205話─エステル・ザ・ギャンブラー
アニエスとテレジアの戦いが始まった頃、エステルはカジノに到着していた。たった三週間で番付二位に登り詰めた彼女は、注目の的だ。
「来たぞ、死神だ……」
「今日は誰からチップを巻き上げるつもりなんだろうな……恐ろしい」
対戦相手を容赦無く叩き潰し、根こそぎチップをかっさらっていく悪魔として。実際、何人もの手練れの勝負師が、エステルに敗れ破滅したのだ。
客たちが戦々恐々としている中、エステルはいつものようにポーカーのテーブルに向かおうとする。が、その時だった。
「やあ、待っていたよ。君、かなりの実力があるのだろう? そうでなければ、たった三週間で番付を駆け上がることなど不可能だからな」
「ほー、あんたが噂のゲームマスター……【デスティニールーラー】マーロウはんか。そちらさんから声かけてくるとは思わへんかったわ」
カジノの頂点に立つ、最強のギャンブラー。マーロウが姿を現したのだ。彼の登場に、客だけでなくディーラーたちもざわめく。
「エステルといったね。君は少し、このカジノを荒らしすぎた。本来ならば、出禁処分にするところだが……今回はしない」
「そらありがたいことやわ。でも、ただでそんな温情措置してくれるわけやないんやろ?」
「よく分かっているじゃないか。私はこの街の長、オルドーから君を消すように言われていてね。出禁にしてしまうと、そうもいかなくなるんだよ」
そう言いながら、マーロウはポーカーのテーブルに着く。対面の椅子を指差し、エステルに座るよう促した。
自らの手で挑戦者を叩き潰さんと、アピールしているのだ。エステルはニヤリと笑い、渡りに船とばかりに席に座る。
「ええで、望むところや。ウチかて、ここで負けるわきにはいかんのやさかいな。ここで白黒つけたろうやないかい!」
「パーフェクト。素晴らしい意気込みだ。では……はじめようか。どちらかが沈むまで終わらない、スリルに満ちたポーカーをね」
意気込みを見せるエステルを讃えた後、マーロウは指を鳴らす。すると、ディーラーが新品のトランプを持ってきた。
まだ誰も開封していない証、セキュリティーシールが貼られたそれを。すなわち……戦いの前に、仕込みは一切しないという意思表示だ。
「始めよう、ポーカーを。今回は何でもありだ。そう、なんでもな」
「えらい含みのある言い方やなぁ。その言い方やと、イカサマでも何でもアリって感じになるで?」
「もちろん、使ってもらって構わない。ここはカジノだ、騙し騙され腹を探り合う心理の戦場。自由なのだよ、バレなければ何をしようとも」
セキュリティーシールを破り、ケースからトランプを取り出しながらマーロウはそう口にする。それを聞いたエステルは、思わず口笛を吹く。
「ほー、そこまで言ってええんか? ええんやな? 言質取ったで」
「構わない、だが……私を番付三位以下の者たちと同じだと思わないでいただきたい。楽に勝てるほど、私は甘くないぞ」
トランプをディーラーに渡し、シャッフルしてもらいながらそう警告するマーロウ。その気迫に、エステルの頬を汗が伝う。
こうして顔を突き合わせているだけで分かるのだ。相手は、これまで打ち破ってきた勝負師たちよりも──遙かに強いと。
「さて、まずはチップをビットする……が、私たちの所有するチップはゆうに十万枚を超えている。そこで、今回はこれを使おうと思う」
「お、えらい金ピカなチップやな」
「これは通常よりも遙かに高いレートでのチップのやり取りを前提として作られていてね。一枚につき、通常のチップ千枚分として扱うのだ」
「せ、千枚!? っちゅーことは、今回ウチが使えるのは二百八十枚になるわけやな」
「私は三百五十枚だ。そして、今回はファーストビットで最低五枚参加料として支払う特別ルールを課させてもらう。その方が、スリルがあるだろう?」
「ええで、乗ったるわ! まずは五枚ビットや!」
威勢よく叫びつつ、エステルはディーラーが運んできたゴールド・チップの山から五枚を掴んでテーブルに置く。
カジノにいる者たちが見守る中、マーロウが選んだのは……。
「では、レイズさせてもらおう。一気に十枚追加させていただく。そちらはどうする?」
「むっ……初手で張りすぎるのはアカンな……コールさせてもらうで」
相手の手の内がまるで分からない状態で下手に賭けるのは危険と判断し、エステルはチップの吊り上げを行わなかった。
カードが配られた後、二人は手札を確認する。不要なカードを捨て、役を揃える。初戦を制するのはエステルか、それとも……。
「では、手札オープン! 私の役はJのフォーカードだ」
「くっ……ウチはフルハウスや。初戦は獲られてもしもうたか……」
「おやおや、これは運がいい。では、チップを貰おうか」
初戦を制したのは、マーロウの方だった。ずっと相手を注視していたエステルだったが、イカサマをしているようには見えなかった。
(チッ、こうなるんやったら最初からサマっといた方がよかったかもしれへんな。これだけでゴールド・チップ十五枚……通常チップで一万五千枚も取られてもうたわ)
内心舌打ちしつつ、エステルはチップを支払う。第二戦が始まり、敗者であるエステルがカードをシャッフルする。
今度は勝つと気合いを入れ、素早くシャッフルを行う。それも、ただ行うのではない。彼女は反省を活かし、イカサマを仕掛けたのだ。
(ふふっ、どうや? ウチはカードを触った感覚で、だいたいどのスートと数字なのか分かるんや。せやから、こうしてセカンドディールを──!?)
