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私の人生で一番古い記憶は、【綺羅星】で父に初めてチョコレートパフェを食べさせてもらった記憶だ。
とても美味しかったことを今でも覚えているし、綺羅星のチョコレートパフェの味は、今も昔も変わっていない。
その次に古い記憶は、というよりも、忘れたくても忘れられない記憶は、交通事故の時の記憶だ。
まだ二歳か三歳か、それくらいの弟と、当時七、八歳くらいだった私たちは、父と一緒に街まで散策に来ていたのだ。
と言っても、さすがに子供ふたりを連れて、歩いてそんな遠出をすることはなく。
途中まで車で行って、どこかに車を停めて散歩をしたのだと思う。
あの場所がどこだったのか、私は正確にはもう覚えていない。
ただ、覚えているのは、弟がいきなり走り出して、私も釣られて走り出して、そしてその弟目掛けて車が突っ込んできたのだ。
その一瞬を、私は今も覚えている。
まるで、写真で切り取った光景のように、十年以上前経過した今も忘れることは出来なかった。
車が突っ込んでくる直前。
私はそれを見た。
弟の前に立ちはだかるようにして、現れた女を。
その女が醜く笑うのを。
そして、そのスラリとした手を振るって、次の瞬間に弟の首が刎ねられたのを、見た。
その一瞬の光景のあと、弟の体は突っ込んできた車に跳ね飛ばされた。
当時の私は、目の前の光景に脳みその処理が追いつかなくて、ただただ、沸き上がってきた得体の知れない怖さに大泣きしてしまったのだ。
今でも、悪い夢だと思いたい。記憶だ。
あんな地獄みたいな光景、忘れるに限る。
でも、忘れることは出来なかった。
正直、その一点しか覚えていないので、私にはそのあと数日の記憶がなかったりする。
ただ、気づいた時には弟はもう家に帰ってきていたのだ。
首に包帯を巻いて、積み木で私も一緒に遊んでいる記憶もある。
その記憶は、私を苛むことこそなかったけれど、ずっと気になっていた。
その後に弟の体に変化があったことを知った。
その一つは、弟の体が頑丈になったこと。もちろん物理的な意味でだ。
もう一つは、弟の魔力がなくなっていたこと。
弟の体は、もともと今のように、私や父、そして母のような頑丈さはなかった。
普通だった。転べば膝小僧を擦りむくし、ぶつければ青アザができる。
なによりも、普通に痛がった。
でも、その事故の一件から弟は転んでも、ぶつかっても痛がらないし怪我をしなくなった。
ただ、家族からのゲンコツは普通に痛がるし、私の蹴りも痛がる。
それでも、刃物で指を切るようなことがあっても、刃物の方が負ける。
物理的なものに対する耐性が、ありえないほどあがったのだ(ただし、家族からのそれは除かれる)。
しかし、魔法による怪我は普通にする。
ただ、物理的な攻撃に対しては衝撃は多少なりとも受けるものの、ほとんどダメージがないのだ。
そして、事故を経て変わったことの二つ目は、弟の魔力がゼロになっていたことだ。
魔力欠乏症が慢性化するとたまに起こるとされているそれは、発症すること自体が珍しいといわれている。
何もせずに、いきなり体が頑丈になることはない。
魔力欠乏症だって、次第に魔力が減っていき使える魔法が使えなくなっていくことで判明する。
弟の場合。アイツは覚えていないだろうけれど、小さい頃、事故に遭う前に私が使っていた魔法を見様見真似で扱うことが出来たのだ。
それが事故を、いや、あれは殺人事件だ。
あの事件を境にして、弟から魔力が消えて障碍者として扱われるようになった。
比べるのもどうかと思うが、他の障碍持ちの人達と、魔力ゼロへの差別は明らかに違っていた。
そのことに、私が気づいたのは、中学生の頃。
ある日、弟のことがクラスに知れ渡っており、一部の同級生が私へそれをネタに弄り始めたのだ。
日を追う事に、それはエスカレートしある日とうとう怪我人が出る事態になった。
私は一方的に、しかし、地味なイジメを受けたのだ。
それに反抗した結果、相手側が自滅する形で怪我をした。
ちなみに私は無傷だった。
相手は、泣いていた。
まぁ、それは良いとして。
そこからだ、私が魔力ゼロへの偏見とか差別とか、その歴史を調べ始めたのは。
そして、知ったのは。
この東大陸だけ、やけに魔力ゼロの人間への風当たりが強いということだった。
