空瓶事件 02
「ただいま戻りました」
神森さんは僕が出かける前と変わらず、ワイシャツにホットパンツといういつもの姿で、リビングの床にクマ達と一緒に転がっている。おそらく僕が出かけてから二度寝して起きたところ、といった感じだろう。
「おかかー。ケーキ買ってきた? きた?」
「はい、少し奮発してみました」
僕は神森さんに見えるように、右手に持っている洋菓子店の袋(ホールケーキが入っている方)を少し持ち上げる。ちなみに左手には繁華街買ってきた物(小さな白い紙袋に入っている)と、いつものプリンとアイスを持っている。
「あるたろう、まだ来ないよね?」
「一度実家に戻ってからだと思うので、まだかかるとおもいます。それに、元々僕らが久美島から帰ってくるのが、今日の昼過ぎの予定でしたし」
「じゃ、紹介するよ。うんうん、それがいい」
「何をですか?」
「ふふふー、ふふふーん、ふーん」
僕の問いを無視して歌い始める神森さん。いつも通りの通常運転である。僕は訊くのを諦め、一旦荷物を台所のカウンターに全部置く。そして左手に持っていた小さな紙袋を台所の隅に隠し、プリンやらアイスやらケーキやらを冷蔵庫に入れていく。
いろいろ片付け終え、リビングに戻ると、神森さんが仁王立ちで僕を待っていた。
「ワシのおうちを紹介するよ!」
「今更紹介してもらわなくても知っていますよ。それともここ以外に別荘でも持っているんですか?」
「んー。どっちかというとここが別荘だったんだけどね。前はマンションに住んでたから」
「確かここは瓜丘さんから身を隠すために借りたんでしたっけ」
「理由は合ってるけど、借りたんじゃないよ。このアパートワシのだもん」
「え? この建物全部ですか?」
「いえす! あおい先生、あ、あおい先生っていうのはあおい園の園長さんね、その人からもらったのだよ」
あおい園とういうのは、天涯孤独の身である神森さんが幼少期にいた施設だ。以前から名前が同じだと気付いていたけど、偶然だと思っていた。
「つまり、このアオヰコーポのオーナーは」
「ワシだよ! じゃ、紹介していくね」
神森さんはショートカットの金髪が揺れるくらいオーバーアクションで指をさす。
「ここがリビングで、あっちがあるの部屋」
「それは知ってます」
僕がそう言うと今度は勢いよく廊下へ。
「あっちがトイレで、あっちがお風呂」
「それも知ってます」
うんうんと頷く神森さん。そして、玄関へ行き、そのまま外へでてしまった。僕も追いかける形で外にでる。僕らがいた二〇三号室のドアには『黒の探偵事務所』というプレートが付いている。これはこの前、僕が神森さんに頼まれて取り付けたものだ。本格的に探偵の活動を再開した証である。このプレートからわかるように、この二〇三号室は住居兼事務所ということになる。
「それで、こっちがパソコンルーム」
神森さんは隣の二〇二号室の扉を、ズボンのポケットから取り出した鍵で開ける。その鍵はクマのキーホルダーにいくつも付けられた鍵の一つだ。
「この鍵に付けてるのは、こぞうだよ。かんぞうの弟! きゃ、こぞうかわええなあ!」
『かんぞう』の弟で小さいから『こぞう』と言う名前なのだろう。『かんぞう』『じんぞう』『だいちょう』など、てっきりクマには臓器の名前を付けていると思っていたが、そうでもないらしい。
神森さんについて中に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。冷房が効いた薄暗いワンルーム(ほかの部屋などをぶち抜き一つの部屋に改装したと思われる)に、大量のパソコンと思われる大きめの箱、床中に張り巡らされたケーブル、そして真ん中にひと際大きな箱が置いてある。パソコンの本体はそこら中にあるのに、ディスプレイが一つもない。それらはすべて真ん中の大きい箱に繋がっているようである。人間一人が簡単に入ることができそうなその箱に神森さんは軽く手を当てる。
「ワシとパソコンがドッキングできるんだよ」
「つまり、この中に神森さんが入るんですか?」
「そうでござる! あ、別にアニメみたいに、背中にコード差してほんとにドッキングするわけじゃないからね。中にヘッドギアとグローブがあるから。でもパソ子よりはゆうしゅうだし、座り心地もいい」
