第338話 口より先に手を動かせ
それはエコーとノイズが同時に掛かったかのような、酷く不愉快で聞きづらい声だった。
「僥倖だ。拳聖……よもや忘れたなどとは言うまいな」
「む……」
ただの敵意ではない。明確な殺意だ。
静かに放たれた圧は、その場に居た者全てを縛り付ける。ごく一部の者を除いて。
「オイ旦那、ありゃアンタの知り合いかよ?」
「知らん」
レベッカの問いかけに真顔で応えるウーヴェ。その言葉を聞いた魔族の額に、ぴくりと筋が浮かんだ気がした。ウーヴェの言う『見たことがある気がする』は、ほとんど『知らない』と同義だ。そもそもウーヴェは、一度戦った事があるといった程度の相手など覚えはしない。大抵が彼の腕試しや修行の肥やしとなるだけで、顔や名前を記憶へ刻んでもらえるのはごくごく僅かなのだ。
例えば、対ウーヴェの戦績が二戦二勝のアーデルハイト。或いは、搦手込みだがウーヴェを封じてみせたアスタリエル。そして気味の悪い色をした聖女。同じ六聖でもこの程度でしかない。シーリアとはそもそも直接の面識がないし、何度か会ったことのあるオルガンですらも怪しい。そんな彼がそこらの魔族の顔など、覚えている筈がなかった。
「ほーん……だがよォ、あっちは随分とご執心みてェだぜ?」
「いや、もしかすると会ったことがあるのかもしれん」
「なンだそりゃ」
「……魔族の顔など覚えられるか。どれも同じにしか見えん」
会ったことがあると言われれば、そんな気もする。初めて会ったと言われれば、そうだろうと思えてくる。
オルガンが特定のモノにしか興味を示さないのと同じだ。ウーヴェにとって重要なのは強い相手なのかどうか、自身の糧になるかどうか。ただそれだけだ。とはいえこれでも、こちらの世界に来てからは随分と丸くなった方だ。今はレベッカやウィリアムなど、何度か会ったことのある相手であれば、明らかな格下の相手でもちゃんと覚えている。しかし、以前の尖り散らかしていた頃に出会った――覚えてはいないが――羊っぽい魔族のことなど、覚えていろという方が無茶というもの。煽りでもなんでもなく、ただシンプルに興味がないのだ。
逆を言えば、ウーヴェにとっては取るに足りない相手だったということの証左であった。
「……この傷に見覚えがないとは言わせんぞ」
魔族――――イヴリスは怒気を押し込め、震える声で右腕を突き出す。
イヴリスの腕は肘の先あたりで真っ黒に変色し、ひどく痛々しい有り様だった。
「本来であればさっさと治してしまうところを、敢えて残しているのだ。貴様への復讐を忘れぬため、敢えてだ」
「先程から何を言っているのかまるで分からんが、魔族といえど怪我は治しておいた方がいいぞ」
これで煽りでないというのだからたちが悪い。こめかみをヒクつかせたイヴリスの顔ときたら、今にも爆発寸前である。
錚々たるメンバー、こちらの世界の強者ばかりを集めているからこそどうにか耐えられているようなものだ。これがそこらの探索者であったなら、イヴリスの放つ圧だけで気を失っていたかもしれない。ちなみにイヴリスの右腕は、かつてウーヴェと戦った際にもがれた傷だ。ウーヴェはまるで覚えていなかったが、確かにこの二人は一度戦ったことがあるのだ。当然のようにウーヴェの勝利で終わった上、イヴリスは這々の体で逃走したのだが。逃げる相手に興味を示さないウーヴェでなければ、或いはもし相手がアーデルハイトであったなら。イヴリスは今頃、綺麗さっぱり消滅していたことだろう。
「ククク……色々と言いたいこともあったのだがな……もういい、殺す」
「饒舌な魔族だな。口より先に手を動かせ――――む?」
見事なまでのバッドコミュニケーション。
