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この力は誰の為に  作者: 榎木ユウ
この力は何の為に
26/44

5 ヘタクソ

「最近、機嫌いいね、ちとせちゃん」

 コピー機の前で、15部という微妙な多さの資料をコピーしていたちとせは、1つ年上の先輩、酒田桃にそう言われて、キョトンと目をしばたかせた。

 桃はニコニコしながら、

「鼻歌、歌ってた」

と言った。

「鼻歌、ですか?」

「うん、今、流行りの曲だよね? CMでも流れてる」

 そう言われて、何の曲か漸く思い当たる。

 昨日、夕飯の準備中に夏生が歌っていた曲だったからだ。


 結局、初めての鍋以来、8歳年下の自称婚約者は、夕飯を毎晩ちとせの家で食べている。

 ちとせが飲み会や、休日出かける日は自分で何とかしているようだが、それ以外はちとせ任せだ。

 何かがおかしい、と思えども、特にちとせに何かしてくるわけでもなく、夕飯だけ食べて帰っていく夏生に、二週間もたてばちとせも慣れていた。

 ちとせにしては、猫に餌やりして居着かれてしまったかのような気分だ。


「年明けからちとせちゃん、何か元気だから嬉しいな」

 自分のことのように喜んでくれる桃に対して、ちとせもニッコリと笑い返す。

「そうですかねぇ? 自分では何も変わってないんですけどね」

 今も昔も、最愛の人は変わらない。

 唯一、変わったと言えば、隼生のことを聞いてくれる人ができたと言うことだろうか。

 夏生は、隼生がどんな人で、自分がどんなところに惹かれたのか、どんなところが素敵なのか、そう言ったちとせが今まで人に話さなかったことも、嬉しそうに聞いてくれる。

 しかも

「へえ、隼生さん、そんな人なんだ?」

「隼生さん、面白いね」

とまるで、隼生がどこかに出張に行っているのかのように、その場にはいなくてもどこかにいるかのように聞いてくれる。

 それが嫌味だとか、わざとらしいとかではなく、とても自然だから、ちとせは嬉しくなるのだ。

 最近では、毎晩の夕飯が楽しみになりつつある。

「何かいいことあった?」

「うーん、猫が夕飯食べにくるんで、そのせいかもしれませんね」

 流石に自称婚約者が来るとも言えずにそう言えば、「猫? へえー!」と桃が興味津々に食いついてくる。

「どんな猫?」

「ヒョロッとして、だけどよく食べます」

「可愛い?」

「可愛いっていうより、生意気かなぁ?」

 夏生を猫に例えて話すのは、何だか自分で話していてもおかしくて、だから、ちとせは夏生と話していたかのように、うっかりこぼす。

「声が、少し隼生さんに似てます」

「え?」

 一瞬だけ、桃の顔が強ばる。

 ちとせもそれを確認して、慌てて、

「あ、別に生まれ変わりとかそんな風に思ってませんよ? 何となく癒されるんです」

と仮面を被る。

 桃の表情の強張りもその一瞬だけで、直ぐに

「そうなんだ。良かったね!」

とまた笑顔でちとせに言った。

 その言外にこめられた意図に、ちとせは何も気づかないフリをして、満面の笑みを浮かべて、

「良かったです」

と返した。

「俺もその猫になりたいニャー」

 突然、話に強引に入ってくる男の声。

 ちとせの肩にズシリと顔が置かれたので、てしっ、と猫パンチでその顔をちとせは払い落とす。

「白土さん、顔、近いです」

「俺とちとせちゃんの仲じゃん」

「白土さん、ちとせちゃんにベタベタしていいのは、私とサチだけです!」

「えー、ちとせちゃんにベタベタできるなら俺も玉いらにゃーい!」

「白土、お前、マジでセクハラで訴えられるぞ」

 白土の暴走を止めたのは、バシリと白土の背中をファイルで叩いた大島だった。

「大島さんからも言ってください! 最近、白土さん、ちとせちゃんへのセクハラ、激しいんですよ!」

「大島はいいよな。酒田さんって可愛い彼女がいるしさ~。俺が温もりをちとせチャンに求めたっていいじゃん~」

「馬鹿か、お前は」

 大島が呆れた顔でもう一度白土の背中をファイルで叩いた。

 大島が桃の彼氏ということは、部では公認みたいなものだ。今年には結婚じゃないかという噂もボチボチ出ているのが、恐らくそうなるのだろう。

 もし隼生が生きていたら、ちとせも同じ様に部内公認になっていただろうし、大島たちよりも先に結婚していただろうな、とちとせは思ったが、そんなことは決して口にはしない。

