第35話 駆け引き
「……何を言っている?殺すぞ」
「―――っ」
喉元に食い込む切っ先。縛られて不自由な震える指先を握りこみながら、ヴァージニアはうっすらと微笑んだ。
「殺せるものなら殺してごらんなさい。今ここで私を殺せば、兄様があなたたちの仲間を逃がす理由も、あなたたちを生かしておく理由もなくなるわ」
ヴァージニアは唇を僅かに開き、その隙間から小さな舌先を覗かせると、挑発するように言った。
「考えている時間はないわよ。あと10数えるうちに決断しないと、今この場で舌を噛み切って死ぬわよ」
ひっ、と喉が引き攣れるような悲鳴を漏らしたのはカーヤだ。
ルウェリンも声こそ上げなかったが、口を真一文字に引き結びこちらを見つめる顔色は真っ青だった。
(……巻き込んでしまって、ごめんなさい)
そんな二人を横目に捉えながら、ヴァージニアは心の中で詫びた。
男がせせら笑う。
「できるのか?相当な度胸と覚悟が必要な上に、技術もいるぞ」
「あら、できるから言っているのよ。私たち王族はね、いざというときに尊厳のある死を選べるように、自決の方法をいくつか教育されているの」
「…………」
ヴァージニアの表情と口調に信憑性を感じたのか、黒布に隠された男の表情が改まる。
「……本気か?お前が今ここで死ねば、エストレアとレスランカは戦争になる。それこそお前の義姉の命の保証はないぞ」
「そうね。でも、兄様にはこの要求は絶対に呑めないわ。兄様があなたたちの仲間を逃がせば、どんな理由があれそれはレスランカへの裏切り行為だもの。平穏な両国の関係悪化は必至。そうなれば、どのみち義姉様の命の保証されないわ。……どちらの未来も選ばないために、私が今ここで自分の命を懸けるのは至極当然で、且つ価値のあることよ」
もちろんはったりだった。
ここでヴァージニアが死ねば、エストレアとレスランカは問答無用で戦争だ。それは絶対に避けなければならない。男の意見は正しい。
しかし、と、ヴァージニアは祈る思いで覆面の男を見つめる。
男はヴァージニアの意見に耳を傾けないわけにはいかない。ヴァージニアが自殺を図る可能性が、完全にないとは言い切れないからだ。
本当に戦争になったら、兵力と武力の差で確実にレスランカは負ける。王位争いどころではなくなる。国王に確実に要求を呑ませる為にと人質に選んだヴァージニアは、成功、失敗どちらに転んでも絶大な結果をもたらす両刃の剣だった。
「……じゃあ、数えるわよ。いち、に……」
「くくっ、ははは」
唐突に響いた笑い声に、ヴァージニアが眉を顰める。
「何が可笑しいの」
「いや、……くく……噂通りの王女だと思ってな。わがままで、気が強くて、はねっ返りで。しかしこんな風に喉元に剣を突きつけられながら自分の命を楯に脅すことができる程、肝が据わっているとは思わなかった。呆れを通り越して感心するよ。なあ、あんた、俺の嫁にならないか?」
「お断りよ」
ヴァージニアの即答に、男が肩を竦めた。
「そう言うなよ。わがままとお転婆が過ぎて嫁の貰い手が皆無だって聞いたぜ。俺みたいなのでも引き受けてくれりゃ、あんたの兄さんは泣いて喜ぶだろ。多少の性格の悪さは我慢してやるよ。顔だけは文句なしに良いからな」
間者で多少エストレアの事情に詳しいとは言え、こんな男にまで自分の悪評は届いているのか。思わず眉尻が下がりそうになるが、ぐっと堪える。
動揺を見せたら駄目だ。努めて冷たく、ヴァージニアは言い放った。
「あんたと結婚するくらいなら、一生独身を選ぶわ」
「そうか……。そりゃ残念だな。仕方がない」
男は大袈裟に溜息を吐くと、無造作にルウェリンとカーヤの方に向き直った。
「やっ……」
カーヤが悲鳴を上げる。
「何をする気なの!やめなさい!」
ヴァージニアの喉元から剣先を外し、そのまま二人の方へ歩み寄っていく男の背中に思わず叫んだ。
ヴァージニアが狼狽する様子を楽しむように目を細めた男は、
「保険でガキを連れてきたが、役に立って良かった」
剣の鍔を鳴らして、その切っ先をルウェリンの首元に当てた。
「―――っ」
ルウェリンの双眸が恐怖に見開かれ、カーヤが真っ青な顔で硬直した。