静かに激怒するイヴリスと、偉そうに煽るウーヴェ。そうしていよいよイヴリスの我慢が限界に達しようとしたその時、俄にフロアが振動を始めた。ここで漸く、威圧で硬直していた面々も動き出す。視線が向かう先はフロアの中央、先程イブリスが姿を見せたあたりだ。
「あー……そういやァそろそろ時間だったな」
そう、階層主の再出現である。
何が起こるか分からないのがダンジョンであり、探索者の都合になど配慮してくれないのがダンジョンだ。これから魔族との戦闘が始まるというまさにその瞬間、間の悪いことに首無し騎士までもが姿を現した。
「まァなンだ。そっちは旦那に任せるって事でいいよなァ?」
「構わん」
「んじゃァこっちはアタシらで相手すっか。つっても楽な相手じゃねェし……莉々愛っつったっけか? 援護頼むわ」
首なし騎士との初戦は、アーデルハイトの一番弟子であり現代に於ける超越者の一人、月姫が一緒だった。しかし今は違う。人数自体は現在の方が多いが、そんな月姫が抜けた穴を埋めるのは簡単な話ではない。加えて状況的に、手間取ることも許されない。少なくとも、ウーヴェの邪魔をしない程度には圧倒しなければならないのだ。そうなれば『魅せる者』だけでは不足だろうと考え、莉々愛へと共闘を申し込んだのだ。
無論、これは『魅せる者』が弱いというわけではない。
実際、何時間か前の再出現時には『魅せる者』単独での討伐を成し遂げている。前述の通り、今回は単に時間の問題だ。
レベッカの声音は、まるで近くのコンビニにでも買い出しを頼むかのような、そんな気軽さであった。一方の莉々愛といえば、軽く息を乱しながら床に膝をついていた。先程まで放たれていた威圧のせいだ。
「あのレベッカに何かを頼まれる日が来るとはね……いいわ、任せて頂戴。現代の科学力と怪しい異世界技術によって進化した『レーヴァテイン』の力を見せてやるわよ!」
しかし流石というべきか、莉々愛はすぐに何でも無かったかのように立ち上がり、レベッカの要求に応えてみせた。
「オラァ! 仕事だぞテメェら! 兄貴とアタシで前衛、レナードは後方指揮だ。それと……おうリナテメェ、実は動けたのバレてンだぞ!」
「ちっ……」
次いでレベッカがリナへと怒号を飛ばせば、確かにリナの足取りは軽かった。
どうやらサボってあちらの配信でも見ようとしていたらしい。
「ンじゃまぁ、いっちょ世界初の魔族退治といこうじゃねェか」
こうして待機チームよる二体同時討伐戦、その火蓋は切られた。
* * *
一方、その頃の探索チームはといえば。
「師匠! 師匠ぉー!」
「今度は一体何ですの!?」
前方から再び届いた月姫の声。
アーデルハイトがサモエドらしき魔物を小脇に抱え、それに返事をする。そうして角を曲がったアーデルハイトが見たもの。
それは黒いサモエドであった。
「またですの!?」
「いえ、よく見て下さいお嬢様。今度は黒です」
「色はどうでもよろしくてよ!? なんなんですのこのダンジョンは!?」
悪態を吐くアーデルハイト。
クリスも口調こそ冷静だったが、しかし右手はアーデルハイトが抱えるサモエド、その尻を撫でていた。
「合わせて尻尾が六本ですよ。胸が熱くなりますね」
「なりませんわよ! というかこの魔物、洗ってない犬の匂いがしますのよ!」
「洗ってない犬ですからね」
後方で繰り広げられるそんなやりとりを他所に、再び駆け出す肉と愉快な仲間たち。逃げるサモエド。
探索チームは相も変わらず遊んでいた。
真面目にやれェ!
昨今は昼夜の寒暖差がえげつないですね。
皆様もどうか、体調にはお気をつけ下さい。私はダメでした(四敗目)




