初期聖獣の猿の意味は、『理想』
「び、ビィナ、気持ちいい?」
「キィ〜」
「スーちゃんはどうですか〜?」
「髪、むすんでもらえるの嬉しい!」
「そっか〜」
圧倒的可愛さの暴力。
私はもうにっこにこである。
今、私達は王蛇の水源にてテントを張り、みんなで毛繕いをしていた。
縦に並んで、私がスーちゃんを、スーちゃんはビィナを、そしてビィナが寝転がったオボロを毛繕いをしている状態だ。お風呂での背中流し合いっことちょっとシチュエーションが似ているかもしれない。
彼女は、街に戻った際にはすぐ、宿屋でお金を払ったり、お買い物したりなどのおつかいができるようになったので、次は実践と相成ってフィールド、もといダンジョンとなるここにやって来たのである。
街での買い物は、末の妹のはじめてのおつかいを見たときと同じようにドキドキしたり、周囲の大人に手出し不要と睨みをきかせながら行ったので無事に全ての工程を終えている。
掲示板で一部、お姉ちゃん通り越してヤンママ扱いされたり、いやあれは極道妻と論争が巻き起こったり、そもそも私にお相手がいること前提なのが無理な層が群れの子供を襲われそうになって集団で立ち向かうヌー扱いしてきたりと……まあ不名誉なこともあったけれども。後輩育成計画はおおむね順調だ。
「オボロ、そろそろジンと交代してあげてくださいね」
「くぅ〜ん」
ビィナは子猿だが、お猿さんなだけに毛繕いがお上手な様子だ。オボロはお腹を見せて寝転がり、野生のカケラもない体勢から動こうとしない。私の声かけでチラッ……とだけ見てきたので、分かってて無視をしている。そんなに気持ちいいの? ちょっと興味出てきた。
でも、ジンはジンでそんなにいいんなら自分も体験したいと思っているらしく、すげなくオボロに態度で断られてぺしょっと耳を垂れさせて落ち込んでいる。
いいよ〜私が後で特別にマッサージ込みでよしよししてあげようね!! そう、近くのジンにこっそり言ってあげると、ぺしょんとへたっていたお耳がピンとたち、尻尾がぴるるっと震え、ゆっくりと揺れ始める。顔をあげず寝たふりをしているけど……ふふふ、体は素直じゃのう。なんて可愛いんだ。
「くぉ!?」
ジンにこっそりと私がなにか言っていたからか、オボロがピンと耳を立てて慌てて起き上がるがもう遅いのである。こちらにやってこようとするオボロの尻尾をビィナがわし摑みしてすっ転んでいる。ビィナに他意はないようだが、オボロは恨めしそうに振り返っている。
「きゅ〜ん、く〜ん」
「残念ですね、オボロ。さっき呼びかけたときに来ないからですよ」
ビィナはまだまだ通常のAIの範疇から外れていないため、若干やりかたが荒々しく雑なところがあるが、スーちゃんと一緒にいることでこれからだんだんと情緒が育っていくことだろう。
そういえば、こうして初期状態のAIが成長していく姿ってやつは久しぶりに見ることかもしれない。ザクロ以来? ザクロもそもそも最初から通常の性格からズレていたので、仲間にしたときの性格ガチャでレアを引いたっぽいし、厳密に言えばもっと前から見ることがなかったかも。
聖獣達の性格はモブ……魔獣状態や、初期の初期はデフォルトの中からランダムで選ばれるテンプレート通りのものだ。しかし、それはプレイヤーと仲間になった瞬間、学習型AIへと切り替わり、学習して変化し始める。
この子はすでにスーちゃんモンペ……モンペ? ペアレントじゃないし、モンスターフレンド? モンフ??? いや、フレンドなのは他の子だってそうなるわけだし、モンペみたいな使いかたはできないな。
……パートナー過激派強火勢?
これだ!!!