「あーぁ、俺も早く部内公認になりたいから、ちとせちゃん、早く俺と付き合ってよ」

「何ですか、そのとってつけたような理由!」

「大島たちに毎日、隣の席で当てられてる俺の気持ち、分かる?」

「お前が他人に当てられる玉かよ」

 呆れたような大島に、白土は肩を竦めて、

「自覚ないから怖いよね!」

と言った。

 それはちとせも一理あると思ったので、頷きながら笑う。

「ええ? 私、大島さんと会社ではベタベタしてないよ!」

 桃がそう言ったが、それは恰好の揚げ足とりセリフで、ちとせがとらずとも、白土が間髪入れずに揚げ足をとる。

「会社以外ではベタベタなんだぁ?」

 その言葉に否定すればよいのに、真っ赤になった桃に、大島も釣られて軽く頬を染めて、そっぽを向いた。

 可愛らしいカップルの動向に、思わずちとせは声を上げて笑ってしまった。


 そんな風に声をあげて笑うちとせが久しぶりだと、周囲の面々が思っていたなんて、勿論、ちとせは知る由もない。



☆☆☆



「浅間くん、付き合ってる人っている?」

 昼休み、自動販売機でジュースを買っていた夏生は、いきなり知らない女子生徒にそう言わた。

 夏生はさして動じもせずに

「いないよ」

と返して、女子に目を向ける。

 1つ学年が上ということを主張する黄色のつま先をした上履きに、細い足首、そこからスラリと伸びた背の高い少女。自分が綺麗だとわかっているタイプだろう。目がしっかりと夏生に向けられている。

「じゃあ、私と付き合ってみない?」

「別にいいけど、俺、婚約者いるよ?」

「え?」

 少女が一瞬、何を言われたのか分からない顔になる。夏生はニヤリと笑ってから、

「将来、結婚する女が決まってるから、遊びでしかつき合えないけど、それでもいいんなら」

ともう一度、ハッキリ言う。

 少女は唖然とした顔になるが、直ぐに大人びた微笑を浮かべ、

「いいよ、そんな曖昧な将来なんて気にしないし。それに、私、浅間君が思っている以上にいい女よ?」

「それは楽しみだな」

 そう返すと、少女は夏生と携帯番号を交換し、都賀るりあと名乗って帰っていった。


「え、ち、ちょっと、今ので恋人になったの?」

 驚きながら聞いてきたのは、転入して以来夏生につきまとっている創だ。

 馬鹿な性格も慣れれば嫌味でもなく、気づけば夏生も創とつるんでいた。今では学校で一緒にいても構わない程度には、慣れてきている。

「恋人ていうか遊び相手だろ?」

 夏生がそう言えば、創は「信じらんねー、お前!」と喚く。

「都賀るりあさんって、2年じゃかなり可愛いって言われてるじゃん!」

「まあ、可愛いけど、別にそれだけじゃん?」

「何でお前?! 俺とお前の差って何?!」

 確かに夏生はお世辞にも美少年とは言えない。格好良さなら学校にはもっといい男がゴロゴロいる。

 それでも自分の纏っている雰囲気に、たまに電球に群がる蛾のように集まる女たちがいることを夏生は知っている。

(これも浅間の血のせいか?)

 長男も次男もそんなことは気にしてないだろうが、夏生はなんとなくこの異常なもて方は、浅間の血が誘蛾灯になっている気がしてならない。

 だから浅間の男で、30まで童貞の男なんて殆どいないのだ。

 浅間隼生がどうやって貞操を守ったのか知らないが、女からの誘惑は、普通の男よりも浅間の男の方が多いということを、夏生は実体験から知っていた。


「というか、さっき聞き逃したけど、夏生、婚約者なんているのかよ!」

 聞き逃したままで良かったのに、創はひとしきり喚いてから、そう夏生に問い質してきた。

「いるよ」

「マジで? どんな女?」

「8歳上で、胸がでかくて、そこそこ料理のうまい女」

「!!!!」

 説明した瞬間、突然創は廊下に這い蹲り、「うおーー!」と雄叫びをあげる。

「年上! 巨乳! 羨ましー!!!」

 夏生は馬鹿馬鹿しくなって、そんな創を放置して、教室まで戻った。



 るりあがそんな夏生に再度接触してきたのは、放課後、帰り支度が済んだ時だった。

「夏生くん、帰りましょう?」

 昼までは「浅間くん」だったのに、既に名前呼びだ。

(ちとせと同じ呼び方なんだけどな)

