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どうして、そんなことをしたのか。
自分でも説明のしようがない。
ただ、気づけば俺は姉を追って走り出し、今しがた閉まったドアへ手を掛けていた。
あの指の持ち主が、開ければすぐ目の前にいるかもしれない。
そう考えるのが普通だし、何より、俺は姉に【ここで待つように】と、指示された。
そう、【待て】をされたのだ。
この指示に関して、俺はなんの異論も無かった。
だから、ゴンスケとここで指定の時間まで待って、姉が家の探索を終えて戻れば良し。
戻らなければ、さらに予め出されていた指示に従うだけだった。
その筈、だったのに。
俺は姉を追いかけ、ドアを開ける。
「ぎゃうっ!」
ゴンスケの鳴き声とともに、後ろにグイッと引っ張られる。
と、その時、ポケットから何か落ちた気がする。
しかし、構わず俺は家の中に入った。
行かなきゃ。
ただ、そんな思考が体を支配していた。
カタンっと、雑草にバウンドした主人の携帯。
それに気を取られているうちに、ゴンスケの主人。
飼い主であるテツは、家の中に入ってしまう。
「ぎゃうるるる??!!」
彼が家の中に入る一瞬。
そう、その刹那。
その体に、幾重にも白い手が、腕が巻きついたのがゴンスケには見えた。
だから、テツの服を慌てて引っ張った。
それなのに、パチンっと小さな電流のようなもので弾かれてしまう。
痛みは無かった。
それでも小さいながらも衝撃があって、ゴンスケはテツの服を離してしまう。
ーー待って!! 置いていかないで!!ーー
人の体なのに、その意思は言葉にならない。
テツ達の話す言葉にならない。
人型のゴンスケの口から出たのは、いつもの鳴き声だった。
「ぎゃうっ!!」
その声は、しかし、テツには届かなかった。
まるで聴こえていないかのようだ。
いつもだったら、振り向いたり名前を呼んでくれるのに。
そんな反応は欠片もない。
パタン、とドアが閉まった。
ゴンスケも慌てて、ドアに近づいて開けようとする。
しかし、ドアノブは固く閉ざされ回すことが出来ない。
「ぎゃう?! ぎゃっううう!!?」
なんで、なんでとパニックになる。
さっきは回った。
ついさっきは、開いた。
それなのに。
あぁ、そうだ。
よく見る動画の中の人達は、きっとこんな気分だったんだ。
気味が悪くて、何が起きているかさっぱりわからない。
大好きな人は、よくわからない腕に捕まってしまった。
ゴンスケは自分が、たった独りになったことを自覚する。
その瞳には涙が滲んでいた。
また、独り。
捨てられた時と、同じ。
ゴンスケを可愛がってくれていた人がいなくなって、その人とは離れて暮らしていた家族から、遺品整理の時に可愛くないから要らない、と袋に入れられて投げ捨てられた、あの頃と同じ。
嫌だ。
また、捨てられたくない。
独りになりたくない。
ドアノブを回そうとする。
でも、回らない。
尻尾を使う。体を使って体当たりをする。
でも、ドアは壊れない。
火を吐く。
でも、家はビクともしない。
どうしよう。どうしよう。
ここには、ポンもいない。
お父さんもお母さんも、ばあちゃんもじいちゃんもいない。
タカラとテツは、家の中だ。
と、ズーっズーっという振動音のようなものが聞こえてきた。
ゴンスケは音のした方を見る。
それは、テツの携帯端末だった。
メールかSNSのメッセージか。
とにかく、何かのお知らせを告げている。
ゴンスケが、テツに買ってもらったタブレットよりだいぶ小さいそれは、ゴンスケの物が家や特定の場所でしかネットが使えないのに対して、電波さえあればどこででも使用できる。
ーーそうだ!!ーー
これを使えば、お母さんやお父さんに連絡できる!
そう考えて、ゴンスケは携帯をいつもテツが使ってるように操作する。
いつも見ていたし、ゴンスケはマサに電話を掛けたこともメールを打ったこともある。
だから、使い方は知っていた。
落ちていたそれを手に取って、ゴンスケは画面を見た。
その画面は黒かった。
黒の背景に真っ赤な文字がいくつも羅列している。
【帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れかえれかえれカエレカエレ帰れかえれ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れカエレかえれ帰れカエレ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れかえれ帰れ】
と、画面が切り替わる。
【オマエはいらない】
ゲーム実況で見たヤツだ!
その画面が、意外にもゴンスケを冷静にさせた。
見たことがある、知っている、というのは意外にも頭を冷静にさせるものらしい。
その文字はすぐに消えてしまう。
と、いつもの待ち受けへと戻っていた。
と、画面にメールやらSNSやらの通知が届いているのが見えた。