……とまあ、スーちゃん過激派になりつつあったようなので、今後立派な同担拒否勢に育ちそうな予感がする。私はお姉ちゃんとして認めてもらえるように頑張って振る舞わねば!
「お姉ちゃん、今度はお揃いにして〜!」
「お姉ちゃんに任せて〜!!」
「なう……」
三つ編みにしたり、ポニーテールにしたり、いろいろといじっていたすーちゃんの髪をほどき、私と同じように頭上でハーフアップのような、お団子のような……そんな感じにしてみる。
彼女もビィナの短い毛をぴょこんと上で緩く結えていて、なんとなくアホ毛が生えたみたいでくすくすと笑った。可愛い。
ジンはようやく自分も触れ合ってもらえるかと思っていたのに、また私がスーちゃんの髪をいじり始めたので、諦めて私の後ろに回り込んでしまった。
あ、しまった離れて拗ねちゃうかなと思ったが、ジンは私の背中にほんの少しだけ尻尾を這わせ、ぱしんぱしんと不満たらたらに叩きながら座った。
私はそのあまりの可愛さに口をにやけせながら、ささっとスーちゃんの髪型を完成させてポンと肩に手を置き「かんせ〜い」と告げる。それから、真後ろのジンを片手で攫って膝の上に乗せた。
よしよしと尻尾の付け根の辺りをトントンしてあげるが、ジンは「拗ねてます」といった雰囲気のまま顔を俯かせて寝たふりをしている。けれど、お尻トントンをするだけでゴロゴロと喉が鳴り出し、尻尾がぴるぴる震えているので満更でもないって態度に出てしまっている。
誤魔化せないジンくんのなんて可愛いことか。この場には天使しかいないのだろうか。
自分で羽繕いをしながらこっちをチラ見してくるアカツキも可愛いがすぎると思うの。シズクちゃんは自分で水場を作って体をきれいきれいにしているけれど、やはりときおりこちらをチラッと見てくる。私モテモテか??? こんなもふもふハーレムならいくらでも歓迎なんだが???
「あたしも、お姉ちゃんがいたらなあ……」
「んんんんっ」
ここにあなたの言葉でハートを射抜かれているお姉ちゃんが一人おりますが!! いかがでしょうか!! まて落ち着け。すでにお姉ちゃん認定はされている。つまり彼女が言いたいのは本当のお姉ちゃんがいたらよかったのになあということだ。なんでここ現実じゃないの? 私がお姉ちゃんよ!! 今からあなたは私の妹!!!
「……」
「……」
餅つけ! じゃない!
落 ち 着 け 私 !
これじゃあストッキンさんと同じ道を辿りかねない。違う。違うんだ。私は尊敬されて頼られるお姉ちゃんになりたいのだ。間違っても慕ってくれそうな子相手に皮肉られたり、気味悪がられたり、ドン引きされたりし、反抗期じみた生意気な対応をされたりしたいわけではない。純粋な子供は純粋なまま、まっすぐゲームに馴染んで育ってほしい。
……よく私の態度に耐えられるなストッキンさん。
閑話休題。
「ほ、本当のお姉ちゃんにはなってあげられませんけど……その、ゲームをしているときは、いっぱい頼ってくださいね」
「うん!」
満面の笑顔イズ女神。
スーちゃんはこちらに振り返ってニコニコした笑顔を浮かべながら、また前を向いてビィナの毛繕いをし始める。最初はぎこちなかったブラッシングも、もう見違えるほど上手になっている。ビィナの毛艶もかなりよくなっているし、コンディションを整えるやりかたはもうバッチリマスターできているようだ。とっても筋がいい!!