例えば、それこそ中央大陸はそんなことは気にならないほど、というよりも、魔力ゼロの人間でも魔法が使える技術が発達しているし、そもそも偏見や差別が無かったのだ。
障碍者ではなく、健常者として中央大陸では、弟のような魔力ゼロの人間は扱われる。
これが、国や文化の違いならそれまでだが、さらに変なことがある。
東大陸でも、健常者として扱う国があり、その国は中央大陸との国交で、色濃くそちらの文化が浸透しているという点だった。
さらに歴史を紐解いて行けば、もともと私の実家があるこの国でも、それこそ千年くらい前までは魔力ゼロは珍しくなく、普通の健常者として扱われていた、という史実がわかった。
そして、さらに外へ出て。
県外の大学へ入って分かったことがある。
その大学は、まぁ頭のいい人が行くとされている場所で、国外からの留学生も多い。
私なんて場違いにも程がある場所だ。
それこそ、中央大陸から後学のために通っている生徒もいる。
その中央大陸からの留学生の知人に、言われたのだ。
この国は先進国なのに、まるで後進国のような差別があるんだね、と。
嫌味でもなんでもなく、ただのカルチャーショックだったようだ。
その国ごとにルールは違う。
しかし、それでも、知人から見て魔力ゼロの人への扱いは異常に映ったらしかった。
私は、並んで歩く弟を見た。
首には絆創膏を貼っている。
そう、記憶違いで無ければ、そこは弟の首が斬られた箇所だ。
「……なに?」
私の視線に気づいて、弟が首を傾げてくる。
「べつに」
弟は、あの事件のことを欠片も覚えていない。
そういう事故に巻き込まれて、首を強く打ってそこだけ弱くなってしまったという風に、父に教えられていた。
父を問い質すことは簡単だ。
あのあと、父が弟になにをしたのか、成人した今の私にならきっと教えてくれると思う。
でも――。
私は、自分で知りたいと思ったのだ。
答えは、自分で知りたいと。
そして、調べあげた自分の答えを父に突きつけて答え合わせをするのだ。
そうでないと、きっと私が納得できないから。
カルチャーショックを受けていた知人が、ついでとばかりに教えてくれた事を思い出す。
これは、事件よりもさらに後、弟も入れられていた施設での事件の話について言及したものだった。
「そもそもさ、魔力以外普通に生活できる子供を分けるってのがおかしいんだよ。
それだったら、きちんと朝の挨拶をするようにとか、他にももっと教えることあるでしょ?
そして、それを覚えるのに魔力の有無なんて関係ないんだから。
だから、その施設での事件は、最初から王様直轄以外の施設ではその事を、研究を目的として計画していたんじゃないかなって思うんだよねぇ。
そうじゃなかったら、施設の建物の仕様とか設備とか上層部に報告いくはずだしね」
一部の施設が、非人道的な洗脳教育というか実験の場であったことが判明した時。
弟は家に返された。
そして、その時にはすでに弟の人格は変容しつつあった。
笑わなくなった。
よそよそしくなった。
もっと言えば、他人行儀になった。
なによりも、まだ、小学校に入る前で人生を諦めたような目をしていたのだ。
施設に入る前は好奇心の塊だったのが、ほとんどのものに興味を示すことが無くなった。
まるで、人形だった。
他人のために都合良く動く、そんな人形。
それでも、創作物への興味は残っていて、それだけが弟を人として留めておいてくれたように見えた。
あれから十年。
横を歩く弟は、少しだけ人間らしさを取り戻しつつある。
少なくとも、私が家を出るまで、創作物以外では家で飼ってる猫くらいしか興味を示していなかったのに、ゴンスケを拾って飼い始めたのだから。
かなりの進歩と言えるだろう。
ゴンスケとの出会いまでの間に、なにか切っ掛けがあったのかもしれない。
その切っ掛けがなんだったのかはわからない。
高校に入学して出来た友人のお陰なのか、それともそれ以外のなにかなのか。
母に聞いたところによると、女の子の友人も出来たとか。
さらに、父に聞いた話によると隣国のお姫様も助けたとか。
うん、だんだん人間らしくなってきてる。
このままいい方向に向かえば良いと思う。
さすがにお姫様は無理でも、女の子の友人には会ってみたいものだけど。
それは、いつかまた、機会があるのを願うしかない。




