太陽の畑の案内犬
辺り一面の黄色い景色に目を細める。
遠くに見える塔はどこまでも高く見えて、そこに至るまでの道のりは長いように見えた。懐中時計の羅針盤を確認すれば、その向きは塔を示しているし、左右を埋める向日葵の畑もまた、皆一様に塔の方向を向いている。
太陽がそこに存在するのだ。
「ぴゅるるるるぅ? くるるるる〜」
周囲の花畑に目の宝石を文字通り輝かせたザクロが、私の顔を覗き込んで首を傾げる。いいよ、行ってきなと送り出せば、等間隔で植っている向日葵の畑の中に、いつもよりも控えめな足音をたてながら入っていった。舌の炎は出し入れせずになるべく花を傷つけないように堪能したいみたいで、お花の前に立って軽く爪で茎に触れ、鼻先を近づけて香りを楽しんで笑顔になっている。
可愛い〜な〜うちの子は!
プラちゃんも花に興味があるのか自分の大きな体で茎を倒したりしないように畑に入っていき、自分の尻尾と見比べている。花畑の上空に飛んでいる蝶々を見て舌なめずりするのは彼らしい。もしかしたら、向日葵のお花を採取して食べさせたら尻尾の花弁が食によって切り替わって向日葵になったりすることもあるかもしれない。
「……でも採取ポイントはなさそうなんですよね」
歩きながらその辺を見回して首を傾げる。
私達についてくるように、花畑の中で遊びながらついてくる子達を横目にユウマを見つめた。どう思う? という意味で。
「採取ポイントがなくても手折ることじたいはできるよ。推奨はされないと思うけど」
「できるんですか!?」
「あの、でも……えっとですね……誰かのお庭なら、とっちゃいけないと思います……」
私達の会話に対して、控えめにリリィが声を上げた。確かに、採取ポイントでもないのに勝手に手折るなんてことをしたら、もし管理者がいる畑なのであれば怒るだろう。特にこの場所は太陽の塔に繋がっている道だから、太陽の神獣のお膝元。下手なことをして心象を悪くするなんてことがあったら、会うこともできずに終わるかもしれない。NPCの忠告はちゃんと聞いておいたほうがいいだろう。
もちろん、リアルで人の家の花壇を荒らすなんてことは絶対ダメだと分かってはいるが、こういうゲームの中だとなんでもかんでも採取できると思いがちだ。気をつけないとね。
「くぁ……?」
「しゅるる」
そうしてしばらく三人で話したりしながら歩いていると、花畑の中からザクロが現れて私達の前に立ち塞がった。止まって彼女を見上げれば、心なしか困ったような顔をしているように見える。
ま、まさか花を傷つけちゃった? なんて恐る恐る尋ねてみれば、困った顔のまま首を振る。そして、優しく私の腕を握って引っ張った。彼女はどうやら花畑の中に私を連れていきたいみたい。私の肩の上で顔を見合わせたアカツキとシズクが頷いて、許可が出たので私も踏み入れる。
後ろからついてくるリリィとユウマも、なるべく花を傷つけないように脇道に逸れてついてきた。
ザクロちゃんに手を握られて連れて来られたのは、少し歩いたところだった。日が差しづらい位置に、ひとまわり小さな向日葵が咲いていて、そして周囲よりも特別乾いた土に植っているせいか、大きな花が下を向いて今にも萎れそうになってしまっている。
「そっか、この子が心配だったんですね?」
「ぴゅるるるぅ」
頷くザクロの鼻先を撫でてあげて、シズクを見る。
「しゃう」
シズクは心得たとばかりに頷いて、なにを言わずとも周辺に雨を降らせた。乾いた土がふかふかになるまで濡らして、今度はアカツキが炎で作った擬似太陽を周辺に打ち上げ明るく照らす。すると、ゲームの中だからだろうか。それともこれもイベントのひとつだったのだろうか。萎れかけていた向日葵はみるみるうちに元気を取り戻して周囲の向日葵と同じくらいにまで茎を伸ばして成長した。心なしか他の花よりもツヤツヤしている気さえする。
「元気になってよかったですね!」
「ぴゅわぁ〜」
鼻息をぴゅーぴゅーさせながら喜んだザクロの口からひゅるっと炎が漏れ出て、慌てて彼女は手で自分の口を押さえ込んだ。びっくりしながらきょろきょろと周辺の花を見渡していて、あまりにも可愛い。大丈夫だよ、燃えてないからね。