「キキッ」
そんなスーちゃんの手が止まったとき、ビィナが体ごと振り返って彼女の肩までぴょんぴょんと登り、そして優しくその頭を撫でる。
「ビィナ?」
「キッ!」
「えへへ、ありがとぉ」
へにゃっと笑うスーちゃんは、ビィナによしよしされて嬉しそうだ。
子猿のちっちゃな手にそっと自分も手を重ねるように挙げて、「でも、あたしのほうがまだ手はおっきいよ」と言う。それにムッとしたのはビィナのほうだ。両手を腰に当てて「なんですって!?」というリアクションをする。
ん、んー、私にはすでにビィナのほうがお姉ちゃんっぽく見えているけども。子供視点では確かに精神的なほうではなく、見た目で印象を決めてしまいがちかもしれない。
ってことはビィナをお姉ちゃんっぽく感じるのは、大人の感性ということになるのかなぁ。今でもお姉ちゃん力は十分だけど、これは前途多難だねぇ……と、ビィナに微笑んでみる。ぷいっとそっぽを向かれた。あらあら〜。
「スーちゃんはなでなでされるのが好きなんですか?」
「うん! あたし、お母さんみたいに、おっきなおててでよしよしされるのが好き!」
「そっかぁ……」
それじゃあ仕方ないよねぇ……と、苦笑いをしていたときだった。
「キキッ!」
「え? なになに?」
戸惑ったスーちゃんの声に首を傾げる。
「どうしました? なにかありました?」
「おねーちゃん、えーっとね、ふ、ふりがな……ふってある。せ、せーじゅうはんだんのしんか? がおこなわれようとしてます! って! なにこれ?」
「あ〜」
チラッとビィナを見ると、すごく真剣な顔をしていた。
ここまで言われちゃあ、ねえ。そりゃそうか。そうだよね、レベル1でも最初の進化は可能だ。最初の進化からまさか聖獣判断のやつが来るとは思っていなかったけれど、ブラッシングをして親睦を深めていたのだから、条件自体は余裕で達成されていただろう。
これは、ビィナ自身の意思。
それも、一番最初の、ビィナだけの強固な意思。
初期AIの状態からそんなに経っていないからといって、成長していないわけではない。
だから、これが正真正銘ビィナが自分の意思で決めた、はじめての『パートナーのために』したいこと。
「そのメッセージの下になにか書いてない? まだ触らずにお姉ちゃんに教えてください」
「えっと、はいといいえがある」
子供用にカスタマイズされているのだろうか。普段ならイエスとノーだが、それならば分かりやすい。
アカツキ達は、後輩ちゃんによるはじめての『進化』の気配に立ち上がり、そわぁっとしながら見守っている。今にも遠吠えで歌って喜んで踊りそうな雰囲気で、そのときを今か今かと待っている。
分かるよ、その気持ち。
「スーちゃん、よく聞いてくださいね? ビィナは今、あなたと仲良くなったから、もっと成長したいと思っています。進化は……そうですね、そこのアカツキがビィナと同じくらいだったときは、ちっちゃいニワトリさんでした。でも、今は立派なカラスさんです。そんな風に、あなたの役に立つために、姿をちょっとだけ変えたり成長したりしたいと思っているんです」
「う、うん……姿が……変わる」
「ゲームやアニメの進化は分かりますか?」
「見たことある!」
なるほど、進化って言葉は聞いたことがあっても、アニメでなら漢字を知ることはないし、ふりがながふってあるとはいえ、すぐに理解できるものではなかったのかもしれない。まあでも、知ってるならいい。
「お、それなら話が早いですね。ビィナは、その進化がしたいんですって! あなたは、それにいいよって言ってあげることも、まだダメって言うこともできます。どうしますか?」
「進化……」
ビィナは地面に降りて、スーちゃんを見上げている。
「ビィナがやりたいことなんだよね?」
ビィナはこくりと頷く。
二人向き合って、話し合う。
