私と取引しませんか?
「リン……デ、さん……?」
心臓の音が頭の中に響いているような錯覚を起こすほど動揺し、私は言葉に詰まってしまった。
このゲームにおいて、最初からNPCが死んでいる場面に出くわすなんてありえるはずがない。そんなことは分かっているのだ。だから、彼女は少なくとも怪我をしていたとしても無事ではあるはず。
このゲームで覆せない死なんて、あるはずがない。それが遥か昔の設定のことでない限りは。
だから、どうかいつものように私に冷ややかな対応をしてほしい。いつものように。
横目でボスがこちらに近づいてこないことを確認して、他のメンバーに目配せをする。スノーテさんも彼女のことを恐る恐る覗き込んでいる。スーちゃんにいたっては、私の羽織りの裾をぎゅっと握って離さなくなってしまった。そりゃそうだろう。こんなシチュエーション、怖いに決まっている。私だって、怖いのだから。
ぐっと唇を噛むようにして肩に視線を移し、アカツキ達と目を合わせる。
「みんなは1号ちゃんの手伝いに行ってもらえますか? 相手は石化能力を持っています。十分に気をつけるようにしてください」
頷き、飛び立っていくアカツキを見送る。
一番隠密に向いているのは地面の中にさえ潜航することができるシャークくんだ。とぷんと床下に消えていくその姿を見送り、続けて電光石火で暗闇に消えていくジンも見送り、最後に残ったオボロはその場におすわりをした。
「オボロ?」
「うぉん」
オボロはひと声鳴くと、繭玉の隙間を埋めるようにして氷の壁を作り出した。分厚い氷は鏡のように私達の姿を映し出し、完全に防御壁ができたところで彼女は尻尾を振りながらこちらを自慢げに見つめる。
「ありがとうございます」
ゆったりと頭を撫でて、護衛役として残ってくれたオボロを労う。
そして、ようやく完全な安全が確保できたと確信した私は祈るような気持ちで膝をつき、慎重にリンデさんの様子を伺った。
そして、そっと手を伸ばす。
繭玉に守られるようにして壁を背に、目を閉じている彼女へと。
しかして、伸ばした手は途中でぎゅうっとつねりあげられて停止せざるえなくなった。見ると、リンデさんが目を閉じたまま私の手を防ぎ、もう片腕を抱え込むようにして背中を丸めた。よく見れば、彼女は右目のあたりも石化してしまっているようだった。私達のいる側は左目では見えない。身動ぎひとつしないため、余計にこちらのことを把握できないのかもしれない。でも、さっき声をかけたのに……いや、もしかして今動いたのは本能に近い反射行動であって、意識が覚醒しているわけではないのかも?
「リンデさん、リンデさん、私です。ケイカです。助けに来たんですよ私達。ねえ、起きてくださいリンデさん……」
いやそもそもだ。目の辺りが石化してるってことは脳は……いやいやいや、ゲームだぞ? さすがにそこまでのことは……一瞬不安がよぎって、彼女の丸めた背にもう片方の手を伸ばす。つねりあげられた手から数秒ごとに1ダメージずつ入ってくるが、さすがにそんなことを気にしていられる事態ではない。
そうして覗き込んで、ようやくリンデさんが頑なに身を丸め、防御行動に移る理由を理解する。
彼女の腕の中に、完全に石化した2号ちゃんの姿があった。
「2号ちゃん……」
その姿を見れば、なぜ「聡明で強い女悪役です!」って顔をしたリンデさんがこうなっているのかも分かってしまった。
メドゥーサ化しているメーサさんは、ムービーの中の行動がそのままボス戦に適用されているのだとすれば……石化した人物を積極的に破壊しに動くだろう。海城の中には、スノーテさん以外の石像はなかった。あったのは、砕けた石のカケラばかり。ムービーでもそうだ。憎しみと破壊衝動に襲われていたメーサさんは、憎い相手が石になった途端、引き倒して砕きながら進んでいた。
きっと石化してしまった2号ちゃんはその場で動けなくなり、危険にさらされた。そうなれば、誰かが助けに入らない限り破壊は免れないだろう。
つまり、攻撃を受けそうにもないリンデさんがこうして身動きできないほどの石化を受けているということは……。
「やっぱり大事なんじゃないですか、パートナー」
「……が……う」
思わずこぼれた言葉に、小さく彼女の口が動いたような気がした。
「リンデさん?」
「あのかたから……賜った特別な道具を、他人に壊されるなんて、嫌なだけ……です、のよ」
「もー、またそんなこと言って……起きたんですね? ご無事でなによりです」
「それは嫌味かしら」
