水陸だけじゃ足りない?
逃げる、逃げる。
巨大な影が迫る中、影に比べれば圧倒的に小さなパートナーが泳ぐ。
ウツボの泳ぎで高くなっていく波が、何度も何度もシャークくんに打ちつけられる。上に乗っている私達もすでにびしょ濡れで、後ろから迫るカチカチという歯の音にゾッとした。
正直なところ、シャークくんの泳ぎの推進力では全然足りていない。彼は敏捷に特化しているわけではないからだ。ライジュウ戦のときのオボロのように、スピードを武器に振り切ることはかなり難しい。
……しかし、それでも必死に泳ぐ彼のことを信じて、私は掴まっている背びれに抱きついた。
「シャークくん……」
案としては、アカツキを大きくしてみんなで乗り換え、シャークくんを同時に小さくさせ、回収すること。さすがに飛んでしまえば、ウツボの届かない高度まで行くことも可能だからだ。
しかし、この案はなしだ。
現実的に考えて、かなり追いつかれそうな今の状態でそんな交代をしている暇はないというのがひとつ。これをするということは、一箇所に留まる時間が少しでもできてしまうことを指す。
泳いで引き離そうとしている今の状態でもギリギリなのだ。少しでも止まってしまったら、すぐにウツボのお口の中にご招待である。私だけならともかく、アカツキ達やアインさんを死なせるわけにはいかない。いつも通り、気持ち的にね。
他の案は、ウツボを驚かせて少しでも追いかけてくるスピードを緩めようというもの。ただし、これの場合はそもそも驚かせる手段をどうするか、というのが課題となる。アカツキの炎を海に放って水蒸気爆発でも引き起こせないだろうか……?
いや、それだとウツボちゃんが驚く以前に怪我をしてしまうだろうか。魔獣はそもそも理由があって魔獣化している場合が多い。怒らせて、ただでさえマイナスの感情に支配されているのに、もっと戻れないくらい深く怒り狂ってしまう可能性がある。そうなってしまってはいけない。
ミズチ戦のように弱らせつつ攻略法を探すならともかく、今はそんな余裕もないもんなあ。早く陸地につければいいのだが。
「アインさん、ちゃんと捕まっていてくださいね!」
「わ、わかっ、がぼっ、る!」
後ろのほうに掴まっているアインさんが、明らかに海水を飲んだ音をさせている。ちょっとまずいかもしれない。いや、この人のことだから大丈夫かもしれないけどさ。
「クゥ、クォォ……」
力を振り絞るようにしてシャークくんが鳴く。
苦しげに響く音になにもできない私は、はがゆい思いをしながらもただ祈るしかできない。せめて、せめて一瞬だけでもスピードを上げられるような技さえあれば……けれど、シャークくんは砂漠出身で海の上で有効になる技は多く持たない。
「シズク、あっちにアクアブラスト」
「シャア!」
ないよりはマシだろうと判断し、シズクに指示を出す。技を後方に打ち出し、少しでも推進力にしようという試みである。そして同時に、なにかできないかと考えていたらしいオボロが、たまに海面へと顔を出してくるウツボの位置目掛けて風花の調べを放った。
一部の海面が凍り、ウツボがそれを叩き割って浮上する。しかし、氷はちゃんと最低限足止めとしての機能を果たしていたようで、ウツボが頭を振るようなモーションを軽くしてからまた追いかけ始める。
さっき攻撃はしないって心の中で決めたはいいが、オボロには伝えていなかったためちょっと焦る。しかしその後のウツボの行動を見て考えを改めることにした。
「なるほど?」
海面に出てきたウツボに対して、なんらかの刺激をすると少しだけスピードが鈍るらしい。それを利用して、私達はちょっとずつ距離を離すことに成功したということだ。なるべく距離はとりたいので、怪我をさせるかとかどうとか言っていられる場合ではないかもしれない。
思い直して、追いつかれそうな危ないときだけ攻撃を加えてみることにした。
