幕間 とある少女の独白
「よく聞いてくださいね、お母さん。……ちゃんの手術の成功率は――」
あのときの、ママのかおをわすれられない。
いつまでも、いつまでも。
わたしがいなければママはきっとあんなかおをしなかったんだろうなって、いつもおもう。
ずっとそれがわたしのこころのおくそこにつきささってた。
しゅじゅつが せいこうしたら おそとで あそべるように なるんだって。
もう、おへやのなかですごす ひつようは ないって ママが いってた。
でも、そのかわり。
しゅじゅつはとってもむずかしくて、しっぱいしたら もうママにも あえなくなっちゃうかもしれないって。
ベッドのうえであそぶことも できなくなるって。
まっくらなところに いくことになるかも しれないって おいしゃさんが いってた。
みんな、わたしにはわからないと おもってるみたいだけど 死ぬって ことなんだとおもう。
もしかしたら死んじゃうくらいの むずかしい だいしゅじゅつ。
大手術。
こわいのは あたりまえだとおもう。
こわくないよ。
ゆうきをだして。
だいじょうぶだよ。
ママのことばも しんじられなくなっちゃったから ゲームのせかいにとびこんだ。
もうじゅんすいなだけのこどもじゃないよ。
わたしはわたしでかんがえられるよ。
でもこわいのはかわらないから、すこしくらいにげてもゆるしてほしいんだ。
ほんとはね、ママにだきしめてほしかった。こわくないよってうそつかれるんじゃなくて、そばにいて「そうだね、こわいね」っていってほしかった。
すこしだけまってほしかった。
わたしもこのままじゃいけないことくらいはね、わかってる。
ママとパパがおかねをはらって私をにゅういんさせてくれてることも、それがとてもつらくてくるしいこともわかってる。
でも、こわいものはこわいから、ほしかったのは せなかをおすことばじゃなくて、きょーかんだったんだ。
いっしょにこわいってさけんでほしかった。
つらそうなかおで、きっとだいじょうぶだなんて いってほしくなかった。
ママもくるしいくせに、うそつかないでほしくなかった。
にげて にげて にげて。
ゲームのなかでいろんなことをしった。
はじめてあおぞらをみた。
はじめてはしった。
はじめてむねいっぱいに息をすった。
だれにもめいわくをかけることなくはしゃいで、わらって、おしゃべりして。うんどうだっていっぱいできて。
はじめてお友だちができた。
おともだちはちょっと としうえのお姉ちゃんで、すごくゆうめいなひとだった。いろんなひとにおうえんされて、いろんなひととおともだちで。いろんなひとにいっぱいはなしかけられて、いつもたのしそうで、わらっていて、とってもまぶしいひと。
びょういんでたいくつだったわたしのせかいに、色をおしえてくれたひと。
わたしがいっぽうてきにしってるだけのひと。
いつもおうえんしてたどうがの主人公。
ゲームのなかではじめてあおぞらのしたにたって、まどぎわからじゃなくてはじめて太陽をみあげることができたときに、きづいた。
とてもまぶしい太陽はお友だちといっしょだった。
お友だちはわたしにとっての太陽だった。
まどぎわにおいてあるおはなは、太陽のひかりでげんきになるんだって。
それといっしょだった。
わたしはお姉ちゃんのおかげでげんきになれる。
それでも、いくらげんきをもらえてもげんじつはこわいまま。
ゆうきがでなくて、しゅじゅつしてもいいよっていえなくて、このひまでにきめてねっていわれた日がどんどんちかづいてくる。
ゲームのなかでなら、それをぜんぶわすれることができた。
だけど。
「刺さった異物を暴れる生き物から外して治療する作業だなんて、なんかすごい大手術ですよね〜」
「ま、やるからにはこのオペ絶対成功させますよ? エアレーは今、痛みと不安と悲しみの中に取り残されてしまっています。そんな彼女を助ける道は非常に困難ですが、怖くとも勇気を持って挑まねばなりませんね」
「よし、頑張りましょう」
きこえたことばに、びっくりした。
そっか、うつぼさんとのバトルは、しゅじゅつなんだっておもった。
しゅじゅつするほうもこわいんだってしることができた。
それでもがんばってくれるんだってわかった。
「ねえ、ビィナ。わたし、げんきになれるかな」
ちっちゃいこえでビィナのてをにぎって、あたまをなでられるかんしょくにくすぐったくてわらう。
ビィナのてがママみたいにやさしいっておもったとき、ママもこんなふうにしんぱいしてくれてるのかなってきづいた。
お姉ちゃんがシャークくんにのってはなれていく。
あとのことはいまはわすれて、むきあう。わたしもビィナたちとスノーテお姉ちゃんと、うつぼさんをたすけてあげるんだ。
うつぼさんはからだにもいろいろささっていて、とってもいたそうだけど、たぶんこころのなかにもトゲがささってるとおもう。
うつぼさんはわたしとちょっとだけにてる。
うつぼさんのトゲをとってあげたら、わたしのこころのトゲもとれるのかな。
そしたら、「わたしがいなかったらママはしあわせだったのかな」なんてかんがえなくてすむのかな。
「私はハッピーエンド至上主義なんです! だからそのためにはわりと泥臭いこともやりますし、延々同じ作業でもやりますよ? 必要なのは集中力! 皆さんもそういう私を見に来てくれているんでしょう? ですから……」
いっきにおうえんのことばがながれはじめるコメントらんをみて、にっこりわらう。お姉ちゃんのはいしんは、いつもそう。
みんなのこころのこもったことばが、わたしにむけられたものじゃなくてもすごくすき。
それで、ふとおもったの。
お姉ちゃんの〝大丈夫〟はしんじられるから、みんなの〝だいじょうぶ〟もしんじていいかもしれないって。
だからね、あとできこうとおもう。
お姉ちゃんがわたしのことも〝はいしん〟でみんなにしょうかいしてくれてるから、おねがいして、みんなにせなかをおしてもらいたい。
わたしにむけられたことばじゃなくてもあったかいきもちになれるから、きっとわたしにむけていってもらえることばはもっとステキなんだろうなって思うから。
大丈夫だよ、行っておいで。
きっとまたゲームの世界で会おう。またね。
……って、いってくれたら、きっと、わたしもがんばれる。
おおうつぼさんの大手術がおわったら、じかんをつくってもらって、みんなにいうんだ。お姉ちゃんにもいうんだ。
わたし、ゲームでひとくぎりついたら、がんばってきてみるよって。
だからね、いっぱいおうえんしてほしいなって。
みんなにおうえんしてもらえれば、きっとこわくないから。
みんなの言葉や応援が『信仰』だけでなく、誰かの『力』になるのはきっとゲームの中の出来事だけじゃない