私達は決定的瞬間の立会人になるだけ。口は出さない。説明だけをして、二人の判断に任せたいと思った。
「分かった。ビィナにまかせるね」
「キィッ!」
「お、お姉ちゃん。これ『はい』を押せばいいの?」
「いいよって許可出すならそうですよ」
「分かった! あたし、見てるね! ビィナがなにになるか!」
幼い子の判断は早い。
スーちゃんの手が私には見えないなにかにそっと触れて、離れる。
すると、ビィナはまたたくまに光に包まれた。
……なにがきっかけだったのだろう。
ブラッシングで最初の進化の条件は達成されていたとは思うが、『聖獣判断』ってことは、多分別の条件も達成したのか、それとも、通常の正規進化ではなく、分岐進化をすることをビィナが選んだってことだ。
だって、アカツキが最初に進化したときは、聖獣個体名【◯◯】の進化が可能ですってメッセージが出た。聖獣判断の進化ではなかったのだ。
だから、なおさらこれはビィナの意思が関係する。
ビィナはなにを思って、なにをきっかけにそうしようと思ったのだろう。
……それは、私にはすぐに理解できた。
光の中で、ひとまわり、ふたまわりと大きくなるシルエット。尻尾の先が分かれて手のようになり、白い毛が全体的に長くなり、光が晴れる。
赤いお化粧を施されたような涼やかな目尻。頭の後ろと、首の後ろがやや長くなった純白の毛。首の後ろから流れていく毛はイエローアンバーの綺麗なリボンで一本に結ばれている。それは、さきほどスーちゃんがビィナの頭のてっぺんでアホ毛のように結んでいたものがそのまま進化と共に反映されたもののようだった。
体の大きさは小学生サイズのスーちゃんとほぼ同じくらいになり、手も手袋をしたように白く長い毛に覆われ、尻尾が人の手に似た形に変化した……もう子猿とは言えない姿。
アカツキの最初の進化と比べると、かなりの変化だ。
でも、それと同時に納得する。
だって、初期聖獣の猿の意味は――『理想』だ。
「び、ビィナ……? ほんとにビィナ……?」
目を白黒とさせてびっくりして、スーちゃんがこちらを戸惑ったように見る。そんな彼女に安心するように微笑んで「ビィナですよ」と教え、見守る。
大丈夫。きっとスーちゃんなら拒絶しない。
普通、小さな子供は見知った相手が突然大変身を遂げると戸惑って拒絶してしまいがちだ。けれど、きっと彼女なら大丈夫。そばにしゃがんで、視線をビィナに向けるように背中を押すと、ゆっくりとビィナに向けて歩き出した。
「ビィナ……? お、おっきくなっちゃった……あたしより」
「キィ!」
つり目がちな涼やかな目元が、柔らかく微笑む。
そして、ビィナはスーちゃんを怖がらせないようにそっと下から、ゆっくりと手を頬に当て、上へ上へとあげていく。
私もそっと彼女達の表情が見える位置まで移動して、見守る。
ようやく辿り着いた頭のうえで、恐る恐る緊張したように撫でるビィナと、目を丸くしてくしゃっと泣きそうな、けれど嬉しそうな顔で笑うスーちゃん。
「キィーキィ」
その鳴き声は、なぜだかスーちゃんと言っているように聞こえた。
「手、あたしよりもおっきくなっちゃったねぇ」
きっかけは、多分手の大きさから発展したあのお話。
「……えへへ、あのね、ビィナ、おねえちゃんみたい、かも!」
無邪気な子供の言葉にビィナは優しく笑った。
「キィ」
「手、繋いでいい?」
二人が手を繋ぐ。
私はその姿を見ながら、そっと目元を拭った。
……ビィナは、あなたの理想のお姉ちゃんになりたかったんだよ。
誰でもない、自分自身が、あなたのお姉ちゃんに。
そんな言葉を、私は言わずに飲み込んだ。
言う必要はない。
だって、言わなくたって、きっと分かっているだろうから。
だから、ただ一言だけ二人に祝福の言葉をかける。
「よかったね、二人とも」
私が言った途端、オボロが大歓声と遠吠えという名の歌声をあげ、静かだった森の中は祝福の喧騒で包みこまれた。