「……なにかのフラグかな」
「これだけいっぱい咲いてるとこうなってしまうお花もありますものね。仕方のないことではありますけど…………ありがとうございます、ケイカさん」
「……私はザクロのお願いを聞いただけですから!」
明らかに向日葵の状態と自分の境遇のことを重ねて見ているリリィに、気付かないふりをして笑う。こういうのはあんまり触れてしまわないほうがいい。多分、本人は無意識に言っていることだから。
そうして、みんなで元の道に戻ろうとして気づく。
辺り一面。周り全部が背の高い壁のような向日葵畑。当然のことながら、先ほどまでの道は見えない。
「しまった……! 元の道はどっちでしたっけ……!?」
少なくとも私一人では戻れなくなっていただろう。なんせ、方向音痴だ。素でマヨヒガに迷い込んだ人の方向感覚を信用してはならない。困ってユウマを見ると、「道に戻らなくても太陽の塔を目指せばいいんじゃない」と淡白な答えが返ってくる。
「それはそうなんですけど……あれだけ分かりやすい道になっていたってことは、意味があると思ったんですが」
言いながら、ひとまず遠くに見える塔を目指してまた歩き始める。
花畑の中なので、茎をより分けて傷つけないようにしながら移動しなければならなくて、少し時間がかかる。
……と思っていたんだけど。
「あの……全然近づいてる気がしないんですけど」
「奇遇だね、僕もそう思ってた」
「体感、距離が変わっていない気がしますわね」
リリィの同意も得られて立ち止まる。
彼女の肩の上にいるこっとんが鼻をひくひくさせながら耳をふわっと浮かび上がらせる。音を聞いているんだろうか。リリィを見れば、やっぱり首を振った。
「先ほどよりも近づいていません」
「……これ、さっきの花じゃない?」
ユウマが指さしたのは、さっき成長させた向日葵とそっくりな花。いや、そもそも同じものかもしれない。つまり、私達は同じところをぐるぐると回っていることになるわけだが。
「どうしましょう……」
これは本格的に元の道に戻らなければあの塔に辿り着けないパターンかもしれない。そう思って、困っているときだった。私達が立ち止まっているというのに、背後でガサリと葉を揺らす音が聞こえたのは。
「……?」
警戒しながら振り返り、安堵する。
そこにいたのは徘徊者の虎ではなかったから。
「えっと、どなた……?」
でも、見覚えのない獣の顔に困惑する。
なにがあるか分からないから、なるべくリリィの前に立つようにしてその獣を見つめた。立ち耳の犬だ。真っ白な毛並みで、毛先だけが少し赤い。胸元に通常の聖獣よりもよほど大きな、勾玉のような形をした宝石が埋まっている。いや、額にしっかり宝玉はあるから、心臓の位置にあるあの勾玉のような形をした宝石は聖獣の持つ宝玉とはまた別のものなのかもしれない。
頭に二本のツノが生えていて、尻尾の根元には彼岸花に似た飾り毛がふわりと揺れている。
ひとつだけ異様だったのは、その犬の瞳が反転目になっていることだった。闇堕ち目というかなんというか、白目の部分が黒くて、瞳の部分がポツリと白い。いや、虫の目の表現であるように、全体が黒くて光を反射している部分だけが白く見えているだけかもしれない。白目の部分も全て真っ暗な、目。
本来ならホラーでしか見ないような目はにほんの少し恐怖を煽られるが、静かに見つめる犬の雰囲気はそれほど怖くはない。こちらを見つめて、そして目があってから、犬は尻尾を軽く振って歩き出した。
周囲に飛ぶ真っ黒な蝶を引き連れて、明るい黄色の世界に現れた異様なカラーリングの犬がこちらを振り返りながら歩いていく。
「も、もしかしてついてこいって、ことですか?」
「そうみたいだね」
ユウマの同意も得られたので、恐る恐るついていく。
自ら先頭になった彼の後について、どうやら怖くなってしまったらしいリリィと手を繋いで。
彼岸花の飾り毛のついた尻尾がゆらゆらと振るわれる。
ときおり振り返るその真っ黒な目は、品定めをするように私達に向けられている気がした。