そこまで言われて、僕はこの箱によく似たものを見たことがあることに気が付いた。ワタさんに連れられて立ち寄ったことがあるゲームセンター、それも東河部の商店街にあるようなクレーンゲームやプリクラがメインのゲームセンターではなく、電気街という呼び名のアニメショップだらけの街にあるゲームセンターで見た最新型の対戦ゲームの機体、それによく似ている。この設備はパソ子どころかワタさんがいつもいる部室の特等席よりも何倍もすごいし、大掛かりだ。この中に何でもわかってしまう神森さんが入ればどんな情報も手に入れ、精査することができるのだろう。まさに回答と情報のドッキング、といったところであろうか。今までこの設備を使っていなかったことを考えると、黒の探偵の活動専用なのだろう。
「ワシはなんでもわかるからいらないって言ったんだけど、あるたろうがせっかくお金があるんだから、設備をよくしろって言うから最新式を買っていろいろ改造したんだけど、やっぱほとんどいらない! ワシにはパソ子でじゅうぶん! そうなんだよ、パソ子おお!」
隣の二〇三号室に置いてあるノートパソコンに向かって叫ぶ神森さん。……ただの設備過多であった。完全にただの無駄遣いなんじゃ……。というか、回答と情報のドッキングってなんだよ、回答出てるなら情報いらないし。……今度試しに使わせてもらおう。
そんなことを考えながら、箱を見つめていると、神森さんは部屋から出ていく。
「こっちは工房」
そう言って神森さんはさらに隣の二〇一号室の扉を鍵で開ける。
中に入るとこれまた広すぎるワンルームに改装された室内にはさっきのパソコンルームとはまた違った異様さがあった。壁には大量の工具、真ん中の大きな机には電子部品やらなにやらが散乱している。
神森さんはその机の上でなにやら探しものをし始めた。なんだろうと思い、しばらく見つめていると、なにやら水色のケータイを取り出し、僕に差し出してきた。
「これ、新しいケータイね。黒の探偵ケータイ。ワシとおそろだよ」
神森さんはズボンのポケットから自分のケータイを持ち、見せてくる。神森さんのはピンク色で、背面には『黒』と書いてある。僕が受け取った水色のケータイにも『黒』の文字。いや、ピンク色だし、水色だろ。とツッコみたくなる仕様である。
「これって、もしかしなくても」
「ワシが作った。使い方は普通のとおなじだけど、衛星通信できるから、圏外がないのでござる。この前の別荘島みたいなとこでも使えるんだよー。あのときは必要ないから持って行かなかったけどねー。それと! 他にも探偵機能いっぱいだよ! ワシとの連絡にだけに使うんだよ? りょぷかいですか?」
「了解しました」
さすがなんでもわかってしまう神森さん。ケータイやパソコンの作り方なんて朝飯前でわかってしまうのだろう。探偵業と違い、人に伝える必要がないので、こちらの方が効率がよさそうである。さっきのパソコンルームといい、この工房といい、ワタさんの部室なんておもちゃの延長線上と言わんばかりである。これが学内、市内の情報屋と本業の探偵との違いなのだろう。どう考えても設備過多だけど。
満足したように部屋を出た神森さんはさびた鉄の外階段を下りて、一階へと向かう。こればっかりは僕にも簡単に予想できた。ドアが並ぶ二階と違って一階はレンガ造りの古い建物には少し似つかわしくない見た目をしている。それはシャッターだ。つまり、一階はガレージだ。
「ここは整備するとこ」
クマのキーホルダー、『こぞう』に付けられた電子キーでシャッターを上げる神森さん。その中にはさっきの工房とは違うタイプの工具が壁に所せましと並べられており、三部屋分のものすごく広い空間に三台の黒いバイク。大型二台と小型が一台。大型のうちの一つは見覚えがある。僕が一階はガレージだろうと推測していた理由の一つ。
「黒バイですね」
五月、瓜丘さんに拉致された僕を助けに来た時に乗っていたものだ。今となっては懐かしさすら覚える出来事だけれど、ほんの四カ月くらい前のことだ。
その黒バイの隣には小型の黒バイ。そして一番奥にはサイドカー付きの大型。いくら何でも設備過多にもほどがある。
「なんかもう、いろいろとすごいですね」
「そうでもないよー。ってことだから、これからもよろしくりーむぱん。ぺこり」
頭を下げる神森さん。
そうか、これは黒の探偵の助手として、本当の恋人として、婚約し、同棲するにあたっての神森さんなりの自己紹介だったのか。
「よろしくお願いします」
僕も頭を下げる。そして神森さんを見ると、笑顔で見つめてくる。
「じゃあ、あとはあれだけだね」
「あれ、と言いますと?」
「すたこらさっさー」
僕が訊き返すと神森さんは床に『こぞう』を置き、走り出す。
「あ、ぜんぶの部屋の鍵しめてきてねー」




