心の傷を塞ぐ特効薬は
散り散りになる黒い羽根。
受け止めた小さな身体。
浅い息をするように上下する胸元。
私の判断ミスで銃撃を受けたカラス――さっき彼が言っていた名前はグレイスか。グレイスが見るからに瀕死の状況下でこの場にある。
この子は、私を襲うことはないだろうとは思っていた。聖獣は善悪の区別がしっかりとしている。パートナーが倫理的に間違っていると思えば力を貸さない。
そう、聖獣はあくまで『パートナー』であり、人間はあくまで『共存者』でしかない。便宜上ブリーダーと名乗ったとしても、本来は聖獣と人間は主従関係ではなく、対等な友人関係であり、好意で力を貸してもらっているにすぎない。
その関係を間違えたからこそ、この世界には『魔獣』と『魔王』が生まれたと言われているのだから。
だから、思っていた。この子は、ハインツを手伝うことも、私の邪魔をすることもない。絶対に。ハインツが間違っていると知っているから。
そう、道を間違えてしまった彼を憂いているのは、グレイスもだった。
ハインツがこれ以上罪を犯さないように、その小さな身体を張って、私を庇った。私を助けたくてじゃない。ハインツのために、庇ったんだ。
聖獣は慈悲深くて、人間が大好きな生き物である。
たとえ、傷つけられようと素直に懐き、そして悲しみによって魔獣になってしまう生き物。
今まで出会って来た子達だって、『悲しい』と思っている子が大半で、本心から人間を殺してやろうと思うような子はいなかった。悲しみと裏切られた憎しみで攻撃することはあっても、だ。
そして最終的には、みんな和解ができる。
慈悲深くて、愛情深くて、人間が大好きな子達。
その気持ちを見誤ってしまったから、この子は銃で撃たれた。
余裕を見せて証拠を積み上げようと必死になっていたから、その発想が出てこなかった。あのままでも現行犯逮捕は、きっとできたのに。無駄に傷を負わせることになってしまった。
回復薬を体にかけて、傷が癒されてもグレイスは動かない。
開いた黄色の瞳に、血が一滴混ざったかのように赤色が滲み、水の中に絵具が混じったみたいに次第に広がっていく。
――赤い瞳は、例外なく魔獣の証。
「ハインツさん! ハインツ! 早くこっちに来なさい! あなたのパートナーをみすみす魔獣に堕とす気ですか!?」
「……ぐ、グレイス……?」
リリィのときは、既にこっとんが魔獣になっていた。魔獣になってなお、リリィを守った。
グレイスは、まだ魔獣ではなかった。でも、今魔獣になろうとしている。
リリィよりも、ハインツのほうが罪は重たい。人を殺しているのだから、当たり前。なのにグレイスは魔獣になっていなかった。よほど……精神が強かったんだろうね。
「くうん、くうん」
「ク……アー……ッ」
「くー」
「しゅぅ……」
オボロが心配そうにべろんと舐め、手の中のグレイスが身をよじる。苦しそうだ。じわじわと赤くなっては、黄色に戻りを繰り返している瞳を見て、立ち尽くしているハインツを呼び続ける。
「早く! いいからこっちに来なさい!」
「は、はい……」
気圧されたようにのろのろと歩き出し、私の隣にしゃがみ込む。
そして遠慮がちにグレイスへと手を伸ばし……引っ込める。
「ふ、ふん。この程度で魔獣になるなど……やはりお前は出来損ないだな。神獣になることなど、到底できはしなっ」
反射的に動いた。
気がついたら、目の前の綺麗な顔をグーで殴っていた。
「ふざけたこと抜かしてんじゃねーーーですよ! いいですか!? あなたみたいな殺人まで犯してるクズについていて! 魔獣になってないことのほうが奇跡なんですよっ、この金色毛虫野郎! 髪結びなさいよナルシストがぁ!」
「……いた……い」
「痛いじゃありません! 当主になるならそれくらい余裕で耐え忍んでください! 当主になりたいなら!」
コメントで流れる『いやそれ当主関係ないやん』の言葉は無視をする。
「グレイスが魔獣になっていなかったのは、あなたのことが大好きだったから! 特別精神面が強かったから! 耐えしのいだんですよ! あなたとは違ってね! 悲しみで魔獣に堕ちててもおかしくないのにですよ!?」