山札のどこに、何のカードがあるか。それを把握して、セカンドディールでお目当てのカードを引き寄せる……が、その様子を見てマーロウは笑っていた。
エステルの直感が告げる。イカサマがバレている、と。だが、マーロウは何も言わない。彼がイカサマを暴けば、それだけで彼の勝利だというのに。
「どうした? 早くカードを配りたまえ。手が止まっているぞ」
「え、あ……い、今配るわ」
あえて泳がせているのか、エステルを上回るイカサマを仕込んでいるのか。疑念が深まる中、カードが配られる。
「今回も十五枚のやり取りか、いいだろう。では、カードを……ふむ、今回はストレートか」
「ウチは……フラッシュや。さ、チップを返してもらうで」
「ふふ、いいとも。これでプラスマイナスゼロに戻ったな、めでたいものだ」
どうにか二回戦を制し、チップを取り戻したエステル。だが、彼女自身のなかに生まれた心理的なプレッシャーは消えない。
いつかイカサマを指摘されるかもしれない、逆に相手の術中にハメられるかもしれない……そんな疑念が渦巻き、エステルの心を乱す。
結果、エステルはジリジリとチップを失っていき……気付けば、残り八枚まで追い込まれてしまっていた。
「くっ、こらアカン。いつの間にかスカンピンや」
「王手、だな。どうする、降参するかね?」
「するわけないやろ? ネバーギブアップ……最後まで諦めへん。チップを五枚ビットや!」
「ふむ、ならば……私は手持ちのチップを全てレイズさせてもらう。君はどうする?」
「ハッ、ならウチも残り三枚レイズするわ。お互い全賭けや、もう後には引けへんで」
エステルの息の根を止めるべく、マーロウはチップを全て賭ける。絶対に降りるわけにはいかないエステルは、勝負に乗った。
十回戦に敗れたマーロウがカードをシャッフルし、互いに配る。マーロウは手札を確認し、ニヤリと笑う。
(ふふ、やはり私のサマは絶好調だな。あと一枚でロイヤルストレートフラッシュが揃う。こういう時のために、袖に忍ばせておくものなのだよ)
マーロウの手元にあるのは、スペードの十、J、Q、K。あとはAが来れば、ロイヤルストレートフラッシュの完成だ。
それもそのはず、マーロウはイカサマをしていたのだ。山札の上から二番目を配るセカンドディールと、山札の一番下を配るボトムディール。
二つのイカサマを組み合わせ、エステルの元に役の揃っていないブタを渡したのだ。後は、袖の中に隠したスペードのAと手札にあるダイヤの八を交換すれば勝利が決まる。
「ん? どうした、カードを交換しないのかね?」
「せや。ウチはこれでええ。このまま勝負させてもらうで!」
「な、なんだと!?」
が、エステルがとんでもない行動に出たことでマーロウの自信が揺らぐ。何と、エステルは伏せられたカードに触れすらもしなかったのだ。
(何を考えている? 自暴自棄にでもなったのか? いや、それにしては落ち着き過ぎている。まさか……イカサマを仕込んだのか? あり得ん、奴が何かを仕込むタイミングはなかったはずだ!)
大胆不敵な行動に、今度はマーロウがプレッシャーに苛まれる。相手の意図が読めず、動揺が心の中に広がっていく。
(ダメだ、分からない……奴は何をした? くっ、こうなれば奴が行った過去のイカサマを指摘して……いや、ダメだ。その場でイカサマを暴かなければ、証明には出来ない!)
「お、動揺してはるな。どないするんや? 別にええんやで、降参しても。その代わり、賭けたチップの半分は貰うことになるけどな!」
「くっ、おのれ……!」
エステルの顔を見ながら、マーロウは歯ぎしりする。疑念が焦りを生み、それがまた新たな疑念となり胸中を駆け巡る。
「いいだろう、ならば勝負に乗ってやる! 私の勝ちは揺らがない! ロイヤルストレートフラッ」
「はぁん? 何言うとるんや? 後一枚ってところの惜しいブタやないか」
「何だと……ハッ、しまった!」
最後の最後で、マーロウは致命的なミスを犯してしまった。エステルの行動に意識を割きすぎて、袖のカードと交換するのを忘れてしまったのだ。
結果、出したカードは役の揃っていないブタ。もう変更は出来ず、引き分けが確定……かと思われた。
「ほな、ウチの勝ちやな。こっちの役は、正真正銘ハートのロイヤルストレートフラッシュやさかいな!」
「!? な、何だと!? バカな、あり得ない! そんな役が揃うはずは……」
何と、エステルの手札がいつの間にかハートのロイヤルストレートフラッシュの役になっていた。それを見たマーロウは悟る。
完全に、イカサマの腕で上を行かれたのだと。もはやイカサマを追求する気も起きず、素直に敗北を認めた。
「……負けたよ。私の完璧な敗北だ。誇るがいい、今日から君が新たなカジノ王だ」
「おおおおお!? ま、マジかよ……チャンピオンが、マーロウさんが……負けた!?」
「すげぇ、新しいチャンピオンの誕生だぁぁぁ!!」
エステルの勝利に、カジノ中の客が歓声をあげる。チップを受け取ったエステルは席を立ち、外に向かって歩いていく。
その最中、エステルの手札だったカードの表面がうごめき、絵柄が変わる。砂がテーブルからこぼれ、床に落ちていった。
「やれやれ、見破られなくてホッとしたわ。トランプの表面を砂で覆って、絵柄を変える作戦……相手が平常心のままやったらまず見抜かれて負けてたわ。手札見ないなんて大バクチ、ホント心臓に悪いわぁ」
そう呟き、エステルは雑踏の中に消えていく。後に残ったのは……一陣の風に舞う、砂埃だけだった。




