったような顔をして……! やめろ、それでは我が惨めに思えるではないか! やめろっ、それは貴様のものではない! ……その苦痛は我のものだっ! ……っ、どうして貴様はそれを取り上げようとする!」
吠えている喉が震える。
ところどころ獣の声帯で発する言葉がよどみ、吠え声に変換されているが、それでもリチョウは叫ぶ。その声に乗せられているのは怒りの感情だ。ある意味魔王の言いかたは彼に対する一番の刃だったのかもしれない。
プライドが山のように高く、そして傲慢な男には、見下していた獣から与えられる哀れみこそもっとも屈辱的だろうから。
「そのために、この場にあなたの機械を呼び出してさしあげましょう」
魔王が浮かび上がり、その翼から星の光が集まっていく。
そうして、リチョウの目の前には仰々しい機械の塊が現れた。召喚かなにかの術を応用したものだろう。もう、目の前の光景は恐らくイベントのひとつに突入している。この『徘徊者』イベントのラストスパートだ。
コメント欄も軽い雑談をしながらではあるが静かに成り行きを見つめて……。
(はっ、やはり獣は頭が悪い)
そんなとき、目の前に文章が現れた。
そして、頭の中に文章と同じ言葉が響く。その声はリチョウのものと同じ。
……イベントだ。
直感した。それと同時に、怒りが湧き上がる。こいつ、全然反省なんかしてないじゃないか!!
だけれど、どうやらイベントは見守る以外の選択肢がないようで、文字が見えてもその場からは金縛りにあったように動けない。一発殴りに行きたいのに、このままでは目の前で再び月の魔王が裏切られる場面を見ることになる。腹の奥底から湧き上がる怒りに、せめてもの抵抗としてリチョウを睨みつけた。
ユウマ達の様子を見るに、リチョウを私のように怒りのこもった目で見つめていないから、この文章が見えているのは……私と、画面を共有しているコメント欄だけらしい。
コメント欄にも暴言やら文句が溢れ出てくる。
テロップで動けないことを明記してから考える。月の魔王がまた悲しい思いをするのは、見たくない。どうすれば……。
(この場で体を入れ替えてしまえば我は城に帰るだけ。居心地が悪かろうが、あの女に笑われようがこの者らに哀れみを向けられるよりは比較的マシだ)
こいつ……というヘイトがどんどん高まっていく。
(どうせエンサンのやつも懐にある機械の使い道など分からぬだろう。ここは大人しく言うことを聞いたふりをして……)
リチョウの独白が少しだけ続いたあと、唐突に夜空が暗くなった。
そして、彼らの目の前でピシャーン! と雷が落ちる。
夜を引き裂くような雷光は間違いなくリチョウの開発した機械へと吸い込まれるようにして落ちた。当然、その場で爆発炎上するが、その衝撃は月のような模様のバリアーが封じ込めるようにして防いでいる。近くにいた私達にも、もちろんリチョウにもその被害は及ばなかった。
……精神面以外には。
雷光の眩しさに目を焼かれつつも、雷属性だからかすぐに回復したリチョウは爆発炎上する自らの発明品を見て愕然としているようだった。自分の意思ではない、絶望の声を細くあげてそれをただ見つめることしかできない。
「あなたは人の姿に戻れば逃げるでしょう。ならば、獣の姿のまま、再び作り上げなさい。人と融合した子を救う道具を。エンサンはあなたの見張りとしてつけます。いちから、全てをやり直しなさい。これが私……わたくしからあなたに下した判決です」
「あ、ああ……我の……最高傑作……が……我の……」
ちょっと可哀想な気もするが、あんなことを考えていた邪悪な性根はなかなか治らないだろうし、残念ながら当然の結末である。なるほどね、下手に止められると困るから私たちは動けなかったわけか。雷が落ちたあとにふっと体が軽くなった。よく見れば体の周りに夜空のような色の羽根が落ちている。いつのまにか魔王から行動制限を喰らっていたようだ。あれ、システム的なやつじゃなくて魔王の力だったのね……。
「元に戻ってしまえば罰にはならないでしょう? 励みなさい、罪を清算するまで」
「そういうことだ、リチョウ」
「…………」
泣いちゃったなあ〜。
魂が抜けたようになったリチョウはだらんとその場に崩れ落ちる。
「それでは、舞姫。そしてうさぎのお嬢さん。さようなら……次に会うときは、全てのものが幸せに生きる世界になっていたら良いですね」
月の光が魔王を包み込む。
悠然と美しい鳥は夜空を内包した翼を広げて天を見上げ、そして一度こちらを見つめてから……再び天を見上げる。
細く美しい鳴き声をあげた魔王は忽然と姿を消した。
まるで夜空の中に溶けていくように。
「終わったみたい、ですね」
見上げれば、徐々に遠くの空から白んできていてもうすぐ夜が明けるようだった。
「まいひめ、きょてん、つれていく」
「あ、はい」
残されたエンサンはリチョウの尻尾を掴んで担ぐようにしながらこちらにやってくる。そんな大きな虎を肩に担ぐ力がどこにあるというのか。体は研究者のはずなのに。
「あの、泣いてますけどいいんですか……?」
「すこしはなけばいい」
「あ、はい」
尻尾だけ掴んで担ぎ上げられているので、当然負荷は尻尾に一点集中。泣いているのはそのせいもあると思うのだが……。
「ま、いっか」
気にしないことにした。
こうして、闇夜に乗じて襲撃を繰り返していた『徘徊者』の事件は終息に向かったのであった。
次回、章エピローグでさらに次から新章が始まります!




