プラン2
「締まらない人ですねぇ」
氷の檻を踏みつけて崩れて落っこちた虎を見て呟く。あれで研究職って大丈夫なんだろうか。いや、ああだからリンデにも陛下とやらにも相手にされなかったのか。相手にされない……というより眼中にない存在になっていたのほうがよりニュアンスは近いかな? リンデとの会話を見る限り彼が一方的にライバル視して突っかかっていたのは間違いないし。
「天罰は必ず訪れる!」
「だからもう赦されているんですってば」
あくまで天罰の執行者ですよ〜という体でいるリチョウのあげた声に茶々を入れる。彼は睨めつけるようにこちらを見たが、そのまま眉間にぐぐっと皺を寄せるとリリィに目を向けて私を頑張って無視しはじめた。
「我こそが夜空より遣われし罰。雷鳴となりて愚者の身体を引き裂かん! そこで待っておれ小娘!」
「雷鳴なら待ってもらわなくても一瞬で貫けるものじゃないんですか〜」
「煩わしい小娘が! 貴様も食ってやろうか!」
でも、茶々を入れられたら反応せざるを得ないらしい。融通の効かない頭の硬い感じがなんだか面白くなってくる。いるよね、ああいうキャラ。
リリィを狙って駆け出した後を追ってリチョウに肉薄する。オボロが全力で走れば彼よりも早くなるので追いつくのはすぐだ。真横に来て扇子を振るうが、横っ飛びで避けられ、長くてギザギザな尾が私の腕を三度叩く。その衝撃で扇子を取り落としそうになったのがまずかった。バランスを崩して前屈みに。ほんの少しだけスピードを緩めたオボロの背中に掴まって扇子を握り直し、体勢を立て直す。
その間にリチョウはリリィに向かった。
今のはさすがにない! どれだけお馬鹿なミスをしてるんだ私は!!
妨害なら私よりもオボロ単体で向かわせたほうが良いのかもしれないけど、でもそうすると私が役に立つことはできなくなるし……作戦の伝達だってスムーズには行かなくなる。
リリィにも最終手段があるといえばあるけど、それが通じなかったら改めて作戦考え直しになってしまう。次いつリチョウが現れるのかも分からない状態で、それもまたリリィを狙ってくれるかどうかも不明。なんなら囮作戦だったとバレている時点でまた狙ってくれるかは微妙だし、今回を逃したら次に捕獲する機会が巡ってくるかどうかというところ。なんとしてでも今回のうちにリチョウの内心を月の神獣が知るように仕向けないと……考えれば考えるほど焦って、考えがから回る。
どうするか悩んでいた時間は数秒もない。
けれど、まっすぐとリチョウを見つめ、こっとんを抱いたリリィの元にユウマが乗っていたはずのパトリシアが現れたのを見て目を瞬いた。真っ白な多足の馬に鼻先をぐっと押しつけられ、心得たように頷いた彼女が鞍を掴み、うさぎのようにひらりとパトリシアに飛び乗って逃走し始める。スカートで乗っているものの、安定して揺られているリリィはきちんと手綱を掴んでときおりジャンプして避ける彼の衝撃も上手く受け流す。
あれ、ユウマは?
