温水プール
アクアパーク・藤間。
2階部分にデカデカと看板を設置してあるガラス張りの建物。
外からプールで遊ぶ人々の様子が見えてしまう施設であり、それに釣られてやってくる客が多い。デートスポットとして良く利用されているようだ。
そうした建物の入り口前で、白いワイシャツ姿の良治が待っていた。
ネクタイなぞは着用していないが、ズボンは会社に履いていくズボンのようなもの。
(10分すぎたけど、来ないな……)
待ち合わせ相手の姿が見えず、周囲をキョロキョロ。
通りかかった人々は、彼が手にしている緑のスポーツバックを見て『ああ、誰かと待ち合わせか』と判断し素通りしていった。
仕事で会う洋子であれば、待ち合わせの5分前には来ている。
それに合わせて来てみたが、洋子の姿はなかった。
(もう少し待ってみるか)
適当に待ってどうしても駄目そうなら電話でもすれば……と思った時、
「お待たせしました」
背後から聞き慣れた声がし振り返ると、そこには私服姿の洋子が白いバックを手にし立っている。
彼女の姿を見てみれば、薄いピンクのシャツと青いカーディガン。下は黒のロングスカートといった姿であった。
「――」
「係長?」
「いや。あんまり私服姿とか見たことなかったから……」
「……どうです?」
「うん。似合っている……とは思う」
「思う、ですか」
「似合う! 似合うから!」
「別に気にしていませんよ。さぁ、行きましょう。トレーニングに来たんですからね」
「そうなんだけど!」
そこに間違いはない!
と、先に館内に入って行く洋子の後を追いかけ、彼女の言ったことを心の中で肯定し続けるのだが、口にした本人の様子が明らかにおかしい。確実に怒りを買ったというのが判断できた。
(あんまり考えた事がないから、良いのか悪いのか自信がないだけなんだよ! って事を言っても無駄なんだろうな……)
言い訳にしかならないと考えながら、館内受付で金を払い2手に別れた。
男用更衣室でトランクスパンツに着替えつつ『今度はちゃんと褒めよう』と考えるが、そうするとどのような褒め言葉がいいのだろう? と新たな難問が湧き出す。
(わざとらしい褒め言葉とか逆に悪印象だよな。かといって上手く喜ばせるような言葉とか思い浮かばないし……まいったな)
難問に対する回答が出ないまま、更衣室にあるロッカーに自分の衣服をしまいプールへと入場。多くの客達が大いに賑わっているようだが、さて、洋子はと……出てきた!
「待たせましたか?」
「い、いやそうい訳じゃ……」
「……今度はどうですか?」
「どうって……」
反応に困った。
洋子が着ているのは、ヘソを出しているビスチェタイプの白い花柄水着。
ビキニより露出は少なく、落ち着いたタイプのものだ。
胸が若干膨らんで、谷間が出来ている気がするが考えてはいけない。
「……可愛いんじゃないか?」
「――!」
そう言うしかなかった。
凝視なぞ出来ない良治は、両腕で自分の胸を隠すかのように組み、視線をプールへと向けてしまう。
洋子もまた良治から目線をズラし横を向く。
両手を下げ組んでいる様子が、花柄模様の水着とバッチリあって可愛らしい。
「お、泳ごうか。ほら、その為にきたわけだしな」
「そうですね! えぇ!」
緊張感に耐えられなかったのか、2人ともが愛想笑いを浮かべプールへと逃げた。
プールの方ではハシャグ子供達もいれば、それを見守る両親。
ちょっと慣れた感じがする男女もいれば、女同士で来ている人々もいた。
男同士というのは見当たらない。
見つけても嬉しくはないが。
「係長、ちゃんと体操してから入るんですよ」
「分かってるよ」
そうするのが当然であるかのように、肩を並べ洋子が忠告をすると、2人そろって距離を離し体操を始める。
(やっぱり迷宮の時と違って体が重いな……)
迷宮にいる間は苦にならないが、現実世界へと戻ってくると、感覚と体のズレのようなものを感じる事がよくある。体を動かし始めると、すぐに慣れるのだが、気持ちのいいものでは無かった。
そんな事を考えながら、適当に体を動かし関節をコリコリと鳴らす。
一通り体の状態を確認し終わると、良治が先にプールへと飛び込んでいった。
洋子も後を追うように飛び込み泳ぎ始める。
どちらも泳ぎ上手のようで、プールでハシャグ人々を躱しながらクロール水泳を開始。
目的はトレーニングなので、すぐ側にあるスプールを使ってキャッキャッウフフもしないし、飛び込み台にチャレンジとかもしない。無論、洋子のポロリイベント等も無かった。
(泳いでいれば、洋子さんの事を意識せずに済む。泳ぎまくるぞ!)
