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持っていた携帯端末を伏せて、置く。
それから、彼女は大きく息を吐き出す。
その瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちた。
初めてだった。
初めて、怖いと思った。
彼女、アストリアは、初めて友人の少年からどう思われてるのか怖く感じてしまった。
今しがた興味本位で初めて覗いた掲示板サイト。
その中の一つ、タイトルに惹かれて読んだ内容。
最初は、他にも似たような話しってあるんだなぁ、という物珍しさから読み進めて、でも、やがて出てきた【ゴンスケ】という固有名詞に、中央大陸へドラゴン狩りに行ったという内容、そこから連想できてしまった掲示板を建てた人物。
所謂スレ主が誰なのか、わかってしまったからこそ、アストリアは書き込まれていく文字を追う。
そして、知ってしまったのは、憎からず想っている彼の過去。
誰かに言いふらす内容ではない、それ。
そんな過去を与えてしまったのは、理由はどうあれ他ならないアストリアの祖父だった。
「どうしよう」
顔を覆って、泣きながらそう呟く。
「どうしよう?」
もしかしたら、最初から嫌われていたのかもしれない。
そんな考えが浮かんでくる。
思えば、最初から彼ーーテツは彼女に対して素っ気なかったように思う。
でも、面と向かって嫌っているようなことは言われなかった。
ただ、彼の本心が見えないのも事実で。
でも、そんなのは当たり前のことだ。
他人の頭の中まではわからない。
そんなのは、当たり前のことなのだ。
わかっている。
わかっている、ことなのに。
彼との、何気ない夏休みまえのやり取りが甦る。
「うぅっ」
しゃくりあげながら、思い出されるのは彼のやわらかい微笑みだ。
時折見せる、子供っぽい表情だ。
彼女の家に遊びにきて、レモンのアイスを食べた時の、美味しそうな表情だ。
それを思い出すだけで、ふんわりと胸が暖かくなると同時に、とても苦しくなる。
彼に、笑ってほしいと思う。
幸せになってほしいと思う。
でも、それ以上に、彼にちゃんと好かれたいと、思ってしまった。
嫌われたくない、と、強く思ってしまった。
彼の心には誰がいるのだろう?
いま、彼の心にはなにがあるのだろう?
わからない。
わからない。
わからない。
気づいたら、書き込んでいた。
初めての書き込みだから勝手が分からず手間取ってしまったが、それでも励ましのような文章をなんとか書き込むことが出来た。
それを見て、彼はどう思っただろうか?
画面の向こう側は、お互いわからない。
だから、これが、彼女の書き込んだ文章だとは気づかれないはずだ。
でも、それでも、欠片でも良いから記憶に残りたくて。
固定の名前をつけてみた。
それは、名前と呼ぶには首を傾げる呼称だったけれど。
それでも、欠片でも良いから、と。
「あ、そっか」
苦しさの意味に、気づく。
どうして、こんなに、彼のことを想ってしまうのか、気づいてしまう。
でも、ダメだ。
この感情は、ダメだ。
だって、もしそうなら、アストリアはやっと出来たもう一人の友人を裏切ることになるから。
ルリシアを裏切ることになるから。
彼は、ルリシアと結ばれる方がいい。
彼の過去を図らずも知ってしまった今だからこそ、強くそう願う。
だけど、
「私、テツ君のこと、好きだったんだ」
それは、失恋なのかもしれない。
誰にも知られることのない、気づかれることもなく終わっていく恋心。
それが、とても苦しい。
自覚すればするほどに、そして、言葉に出してますます思った。
彼のことが、好きなのだと。
嫌われたくない、と。
そして、自分と同じくらい彼にも、好かれたい、と。
彼のことが、ほしい。
欲しくて、愛しくて、たまらないのに。
でも、手に入らないのだ。
彼も、彼の心も、何一つ。
夏休みで良かった、と心の底からアストリアは思った。
こんな想いを抱えたまま、彼と顔を合わせるなんて出来ないから。
と、携帯が震えた。
見れば、テツからの画像貼付のメールだった。
開くと、掲示板にもあったドンベエの画像。
ゴンスケの物も、ポンの物もある。
いつも通りの、約束した、それ。
掲示板を見る前なら。
テツの過去を知る前だったなら、馬鹿みたいに可愛いを連呼していたであろう、それ。
今は、ただただ、視界が歪んでよく見えなかった。