「あっ、アッ、そういうつもりでは……!」
コメント欄で「今のはお前が悪い」と総ツッコミされながらあわあわと手を動かす。いつのまにか解放されていた手は確実にダメージを溜めて赤くなっているが、それはともかく……。
「死んじゃったのかと……ちょっと焦りました。生きてて良かったです」
「あら、あなたにとって、わたくしは敵でしょうに……」
「ああ、そういうのはいいです。だって私、不殺を信条にしていますからね。目の前で死なれるのも嫌って感じなので、勝手に自分の信条の心配をして、勝手に安心しただけですよ」
「……あなたのそういう……全部自分の勝手にやったことだから、あなたは悪くありませんよ……みたいな言いかた、本っ当に気持ち悪いわね」
「ええ、そこまで言います?」
なんだ、意外と起きたら元気じゃないか。そのことにまた少しだけ安心して、スーちゃんの背中をゆるゆると撫でる。元気に憎まれ口を叩くリンデさんに対して、スーちゃんも安心したようだ。
「リンデさんの目的は、あの魔獣を殺すことですか」
あえて疑問系では訊かなかった。
そして、私は長い長い沈黙が答えだと判断した。
「そうですか……そうなるとちょっと、私達とは目的がズレてますね」
「あなたにとって、わたくしが動けないのは都合が良いでしょう。この場でトドメでも刺しますか? そうなれば、陛下の『一番』の駒を永遠に取り上げることも可能ですよ」
目を開けた彼女が、睨むように私を見上げる。
その目には、さらさら死ぬ気などないようで、「ここで終わってなるものか」という気迫が見てとれた。
『陛下』にとっての一番の駒だと自分を自称している辺りに、自身の有能さに対する自負と矜持の高さを感じる。心の中でそういうとこやぞ〜! とオタクモードの私が叫んだ。
「リンデさん、分かってませんね〜。私がそんなことをできる人間だと思っているんですか? こちとら不殺の舞姫ですよ。自分の信念を曲げるわけないじゃないですか」
ふっ、と笑ってわざと軽い口調で返事をすると、リンデさんは鼻で笑って白けた顔をした。
「……あっ、鼻で笑った!? ちょっとなんで今笑ったんですか!? 嘲笑って書いてわらうって読むやつですよねそれ!?」
調子狂うなあ、まったく。
「こほん。それはそれとして……リンデさん。今、あなたは窮地に立たされています。私はトドメを刺す気なんてありません。今のあなたは、ただ見ていることしかできません。2号ちゃんを……あなたの大事な人からもらった宝物を壊れないようにそっと抱きしめておくことしかできません。元に戻す方法も知らずに。そして」
ひと息入れて、また手を差し伸べる。
「私は今、石化の解除方法を知っていて、その手段を持っています」
不敵に笑って、囁くように。
「さあリンデさん、私と取引しませんか?」
治してあげるから、あなたの目的のためではなく、メドゥーサ救済のために協力してくださいませんか? ……と。
負の遺産を精算できればその方法はなんでもいいだろう。
だったら、別に全部壊さずとも解決はできる。ここに暴走したメドゥーサという帝国の負の遺産がいることがダメなら、暴走状態でなくなり、普通に暮らす個人に戻してしまえば『負の遺産』は結果的になくなるのだ。
目的は相対しているようで、実は似ている。
手段が違うだけ。
なのだから、この場での共闘くらいしてくれたっていいじゃないか。
私の言葉を聞いて、彼女は――。
神獣郷こっそり裏話
・ケイカが来る前のリンデの行動
もちろん石化能力のことは知っていたため、彼女はしっかりと石化しないように立ち回っていました。1号、2号ともに気をつけて1人と2匹でメドゥーサを追い詰めようとしていましたが、メドゥーサに誘い込まれた場所には罠のように水溜りがありました。
下を向いて目を合わせないようにしていた一行でしたが、2号が水溜り越しに石化攻撃を喰らってしまい、水溜りに気づいていなかったために一瞬で全身が石化。メドゥーサが人間の身体から生えた尻尾によって打ち壊そうとするモーションに入ったところで、間にリンデが割って入りました。
それにより、彼女は尻尾攻撃により吹っ飛ばされてその間に飛んできた石化攻撃により足が石化。近づいてくるメドゥーサからの攻撃に咄嗟に首を横に倒して回避行動に出たものの、片目も石化。
その状態になってから、天井から伸ばされた1号の糸によって回収され、壁際に避難。1号が壁に接着するように軽く繭玉を作って陽動のために単騎でメドゥーサに向かって行き……本編という形です。




