狗楽
彼岸花の飾り毛のついた尻尾が揺れる。
周囲にひらひらと飛ぶ黒い蝶々は、私達がついていくと心なしか逃げていくように聖獣の前方へと移動する。よくよく見れば、聖獣らしきその子の頭には他とは違い、一匹だけ真っ白な蝶々がとまっていた。
「見たことのない聖獣ですよね」
「そうだね」
「……」
「リリィ?」
目の前を歩く聖獣についてをユウマと話していると、気がつけばリリィが押し黙ってしまっていた。不安そうな顔で聖獣の尻尾を見つめ、私の羽織りの裾を掴んだ彼女はカタカタと腕を震わせている。もしかして、あの聖獣について、なにかを知っているのだろうか。
「ねえ、リリィ」
「あっ、ごめんなさい……道に、出たみたいですよ」
案内犬の後ろをついていき、少し経った頃。
あの聖獣を知っているのかとリリィに話しかけようとしたところで、ちょうど私達は塔へまっすぐと続いている道の場所まで戻ってくることができた。
そのせいで彼女に尋ねようとしていたことがいったんうやむやになる。
変わらず聖獣は道の先を歩き、私達がそのあとに続く。ひまわり畑の中から、さらにちらほらと集まってきている黒い蝶々があの聖獣の周囲に合流していよいよ怖いくらいの数になってくる。もうすでに20は超えただろうか? 小さいとはいえ、あれだけ多くの蝶々にたかられているのを見ていると、どこか不安な気持ちになってしまうのも分かるかもしれない。リリィの恐れは、それとはまた別のもののように感じるけれど。
周り一面黄色と緑の畑の中で、黒い犬を追いかけて並んで歩く。
リリィの手は依然私の羽織りの裾を掴んだまま。その手を優しく撫でて手を繋ぐ。ハッとした様子の彼女に繋いだ手を見せてにっこりと微笑めば、安心したようにふにゃっと笑った。よかった。これで少しは気休めになったみたい。
手を繋いで歩き始めてすぐ、リリィがポツリ、ポツリとつぶやきはじめる。
「亡くなった魔獣の魂はどこに行くのか、というおとぎ話があるんです」
私達はなんでもないようなふりをしながら、その小さな言葉を聞き逃さないように集中した。今だけは静かにしてね、と花畑の中でガサゴソやるザクロちゃんを手の合図で招集しながら。
「聖獣は死ぬと虹の橋を渡って源流に還って行くというのですが、人に負の感情を抱いたままの魔獣達が死んだときは、その負のエネルギーは次の生に行くための道に行くには重すぎて、すり抜けてしまうから虹の橋を渡れない……とか。だから、この世に強い負の感情を抱いたままの魂が残って害をなすんです」
輪廻転生の概念だろうか。それと、悪霊とか怨霊の概念?
虹の橋は虹蛇のあそこだよね。はじまりの聖獣達が共存者の元へ送り出される場所。あそこに還って、また人と歩むためには恨みつらみを持っていてはいけない、ということだろうか。ちょっとそれって残酷かもしれない。
「黒き犬の神獣はそんな魂達を連れて、恨みつらみや苦楽を共有しながら生き、ときには人へ復讐する手伝いをするのだとか……だから、私、は」
リリィがこっとんをぎゅっと抱きしめる。
復讐、かあ。
一歩間違えば、こっとんはその神獣とともにあったかもしれないと感じて怖くなってしまったみたいだ。
「リリィは大丈夫ですよ。ねー? こっとん!」
「!」
鼻をひくひくさせながらこっとんが垂れ耳を片方ふよんと跳ねさせてみせる。それを見て、リリィは安心したように笑った。リリィの恐怖は、彼女がもうそんなことをしない以上は杞憂だ。大丈夫。
そもそも、こっとんはたとえ魔獣のまま死んでしまったとしても……きっとリリィを責めたりはしないだろう。虹の橋を渡れなくなるほど、冷たく重いものは持っていなかったはずだ。
「なら、あの黒い蝶が魂なのかもね」
「なるほどー」
犬の周りに飛ぶ黒い蝶々は無数に集まり、背中に止まっているところを見るとゆうに30は超えている。黒い毛並みに色が同化しているので、蝶々が体にくっついている分ひとまわりボリュームアップしているように見えるくらいだ。
その中でも、やはり頭の上に乗っている白い一匹の蝶だけが浮いていた。
やがて、塔の近くまで来た私達は聖獣が足を止めたのでこちらも立ち止まる。太陽の塔まであと少し。けれど、犬が止まったのはその手前だ。
ひまわり畑の中にある一本道がいつまでも続くと思っていたけれど、その場所だけ土俵のように広くて丸い、花が植っていないスペースがあって、犬がゆっくひとこちらを振り向く。白目のない真っ黒な目がこちらを見つめて、黒い蝶がまわりをひらひらと舞った。
動き回れるだけのスペースがあいたその、ひまわりに見守られた場所はまるで決戦場。もしくは、演習場で試合を行うフィールドのような……そんな印象を受ける。
ということはつまり、ここで私達はあの犬と敵対することになるのだろうか。恨みつらみを共有して、復讐をすると言うのであれば。
「よくぞここまで来たのう」
がぱりと開いた口にずらりと並んだ鋭い牙。その隙間から転がり出てきた声は、驚くほどに涼やかで鈴が転がるような……という表現に相応しい音だった。
「しゃ、喋った!?」
「喋ることくらいはするぞ? 吾は狗楽であるが故」
尻尾で口元を隠してコロコロと笑った彼女は、その場で見事な宙返りをしてみせると……次の瞬間、そこには人型になった聖獣が立っていた。目は真っ黒なまま、雰囲気は全体的に先ほどの犬を彷彿とさせるデザインで、しかし黒い蝶を無数に引き連れた女性の姿。いや、大きく開いた胸元には宝石だけがハマっていて、明らかに女性の膨らみがないことから男性か? それとも、どちらの要素も併せ持った無性の生物なのか?
とにかく、人間に化けた狗楽と名乗る者が、そこにいた。
明らかに天楽の子達と同じ、擬態化した姿だった。




