110
ある程度、距離を取ってとくに追われていないことを確認してから、どちらからともなく俺と姉は息を整えながら速度を落とした。
「こっちで良いの?」
俺は隣を歩く姉へ訊ねた。
「うん。こっち」
姉には確信があるようだ。
地図は最初から頭にあるようなことを言っていたし、それならわざわざさっきの子供たちと言葉を交わさなくても良かったと思うのだが。
なんで、あんな思いまでして姉は子供たちと会話しようとしたのだろう?
不思議だったので、訊いてみた。
すると、
「そりゃ、情報収集のため。おかげでいろいろわかったし」
との答えが返ってきた。
「たとえば?」
「あの子ら、お父さんがどーとか言ってたでしょ?
で、自殺魔塔には神様がいるとも」
「言ってたね」
それが、噂や都市伝説で語られている神様かはわからないが、可能性は高いだろう。
姉は、まるで学校の先生か塾の講師のように言葉を続けた。
「話の感じからして、そのお父さんって言うのがあの子らを作った存在。
そして、それとは別に神様が存在していることがわかる。
つまり、この世界には二つの大きな存在がいることになる。
それが、お父さんと神様。
お父さんサイドからすると、自殺魔塔は多分立ち入れない場所なんだろうけど」
「ふむふむ」
「わからないのは、その自殺魔塔のこと。
たとえば、この鏡の中の世界を【お父さん】が作ったとして、なんでそんな場所まで再現、作ったのか。
立ち入れない場所作っても意味ないしね」
「んー、アレかな?
もしかして、逆とか? 鏡なだけにさ。
元々、ここには自殺魔塔があって後から【お父さん】がここで研究を始めたとか」
「でも、忘れちゃいけないのが、自殺魔塔の噂は昔からあったってこと。
神隠しの方ね。
そういえば、あんたはこの話どこで知ったの?」
姉に訊かれ、俺は答えた。
「シェリル先生の作品で読んだ」
シェリル先生と言うのは、俺の大好きな作家先生だ。
あの人の作品は、よく図書館に読みに行くし、サクラとも話すきっかけになった。
実話シリーズであるホラー小説には、その自殺魔塔の噂を元にした話が短編として掲載されている。
一緒に神隠しの話も載っていたので、覚えていた。
「あ、なるほど」
「あー、そっか、これっていわゆる聖地巡礼ってやつだ」
合点がいったと納得する姉を見ながら、俺は気づいた。
創作作品の、物語の舞台やモデルになった場所を訪れるという意味の聖地巡礼。
俺は今までそういったことはしたことはなかったけれど、まさかこんな形で実現しようとは。
行くならせめて、ほかの場所が良かったなと思わないでもなかった。
まあ、行きたいなら勝手に行けと言われそうだ。
そうしてしばらく歩いていると、立ち入り禁止と看板が下がったフェンスが見えてきた。
大きなフェンスだった。建物、二階分くらいの高さがある。
近づいて、確認する。
やはり、大きく【立ち入り禁止】と書かれている。
その横には【私有地につき】という注意書きもあった。
「中に入ったら、罠が発動するとかかな?」
そもそも出入口のようなものはない。
フェンスを、じっと見ていた姉へ聞いてみる。
と、姉がおもむろにフェンスに近づいたかと思うと、跳んだ。
少しして、ガッシャンという音。
網目状のフェンスに指を絡ませて、登り始める。
どうやらウチの姉はゴリラではなく、猿だったようだ。
どうでもいいことだが、クマもフェンスをよじ登れたりする。
こんなことなら夜食にでも、バナナチップを持ってくれば良かった。
きっと、姉なら美味しく食べたに違いない。
そんなことをぼんやり考えながら、姉の奇行を見る。
姉はあっという間にフェンスを登りきり、向こう側へ飛び降りた。
しばらくあちこちをキョロキョロと見ていたが、やがてサムズアップしながら、
「侵入成功! あんたも来な」
なんて言ってきた。
なので、俺もフェンスをよじ登る。
と、少し遠目に自殺魔塔らしき建物が見えた。
それを見て、俺は不思議な気持ちになった。
妙に懐かしく感じたのである。
自殺魔塔は、たぶん、俺は初めて見る。
自殺魔塔を題材にした小説に一緒に掲載されていたのは挿絵だったし、もちろん、夏の心霊特番でも話がマイナーすぎてまず出てこない。
画像や動画だって、不思議なほど投稿されない。
だから、鏡の中の世界だろうと俺は自殺魔塔を見るのは初めてのはずだ。
でも、なんだろう?
俺は、あの塔を見たことがあるような気がする。
これは、もしかして既視感というやつだろうか。
「どーしたー?」
下から姉の声がした。
「…………」
俺はフェンスを飛び降りた。
無事、着地する。
俺は、不思議そうな表情をしている姉を見て、言った。
「向こうになんか見えたけど、あれが自殺魔塔?」
「たぶんね、私も初めて実物見るわ」
姉が初めて、ということは、少なくとも姉と一緒に現実世界でこの辺にきたことはないはずだ。
なら、似たような建物をどこかで見たのか? それを勘違いしてる?
「そっか」
「それにしても、【お父さん】とやらがなにかしらちょっかい出すかなとも思ったけど、あの子供たちだけで特に何もなし、か。
ふむ」
拍子抜けした、と姉の顔に書いてあった。