「ケイカ」
呼ばれて横を見ると、いつもより高い位置にユウマの顔があった。
「オボロもフリーで妨害するほうにまわそう。あうんが待機してるから、追い込み漁のほうも試すよ。君が言った作戦は全部で3つ。これがダメだったら最後のを使って、さらにダメだったらコメント欄に安価でも頼んでみるか〜とか言ってただろ。自分で自分の作戦を忘れないでよ、ほら」
「ユウマ?」
「ユウマだよ。ほら、早く僕の背中に乗りな」
ダメだ。一個目の作戦が失敗して、愉快なリチョウ氏をからかいつつも少し動揺していたのかもしれない。ユウマに言われて2個目の作戦を思い出すなんて情けない。コメント欄からも心配の声が上がっていた。たまに罵倒。ごめんて。
「私、ステータスがクソだからそこまでちゃんと上がれる気がしないんですけど……」
「仕方ないな、ほら」
ケンタウロス状態のユウマが前膝を折り、地面に座り込むような体勢になる。
そう、今彼は真っ黒な体躯のケンタウロスになっていた。ユウマとパトリシアの神獣纏だ。上半身はいつもの鎧じゃなくて燕尾服のようなものを着て、頭にシルクハットを被っている。モノクルみたいなものもつけていて、いつもと全然違う格好にびっくりしちゃった。暗黒騎士的なロールプレイが好きなんだとばかり思っていたけど、こういうキザっぽいのも好きなのかもしれない。
座ってくれたユウマの背中に跨ると、ちょうど上半身から馬の背へ流れるように垂れている燕尾服の間に収まることになる。
「10分間……いや、あと7分くらいかな。その間にプラン2を実行するから、ちゃんと掴まってて。覚えてるよね? プラン2」
「覚えてます。ちょっとびっくりしただけですので……オボロ、引き摺り込み地点まで追い込みますよ」
「うぉん!」
返事をしたオボロが駆け出す。
神獣纏のユウマも私が理解できたのを確認して走り出した。
リリィはパトリシアに乗ってこちらを振り返る。そんな彼女に安心させるように笑って手を振ると、彼女も手を振りかえしてくれた。
「見て見てユウマ! 手を振り返してくれました! ファンサ!」
「あのさあ、ケイカ……のんきすぎ……いや、別にいっか。それリチョウにはすごい煽りだよ」
「えっ、でも焦らせたほうがいいんですよね?」
「そうだね、早く仕留めなきゃって焦らせる。さっきの君みたいに」
「うっ、すみませんでした」
「僕は別にいいけどね。配信してるんだから心はいつでも落ち着けておかないと」
「はーい」
燕尾服を掴んでバランスを取りながらリチョウを追い込んでいくほうを見る。
広い広い地面から、ぼこ……と影のような泡があがるのが一瞬だけ見えた。両脇に待機して様子を伺っているあうんちゃんも。
あの一帯に入れば足が沈み込む。
ヘルハウンド……アビスの体の中に。
そしてリチョウが影の中に足を踏み入れた途端、その一帯全てが真っ黒な深淵を思わせる闇へと変化する。
「あれ、大丈夫なんですよね?」
「本当に食べたりはしないから大丈夫。ちょっと動くだけの檻みたいなものだよ」
「そ、そうですか」
黒い液体が隆起してリチョウの足に巻きついて捉え、その場から動けない状態で地面から浮上するように現れた巨大な口が閉じていく。
「本当に大丈夫ですよね?」
「大丈夫だって、多分。食べるものと食べちゃいけないものくらいはちゃんとしつけてあるからね」
閉じた巨大な口と、満足そうに目を細める顔がこちらを見てにっこり笑う。
普通にホラーなんだよね……アビスちゃん。
「アビス、えらいえらい」
パカラ、パカラと硬めの地面を叩く心地よい蹄の音を聴きながらアビスに近づいていく。向こう側からはリリィもパトリシアに乗ったままこちらへ移動してきていた。
「乗り心地はどうだった?」
「うーん、振動が大きいのでもう少しなんとかなりません?」
「馬なんてそんなものだよ、振り落とすよ」
「意見聞いてきたのそっちですよね?」
罠の地点まで誘導するために別方向から追い込んでいたオボロもこちらに来て並んで歩く。
「いたっ、オボロ?」
「くぅ〜ん……」
ユウマの後ろ足を軽く噛んだのは牧羊犬的なムーブなのか、それとも私がオボロじゃなくてユウマに乗ってることへの不満なのかどっちだろうか。どっちだとしても理由が可愛いんだけど……。
「はいはい、オボロに返すよ。ケイカも早く降りて」
「あと何分くらいなんです?」
「もう神獣纏の効果時間も切れ……」
言いかけた瞬間、人間に戻ったユウマを下敷きにして私は思い切りその場に落下したのだった。
「もっと早く降りてもらえばよかった……」
「なんか、ごめんなさい」
もしかしてリチョウだけじゃなくて私達も締まらないな?
口を閉じた状態のアビスがなんだか微妙にまずいものを口に含んでいるような顔をしながらこちらを見ていた。