 ちとせも夏生を「夏生くん」と呼ぶ。

 そして恋人だった隼生は「隼生さん」とさん付けだ。恋人をさん付けで呼ぶ女性を夏生は初めて見た。だけど、全然違和感がなく、寧ろ大切に、愛おしそうに呼ばれる丁寧な言葉が少し羨ましく思えたくらいだ。

「夏生くん」

 るりあの呼び方は、君付けではあるが、あくまで年下だからといった感じで、その内呼びつけになりそうだな、と思った。

 以前はそんな女に何も感じなかったが、ちとせの好きな人の名を呼ぶ声を聞いてからは、なんとなく違和感を覚えてしまう。

 そんな夏生のモヤモヤなど気づくわけもなく、るりあが腕を絡ませてくる。されるがままに教室を出て行こうとすると、創が机に突っ伏して、「神様の意地悪ー!」と叫んでいた。それは軽くシカトして帰る。


「夏生くん、駅の先のマンションなんだ。

 今日、いってもいい?」

 昼には付き合ってと言ってきて、夕方にはその男のマンションに来たいなんて、どんだけビッチなんだよ、と内心思いながらも、夏生は否定もせずにマンションまで歩いていく。

「別にいいけど、七時前には帰れよ」

「何で? 一人暮らしじゃないの?」

 るりあからの一方的な会話で、夏生が一人暮らしだということは話したので、るりあは不思議そうに小首を傾げる。

 パッと見には可愛いが、だから何だ?と夏生は内心思った。


「七時から予定在る。夕飯前には帰って」

(ちとせの夕飯ができる時間だ)

 定時過ぎに帰ってきて、ちとせが夕飯を作ると大体七時前に夕飯になる。

「夕飯、私、作ってあげる?」

 るりあはグロスを塗ったばかりらしい艶めかしい唇で、ふふふと小さく笑う。

 夏生はその積極性にウンザリしつつ、

「来るのやめる?」

と言葉を重ねた。

 途端にるりあは焦ったように、

「分かった。七時前には帰る」

と言った。

 大人っぽいとは思ったが、どうやら中身は年相応らしい。

 夏生のつき合ってきた女子大生やら会社員やらの魔女たちに比べれば、随分御しやすかった。

 

 その後はるりあのくだらない話を聞いて、マンションまで帰る。

 そしてマンションの自分の部屋に入ると、夏生は鞄をおろして、るりあを振り返り、問いかける。

「で、先にシャワー浴びる?」

 先程までは無表情だった夏生が妖艶な笑みを浮かべてそう問えば、るりあは一緒、大きく目を見開いてから、夏生の首に腕を絡ませた。

 甘い匂いは女特有だ。

(久しぶりだな)

 こちらに来てからは女を抱いてなかったので、その匂いだけでもくるものはある。

 るりあはふぅっと、夏生の耳元に吐息を吹きかけると、うっとりした声で囁いた。

「一緒に入らない?」


(まあ、女なんてこんなもんだよな)


 夏生は女から見れば色気を兼ねた冷笑を浮かべ、るりあの腰に手を回した。



☆☆☆



 その日、夏生が七時を少し過ぎてちとせの部屋を訪れると、ちとせは

「あれ? きたの?」

と戸惑いの声をあげた。


「何で? 夕飯だもん、来るじゃん」

「だってさっき、女の子から電話きたよ?」

「は?」

 何のことか分からず確認すると、六時半頃、ちとせ宛てに夏生の携帯から電話がかかってきたらしい。

「夏生くんの婚約者ですかって聞くから、違いますって言ったら、今、夏生くん、シャワー浴びてるからって言ってたよ。一々、そんなことで電話してこなくてもいいのにね」

 間違いなくるりあだろう。

 夏生がシャワーを浴びている間に、ちとせに電話したのだと分かる。着信履歴を見れば、最近連絡をとっているのはちとせだけだ。

 単純に考えれば、例え婚約者でなくても、夏生に近しい女だと想像はつくだろう。


(あー、もう、無し)


