いつかこの白梅の下で
ざあ、と優しい風が流れていく。
白く気高い狼は、じいっとこちらを見据えるばかりだ。
私はその目の前まで歩んでいき、止まる。今度は邪魔が入ることもなく、彼女の元まで辿り着くことができている。やはり、ユールセレーゼは他の三匹を対処してからでないと、攻略することはできないようだ。
優しい瞳は力強く。なのに、ひどく儚い印象を抱いた。
迷い家の庭は閑散としていて、どんな植物も枯れ果てているというのに唯一咲いている白梅。
その下で、ユールセレーゼは差し出した私の手のひらを鼻で押し返して見上げてくる。そして、後ろ向きに数歩歩いて白梅に身を寄せた。
「待ってください」
「……」
ぽつり、ぽつりと咲いていた白梅は、彼女が身を寄せるとツボミの部分が膨らんで次々と花を咲かせていく。だんだんと満開に近づくその梅の花は、この枯れた地でなにを栄養に咲いているのか?
……そんなの、ひとつしかない。
「……三匹いれば充分とでも思っているんですか? そんなことはありませんよ。絶対に、死なせない」
ユールセレーゼは、自分の生命を白梅に少しずつ移して花を咲かせている。
最初から、きっとそうだった。赤ん坊と白梅。どちらにも命を分け与えていたのだ。
あれが満開になったとき、ユールセレーゼの命はつきるだろう。
漠然と、そう思った。
「早くしないと……」
白梅にこだわるのは、手紙の内容が内容だから知っている。
「ユールセレーゼ。待ちなさい、止まって! 話を聞いて!」
と、そのとき視界の端にタイマーが表示される。
【残り300秒】
三百……? なるほど、五分。五分でなんとかしろということか。
分かった。やってやりましょう。ここにきて時間制限があるだなんて思っても見なかったけれど、元から全員死なせるつもりはないわけですし!
だから、私はカメラを構える。
スクリーンショットではなく、ゲーム内で買えるカメラだ。
スクリーンショットだと、カメラを手に持つことはできないからね。
そして、白梅の下にある赤ん坊の入っているカゴと共に映るように位置を調整。
パシャリと音を立ててシャッターが下りた。
【残り240秒】
「あなたと彼の思い出は……」
手紙の内容をそらんじる。
この優しい狼に届くように。
「君とはじめて出会ったとき、君はまだ小さな子犬だった。真っ白でとても美しくて、思わずこんな子が私を選んでくれたのかと感動さえしたよ。それから、君にはじめてのプレゼントをあげたね。そう、君の名前だよ。ユールセレーゼ」
手紙の内容をそのままなぞるように、歌うように言葉にしていくとユールセレーゼは静かに聞き入るように目を伏せた。
――ユールセレーゼ、よろしくな。そう、君の名前はユールセレーゼだよ。僕からの最初のプレゼントだ。
すると、私の視界にも一瞬だけ、幼い子供と白い子犬の出会いの場面が映った。さっきの子達の回想シーンはなかったというのに、この子はあるのか。
幼いからか、どうやらパートナーの一人称もまだ『僕』であるらしい。
「あのとき、すぐに白梅のまだ小さな苗を植えたね。あの苗は私や君と共に成長していく。花を咲かせたら、きっと一番に君に見せるよと、約束をしたよね。まだまだ白梅の幹は小さいけれど、立派な花を咲かせた。花冠を作って君にプレゼントしたときの、あの喜んだ顔といったら……忘れられないよ」
【残り142秒】
花冠まで作るなんて、この子達のパートナーは随分と可愛い人なんだね。男性でそこまでする人って、わりと珍しい気がするのだけども。素敵な人だ。
―― 綺麗な花を咲かせるのが楽しみだねえ。
――どんな花を咲かすんだろうねえ。
――もし、いっとう綺麗な花が咲いたら、きっと君に、一番にプレゼントするよ。
――押し花にして、そうだな……お守り袋にでも入れて、この先ずうっと幸せでいられますようにって願いを込めて。
お守り。お守りか、なるほど。それがユールセレーゼが私に渡してきたやつの正体。
「くうん……」
切なげな声でユールセレーゼが鳴く。
言葉は分からないけど、どこか悲しげに瞳を揺らしているからなんとなくなら分かる。恋しがっている。かつてのパートナーを。大切な人を亡くして、悲しんでいるし、悔やんでもいる。
きっと、今すぐにでもそのそばに行きたいと願っている。
でも、私は身勝手だからそんなことは許さない。
ユールセレーゼが赤ん坊を置いて逝こうとするのも身勝手だし、私が彼女達を助けたいと思うのも身勝手だ。
身勝手同士なら、よりその気持ちを貫いたほうの勝ち。諦めたほうが負け。うん、シンプルだね。だから私は負けない。絶対に。
「それでね、ユールセレーゼ。記録を撮ろうと思うんだ。成長するごとに写真を撮って、それをアルバムにまとめよう。そしていつかは……」
――いつか、私の子供を背に乗せた君と共に、この白い梅の下で写真が撮りたいな。
私の言葉と同時に回想が流れる。
白梅の下で交わした約束。それを思い出したのか、ユールセレーゼはいつのまにかポロポロとその瞳から涙を流していた。
【残り30秒】
「写真を撮りましょう、ユールセレーゼ。この先、成長した赤子と一緒に! 約束したんでしょう? 叶えてあげましょうよ。たとえ、隣にパートナーがいなくとも」
残酷な言葉を言っていると思う。
それでも、私は手を伸ばす。
【残り8秒】
白梅のお守りを手にして、更に近づく。
【残り5秒】
長い紐を用いて彼女の首から下げる。
抵抗は、なかった。
【残り2秒】
「くうん」
そして、ユールセレーゼがようやく木の幹から体を離してこちら側に倒れ込む。反射的に受け止めて、冷や汗でも流れるような心地になった。まさか……間に合わなかった……?
アカツキにオボロ、シズクにレキ、そしてリゼロッドやレオナード、ヒュオール全員が周りに駆けつけてユールセレーゼを心配そうに覗き込む。
【残り1秒】
タイマーは、そこで止まっていた。
「やっ」
抱きかかえたユールセレーゼの毛皮に顔を埋める。
あたたかい。苦しそうに、しかし瞳を開いた彼女は私の頬をペロリと舐めて微笑んだ。
「やったあああぁぁぁぁぁぁ!」
コメントに溢れる祝福の声。拍手。歓声。その全てが私の耳を叩くように寄せられる。
私の声に少しだけびっくりした様子のユールセレーゼは、それでも嬉しそうに尻尾をゆるりと振るう。
頭上で咲き誇る白梅はほぼ満開になっている。
けれど、ただひとつだけ蕾のまま爽やかな風で揺れているのだった――。
【Congratulations!】
白い花。
梅の花。
素敵な白い梅の花。
咲いた咲いた。でも、あなたがいない。一緒に見たいと言ったあなたがどこにもいない。
お守りも作ったよ。
こっちからもサプライズであげようと思っていた。でも、プレゼントする相手がもういないから……あげてしまった。
自ら捨てた。
もうしがらみはない。忘れ形見さえ生きてくれれば、それでいい。
――それでね、ユール。
――いつか、私の子供を背に乗せた君と共に、この白い梅の下で写真が撮りたいな。
ああ、忘れていたのに。
忘れていたかったのに。
【神獣郷オンライン イベント記録】
【フレーバーテキスト より】




