へびむすめのこうかい②
濃いめのコーヒーを淹れる。
割る鶏卵の数はいつも二つ同時で、フライパンにベーコンとともに落として目玉焼きに。そして薄手に切ったパンをトーストしてから、完成した目玉焼きをその上に乗せて皿へ。
朝ご飯にはもう一品、ニンジンにキャベツ、そしてタマネギを入れたコンソメスープ。
……それが、彼女。メーサの日課のようだった。
研究所内のデスクに座り、肘をついて物憂げにパンをかじる。目元には明らかなクマの跡。朝食をもそもそとゆっくり食べながらも、ストーブの前の卵をときおりくるりと回してあたためる箇所を変えている。
自分には薄手の膝掛けしかかけていない癖に卵を包み込む毛布は分厚く、お気に入りのクッションに乗せている。クッションは一つしかなかったのか、自分自身はくるくるとまわる冷たい椅子に直接座っていた。
足を組み、すり合わせてとても寒そうにしている。
聖獣の卵は、少しでも油断をするとすぐにでも生命活動をやめてしまうほどに繊細だった。
故にメーサはガリガリとレポートのメモを書きつけながらも卵から目を離せない。ときおり苦言を浴びせに来る研究員は全員追い出して、彼女はそれでも世話をし続けた。
場面はアニメのように数カットしかない。
それでも、彼女が卵の世話にのめり込んでいることが分かった。朝食のルーティンだって、彼女の独白がシーンに挟まるから分かったことである。
また、卵を育て始めてから少しして、彼女の研究室には小さな棺のような形の箱が二つ増え、毎日その棺の前で祈ることもルーティンとなっているようだった。
骨壷や十字架のついた箱ではないため推測でしかないが、恐らく死なせてしまった蛇の親子のものだろうことはさすがに分かる。
「根っこのほうは、優しい人なんですね……」
帝国の研究者としては、きっと致命的なほどに。
私も彼女の隣の椅子に座り、頬杖をつきながらその過程を眺める。
心配して思わず目元のクマに手を伸ばしてしまうこともあったが、その手は虚しくすり抜けるだけだ。はらはらとしながら、私はこの『子育てドキュメンタリー』的なものを鑑賞し続ける。
……世話のし始めはそこまで苦労していなかった。
けれども、一度彼女が退勤して家に帰ってしまった日からそれは変わる。
ストーブのついていない部屋で薄いクッションに乗せられていただけの卵が一度死にかけたのだ。
翌日出勤してきた彼女はものすごく慌てて卵をあたため、それ以来ずっと家にも帰らず、ストーブの火を絶やすことなく卵を育て続けている。寝不足で目が死んでいる様は完全に子育て中のお母さんといった感じで、ともに育てる人がいない分より大変そうだった。
そんなおり、死んだ目でコーヒーをすする彼女の耳にピシリというわずかな音が届く。
緩慢な動作で目を向けたメーサは、そのまま目を見開いた。
卵に、ヒビが入っていたのだ。
ぐらぐら動く卵。内側から叩かれるような音がして、少しずつ、少しずつ殻が剥がれていく。
思わず私も立ち上がって卵に近づき、孵る瞬間を今か今かと待った。
卵の周りにはメーサだけではなく、私達もあわせてしゃがみ込む。
メーサには自分一人しかいないようにしか見えていないだろうが、私も、私の肩に乗ったアカツキも、卵のすぐそばで興味津々にしているジンも、同族が生まれてくるからとソワソワしているシズクも、そして顔だけ懸命に伸ばして少しでも近くで見ようとするザクロもいる。
私視点ではかなり賑やかな、新たな生命の誕生。
けれど、メーサ視点では、きっと孤独な中ようやく目にする『いのち』が誕生する瞬間だった。
卵の殻をやぶり、どろりと流れてくる粘液。
その中から粘液をまだかぶったままの小さな小さな蛇が顔をあげ、ゆっくりと目を開ける。
頭のてっぺんに卵の殻を乗せたその子は、生命の誕生を間近で見て硬直しているメーサに向かってニッコリと笑ってみせた。
「なによ……どうしてわたくしに向かって笑いかけられるの? あなたの親と兄弟は……人間のせいで死んだのに」
震える手がそっと蛇に差し出され、生まれたての蛇は幸せそうに擦り寄った。
「どうして」と何度も呟くメーサに、蛇は一心の愛情を向けている。蛇の親と兄弟のことをだいぶ引きずっているメーサには、生まれてきた子からの無条件の信頼が重たく、辛いものだったに違いない。
「でも、孵すことを選んだのはメーサさんですよ……」
擦り寄った蛇を、繊細なものに触れるようにして持ち上げたメーサはどう見たって泣いていた。
その心の中には後悔とか、罪悪感とか、いろいろと複雑に渦巻いているに違いない。けれど、蛇にとっての唯一の『親』が彼女になってしまったことは変わらないわけで……。
「……わたくしの言うことを聞く、子に、なりなさい」
そんなことを言ってはいるが、きっともう彼女は聖獣達にひどいことはできないだろう。それほどまでに、生まれてきた小さな蛇の影響は大きかった。
大きすぎた。
そして、メーサは帝国の人間にしてはあまりにも情が深すぎる。
もう、彼女にはケモノをただの道具として扱うことができない。
それがどれほどの悲劇を生むかは、なんとなく想像がつく。
研究所としては、きっと失格なんだろうなあ……と、微笑ましい『親子』を眺めながら思ってしまった。設定的には、そうだよねと。
「ハッピーバースデー、蛇ちゃん」
シズクの頭を撫でて目を合わせると、彼女も小さな蛇と同じように私に甘えてくる。こうやって甘えてきた子を愛しく思って大好きになることだって、本当に冷徹な帝国の人間にはないことなんだろう。
だから、メーサは例外だ。
そんな国に生まれながら気づいてしまった、かわいそうな人。
「わたくしが、あなたのお母さんになる……のよね」
親を奪った人間が親になる。
その罪深さに、メーサはこれからもずっと苦しむことになるのだと思う。
「ちゃんと生まれてこれて、よかった、わ」
けれど、粘液だらけの小さな蛇を抱いて泣くその姿は、確かに『母親』そのものだ。
「ああ、私もお母さんに会いたくなっちゃうなあ……」
人とケモノの親子を見て、私はそう呟いた。
ガッツリ寝落ちしていましたすみません!!!