そう、怪我をして一時的に弱ったから精神が悲しみに負けたのだ。普段ならきっと、グレイスは屈したりせずに、魔獣にはならなかったに違いない。
リリィのこっとんが軟弱だったとか、そういうわけではないのだ。このグレイスというカラスが特別、心の強い子だっただけ。
そんな子の心が折れて、今こうなっている。
なのに目の前のナルシスト野郎は、どれだけグレイスが己を愛していたかなんてことを根本的に知らない。
「なら! なら、今、魔獣になろうとしているのはなんなのだ!? 怪我は治っているはずだろう!」
これである。
びきり、と青筋が立つような気持ちになりながらグレイスを撫でて叫ぶ。
「はー? 体の怪我は治っていますよ? すぐに治したに決まってるじゃないですか! じゃないと死んでましたからね!? それとも……まさか精神に傷がないとでも? 心に効く薬なんざ、ねーんですよ!」
「心の……傷」
「なにぼーっとしてるんですか! よく見なさい! 今、グレイスは頑張っています。あなたを愛する心で、悲しむ心と闘っているんです! 心の傷に効く薬はありません! 私の言葉だって、聖獣に引き戻せません! 薬ではないから! あのですねぇ……!」
血を吐く勢いで、叫ぶ。
「今この場でっ、心の傷を塞ぐ特効薬になれるのは、あなたの言葉だけなんですよ!」
気がつけば、私はぼろぼろ泣いていた。
ゲームの中で、泣いていた。
泣く動作だってできる。感情表現豊かに再現できる。
でもきっと、今だけは……悲しい夢を見たときみたいにリアルでも泣いている自信があった。
なんでこんなに感情移入しちゃってるんだろう?
なんでこんなやつ相手に諭してやんないといけないんだよ。
だけど、衝撃を受けたような顔で固まるハインツの手を取ってグレイスの背中に持っていくと、確かにグレイスの呼吸が落ち着くのだ。
こんなやつの手で、安心するんだ。この子は。
「出来損ない? なに言ってるんですか!? すごく強くて健気な子ですよ! この子はあなたのことだけを想っています! あなたの特別だったのではないですか!? グレイス――『優美』なんて名前つけてるんですから!」
この人はクソだ。
ゲームで出会った中で、最もそびえ立つクソの山だ。
でも、そんなやつでもグレイスはずっと想っていたのだろう……。
「……きっと、いつか……ハインツは、分かって、くれる。いけない、ことだと……気づいて、くれる。それが……罪だと、分かって……くれる。いつか、きっと……と、そう……うわ言のように、言っておる」
クチバシをパクパクと開閉するグレイスに、レキが翻訳するように口を開く。
そしてその言葉に、目玉が落っこちるんじゃないかというほどに目を見開いたハインツが、とうとうじわりと瞳を潤ませていった。
「グレイス……お、俺が……僕が悪かった。グレイス……戻って、きておくれ。グレイス……」
私の手の中で横になったグレイスを、ハインツが撫でる。
既に通報はされていて、この路地をそっと眺める警官と通報してくれたのだろうファンの子が来ているが……どうやらこのそびえ立つクソを、拗らせたお馬鹿程度まで引き戻すまでは見守ってくれているらしい。融通の効く良い人達である。
「戻ってきておくれ……グレイス」
「……カア」
涙が一粒、グレイスの額に落ちる。
その瞬間――グレイスの体が光に包まれた。
#神獣郷こっそり裏話
『これはトシュハラですねぇ〜』
『トシュハラとは???』
『当主ハラスメント』
『ええ……』
いつにも増して口が悪いエレヤン
ブチギレなう。
お説教系はなるべく少なめにしたかったのですが、必要だったので、しっかりと自然体に『生きている』と感じてもらえるように尽力しております。
※ グッピーってなに?
→温度差に弱い生き物。温度差のある小説で、心の中のグッピーが死んだなどと表現することがあったりする。
(主に見かけるのは二次創作なので、もしかしたら一次創作ではマイナー表現かもです。分かりにくくてごめんなさい)