というのが良治の考えで、洋子の方と言えば、
(これでいいのよ。うん。トレーニングに来たんだし。係長にはちゃんと褒めてもらったから別に――ってだから、そうじゃないでしょ!)
相変わらず心が迷走している。
一緒にきてトレーニングするはずなのに、なぜか別々に泳ぐ2人。
そこに意味があるのかどうかは不明だが、それどころではないようだ。
互いの事を考えないようにする為にガムシャラに泳ぐ光景は、他の客達にとって『ちょっと周囲の空気を考えてくれないか?』と思えてならない光景であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
疲れたらしい。
プールから上がり足を伸ばし座っている良治の側に洋子が近づいてきた。
彼女も隣に腰を降ろし、体育座りをした。
「……回復がほしい」
「そうですね」
気だるそうに良治が言うと、洋子はクスリと笑って見せる。
着用している花柄模様の水着とあいまって本当に可愛らしい笑みだ。
「現実でも魔法が使えたらいいのにな」
「そうなったら、色々犯罪が起きるんじゃないですかね?」
「……まぁ、人前で使えるようなものじゃないよな」
もし使えたとしたら、色々混乱が起きるのは確実だろう。
その状況を想像してしまったのか、乾いた笑いを見せた。
実現したら警官の多くが過労でぶっ倒れ、医者達が業務妨害で訴えだすかもしれない。
良治が言った回復が欲しいという声と、軽い疲労によって、互いの間にあった緊張感が薄れると、洋子が迷宮の事を気にし始めた。
「係長。月曜日も11階の探索を続けますよね?」
「そうしたいけど、決めるのはリーダーの須藤君じゃないのか?」
「PTを組んでいるのは彼ですけど、香織さんや須藤君の様子を見る限りだと、係長をリーダー扱いしている感じですよ?」
「そうなのか!?」
「気付いていません?」
「だって、戦闘面でいえば須藤君や香織さんの方が上だろ? それに洋子さんの魔法も加わって楽になっているし……俺と言えば補佐に回っている感じじゃないか? それなのにリーダーっておかしくないか?」
「私から見れば、激しく動く2人に合わせられる係長も大概ですよ?」
「……そういうものか?」
「後ろから見ていれば、良く分かるんですよ」
良治が首を傾げて悩む様子を見せると、洋子は嘆息をついた。
「で、どうします?」
「俺としては続けて探索したいな。下の時と同じで全部を見て回って、何か取りこぼしがないか確認しておきたい」
「やっぱり、そうですか」
「不満?」
「いえ、そうじゃないです。私もそうは思います。ただ、香織さん達って最初から急いでいたじゃないですか。階段を見つけたら先へと進みたがるんじゃ?」
「あり得そうだな……」
洋子の言う通りだな。早めに、言っておいた方が良いか?
そう思ったが、
(それだと考えを押し付けるだけか……2人がどうしたいのかも聞かないとな……)
そう結論づけ、洋子に仕事をしている時のような顔を向けた。
「話してみないと分からないが、少し聞いてみる」
「駄目だったらどうします?」
「その時は2人の意見を聞いてみる。早く解放されたいっていうのは、誰にだってあるだろうし……」
「……それもそうですね」
洋子が納得した顔を見せると、良治がスクっと立ち上がった。
「もうひと泳ぎしてくるよ。その後、昼食でもとるか?」
「いいですね。そろそろお腹が減ってきました」
洋子が自分の腹をさすって見せると、良治の口元が緩んだ。
それを見た洋子が唇を曲げ、ちょっと見たくない表情を良治に向けた。
身の危険を感じた良治が、即座にプールへと飛び込むと、その後を追い始める女が1人。
他人から見れば仲の良いカップルのように見えなくもないのだが、当人達は知ることなく全力で追いかけっこを見せつけている。