巨大ウツボは攻撃を受け始めたからか、行動パターンを変化させて顔を出したり、うねらせて体を海面から少しだけ出したり、尻尾でぱしゃんと海面を叩きつけてきたり、なんと電撃を放ってきたりと様々なことをしてくる。
そのうちの一回、私は見逃さなかった。
「大きな……イカリか、槍……みたいなのが……」
ウツボの体の一部に、なにかが刺さっている。
いや、一部というどころではない。体の後方はまるで複数の人間と戦った後のように、たくさんの武器類が刺さったままとなっていた。傷だらけの体に、ところどころ火傷のような痕さえある。
昔、誰かがこの子を退治しようとでもしたのだろうか? それでこんなにも傷だらけなのか? ともかく、ウツボちゃんの攻略方法はなんとなく分かったので、前を向く。
今は攻略より目的地に着くほうが優先である。
しかし、私はすぐに困惑することとなった。
「氷でできた……崖……?」
遠くにそびえ立つは、一面真っ白な崖。
残念ながら、私達が目指していた場所に無事辿り着けるような上陸地点がなかった。
回り道をすれば、もしかしたら上陸できるようなところがあるかもしれない。しかし、探している暇は、正直ない。
攻撃をして鈍らせているとはいえ、ウツボの接近はかなり早く……真横に回避して泳ぎ続けることを選んでも逃げ切るのは難しそうだった。
だが実際に上陸地点が見当たらない以上、難しくてもやるしかない。シャークくんのサポートはこちらがすればいい話だ。
「仕方ありません、上陸できそうな場所を探しますよ」
「クォォォ!」
シャークくんもかなり疲れているだろう。しかし、ウツボを振り切るには上陸が必須。そうしてなんとかウツボの攻撃を回避しながら崖の周囲を泳ぎ始めたのだが……。
「低いところが……どこにもないです!」
泣きそうだ。上陸できそうな低い位置の場所がまるでない。もしや外から上陸するのではなく、海底洞窟かなにかから崖の下をくぐってあの中に入るパターンとかだろうか? しかし、潜水となるとさらに厳しい。
砂漠のシャチであるシャークくんは、さすがに海に元から住んでいるウツボにはスピードで勝てそうもない。一直線に泳いでいるだけならともかく、潜るということはかなりの水の抵抗が存在するし、私達をどうするかという問題がある。
正直、結構まずい状況だ。
まさか上陸さえできないとは思ってもみなかったし……。
最初から飛んで海を渡ればよかったのかもしれない。そんな風にちょっと諦めムードとなりかけたとき。
「クォ……」
シャークくんの目がこちらをチラリと見やった。
その瞳は、まだ諦めていなかった。
短い鳴き声でも、たとえ無言でも伝わるような訴え。
「そうですね、諦めてはいけませんよね! やはり、物理的に無理かと思っていましたが、アカツキを大きくして空に逃げるか、シズクとオボロに協力してもらって氷の階段を作るか……」
「クォ、クォォォ!! クォォォ!!」
「え……?」
てっきり、別の案でどうにかしようと。そう言っているのだと私は思っていた。けれど、どうやら違ったようだ。
逃げる中、改めてシャークくんの瞳を見る。
大丈夫、信じて。もう少し、僕を信じてみて。あと少しだから。
そう言っているような、なにかを確信したようなその様子を見て――私は賭けることにした。
「シャークくん、あなたに私達の命を預けます! 必ずあの上に! あなたなら大丈夫だって信じてますよ、パートナー!」
「クォォォォォォォォォン!!」
長く、長く、彼の鳴き声が響く。
その瞬間、私の前に懐かしいとすら思えるシステムメッセージが表示された。
――――――
聖獣判断の進化が行われようとしています。
許可をしますか?
――――――
選択は当然、彼の『判断』を信じるのみ!
先輩達の能力を頼って逃げるための算段を立てるケイカに、ただ一匹後輩としてついてきた彼は寂しくなってしまった。
◇
自分はまだやれる。まだできる。だから、できないと諦めてしまわないで。お願いだよ。僕ならできるって、その声で、言ってほしい。きっとそうしたら頑張れるから。