 苛々しながら夏生は自分の電話を手に取ると、ちとせの目の前でるりあに電話をかける。


『もしもし?』

「お前、ふざけんな。やっぱ、無しだわ、お前」

 電話が繋がると同時にそう言えば、るりあは笑いながら、

『彼女さん、怒ってるの?』

と聞いてくる。

 夏生は目の前のちとせを見るが、ちとせはキョトンとしたまま、小首を傾げるだけだ。

 その目には嫉妬の色も何もない。

 夏生は苦々しくてため息を吐くと、

「遊びにもなりやしねー。もう二度と関わるな」

と言って、電話を切った。

 ちとせは乱暴な夏生の物言いに、眉をひそめて、

「その年で遊びとか、どうかと思うけど?」

と言ってくる。

「ちとせがいるから遊びしか出来ないんだけど?」

 夏生はそう言うと、ちとせの腰を抱き寄せて、その顎に手を添える。

 そんな風にちとせに近づいたのは始めてで、ちとせは思った以上に小さかった。


「夏生くん、冗談はよしなよ」

「どこが冗談? ちとせが相手してくれないから、他の女で抜くしかないんだけど?」

 本当はそんな理由で寝た訳じゃないのにそう言うと、ちとせは眉間に皺を寄せた。

「勝手に私を理由にしないで」

 図星なことにカッときて、そのまま、口を塞ぐようにキスをした。


 ちとせがドンドンと夏生の胸を叩いてきたが、そんなことはお構いなしに舌を伸ばして、ちとせの口をこじ開けようとする。


 最初はバタバタと抵抗していたちとせだったが、次の瞬間、夏生が思ってもみないことが起こる。


(え?)


 ぞわり、と背筋に痺れるような感覚。

 それがちとせの手がうなじをかすったのだと気づいたときには、逆に口内に舌を侵入されていた。

 下から、乞うように舌が絡まってくる。

 ゆっくりと歯列をなぞり、その奥へと唾液と共に侵入してくる。

 うなじをかすった右手は、夏生の耳、首もとをゆっくりとなぞる。

 いつも料理をしていたちとせの小さな手が、思いもしない艶めかしさで、夏生の身体に触れてくる。

 じっくりと侵入してくる舌と唇の柔らかさに、翻弄される。


(何だ、これ?!)


 今まで色んな女と経験してきたし、女の方が積極的なことも度々あった。

 だけど、こんな風に小さな体から、恋い慕われるような熱さで求められたのは始めてで、キスの合間に吐いた息は、自分で思っている以上に、なまめかしかった。

(っ!!)

 空いていたちとせの左手が夏生のベルトのバックルを器用に外す。ジーンズの釦も外され、小さな手がするりとその中に入ってくる。

 ちとせの右足はそっと夏生の右脹ら脛を撫で、柔らかな胸が夏生の胸に押し付けられる。

「っぅ........」

 色んな刺激に翻弄された瞬間、バンっと勢いよく突き飛ばされた。

 否、突き飛ばされた感覚というよりは、宙に浮いた感覚といってもいい。

 というか、実際、夏生は宙に浮いていた。

 自分から遠ざかるちとせを見ながら、あれよあれよと言う間に玄関から放り出され、その場に尻餅をついていた。


 しかもパンツ姿で。


(いつ、下ろされたんだ?!)

 

 ぽい、ぽい、とジーンズ、ベルト、靴が夏生の上に投げられる。


 ちとせはさっきまであんなに欲情するようなキスを交わしたとは思えない程、何の色も帯びてない顔で夏生を見下ろすと、ニッコリ笑って夏生に言う。


「保健体育の勉強も満足に出来ないお子ちゃまが、女、舐めんな」

 その笑顔は今までちとせが夏生に見せてきた姉のような優しい笑顔ではなく、全く感情の籠もっていない冷笑だった。

 そしてドアを閉じようとした瞬間、ちとせはハッと気づいたかのようにまた開いて、夏生にトドメの一言を言った。


「ヘタクソ」


「!!!!!!!」


 バタン。

 遠慮もなくドアが閉じられ、下半身、パンツ姿で夏生はその場に放置された。


 


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