空瓶事件 01 八月二十四日 日曜日
一級河川、会瀬川、その川沿いにある、地元では有名な洋菓子店の中に入ると、甘い香りが僕を迎え入れた。繁華街で朝から買い物をしてきた帰りなので、その甘い香りは僕の疲れを癒してくれる。
「弟君、いらっしゃい。いつものやつ?」
カウンターにいる店員さんが僕に気付くとすぐに声をかけてくれる。彼女の名前は雪村幸恵。この店の看板娘さんだ。歳は二十代後半。チワワのように大きな目がチャームポイント。髪は肩当たりまでの長さで、色は落ち着いた茶色。お店の白いバンダナとエプロンがよく似合っている。
姉の代わりに神森さんのお世話をするようになった頃から一年、僕はこの店に何度も来ているので、すっかり仲良くなってしまった。もともと姉とも仲が良かったらしく、姉弟共々お世話になっている。なぜ僕ら姉弟が通っているかというと、それはもちろん、神森さんだ。彼女はアイスとプリンを好む。というかここのしか食べない。
「今日は姉の退院祝いをやるので、ケーキもお願いできますか?」
「おお、それはおめでたいね。ケーキ、ホールにしとく?」
「それだと神森さんが食べすぎるのでショートケーキ三つでお願いします」
「せっかくのお祝いなのに、いいの? みもちゃんはいくら食べても太らないんだしいいんじゃない? それに、今日はお客さん少ないから余りそうだし」
「単にホールケーキを売りつけたいだけですよね?」
「そうだ! 私からの退院祝いってことでどうかな?」
「じゃあその分の代金は――」
「プリン六個、アイス六個、ホールケーキ中一個、合計で六千二百円になります」
「思いっきり全額じゃないですか。退院祝いって話はどこへ行ったんですか?」
「それはもう気持ちを込めて作りました」
「作ったのはあなたのお父さんですし、作ったときには姉の退院のことは知らなかったはずです」
「じゃあ、今から気持ちを込めてプレートに『出所おめでとう』って書くよ」
「退院です。人の姉を勝手に刑務所に入れないでください」
「てへぺろ☆」
「いい歳して可愛くないですよ」
「失礼ね。まだ二十代なのに」
「アラサーじゃないですか。それも限りなく三十に近いアラサー」
「アラサー、アラサー言わないでよ! プリン一個食べちゃうぞ」
「その分は自分で払ってくださいね」
「弟君が買ったのを食べるんだから、払いません」
「前から思ってましたけど、とんでもない看板娘ですよね」
毎度毎度、言動が看板娘とは思えない。だけど、そういった部分もチワワのように可愛らしい見た目がカバーしている。つまり、看板娘とは可愛ければなんだっていいのだろう。
「前からっていつから?」
「一年くらい前ですかね」
「それ、ほぼ初対面からじゃん……ってもう一年以上経つんだね、弟君がみもちゃんの世話係になってから」
「そうですね。いろいろありました」
「そっか、そっか」
そう言ってから、幸恵さんはプリンとアイスとホールケーキをそれぞれ箱に詰めてくれた。僕は先ほど言われた金額を支払った。せっかくの退院祝いだ。姉にはずっとお世話になりっぱなしなので、これくらい良いだろう。
「まいどあり。みもちゃんによろしくね」
「はい。また来ます」
店を出てからふと思った。幸恵さんは、チワワのような可愛い見た目をした看板娘さんは、神森さんの事情、白の狂犬の件や黒の探偵だということなど、どこまで知っているのだろうか。
神森さんは一度も店に来ていないのに、みもちゃんと呼んでいたり、世話係のことを初めから知っていたり、妙といえば妙である。この一年間、いつもうわべだけのくだらない会話しかしてこなかったので、僕からは何も言っていないけれど、実際、どこまで知っているのだろう。いや、知っていても知っていなくても、関係ないと言えば関係ないのだけれど。




